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4-13

「ひとまず助かった。とだけ言っておく」

 スクランブル交差点近くでタイヤがひしゃげたタクシーを眺めていると、後ろから市道芙美香が現れた。

 周りには彼女しかいない。交通規制が敷かれた道路は先ほどから警察関係の人間が忙しなく動いていて、僕はそれを見ているだけだ。

 男も捕まり、タクシーも無事止まったのだからもうこの場を離れても良かったのだが、なんとなく、動くことができなかった。

「だけど次は、もう少し安全なやり方で止めてちょうだい」

 皮肉が込められたその言葉に、僕はヘルメットの下で苦笑いをする。

「悪かったよ。生憎僕はこの力しかないからな。この前のアイツみたいに、物を浮かせたりできればいいんだけど」

「……この前の」

 向こうがその言葉を認識したその瞬間。雰囲気が変わった気がした。

 視線を向けると市道芙美香はどこか目が据わっていて、それなのに焦点が合っていないようにみえた。

「この前のレストランでの立てこもり事件だ。刑事のあんたならなにか知ってるんじゃないか?」

「……知ってる。でも教えちゃいけないことになってるの。私の、大切な人との……約束だから」

 まるであらかじめ決められていた返事をそのまま読み上げているかのような、そんな喋り方だった。少なくとも僕が知っている市道芙美香のキャラクターとは違う、強い違和感のある喋り方だ。

 だけど、決して棒読みではない。むしろ、しっかりと感情が込められていて、生き生きとした声に聴こえた。表情だってそうだ。揺らいでいる瞳は妖しい輝きを放っていて、ゆえに、スラスラと出てきた言葉と強烈なズレを感じる。

「……その、大切な人っていうのはあんたの家族か? それとも――」

「言えない。大切な人だもの」

 僕の質問を遮って市道芙美香が言い切る。ここまで頑なだと追及するのは難しそうだ。

 まぁいいだろう。あの超能力者に関しては田喜野井海美に任せておこう。気になるところではあるけれど、僕がどうこうする問題ではない。

「それにしても、僕を逮捕しなくて良かったのか? 今が絶好のチャンスだ」

 これ以上訊いても答えてくれないだろうと、思い切って話題を変えてみる。すると市道芙美香の瞳が元の形に戻った。

 先ほどのどこか憂いを帯びた疲れた表情になり、腕を組んで目を伏せる。

「スロウ、あんたには借りがあるからね。娘を助けてもらった借り。だから今日のところは見逃す」

「……なるほど、そりゃ君の娘さんに感謝しなきゃいけないな。今度サインでも渡した方がいい?」

「なにいって……あの子なら本当に喜びそう」

 はははっと渇き切った笑い声を漏らしながら、市道芙美香が背広のポケットからタバコ、ではなくリラックスパイポを取り出した。淡い黄色のパイプを口にくわえ、ふーっと息を吐く。

「刑事の娘がアウトローのヒーローを好きだなんて、認められない?」

「娘の趣味に口を出すほど過保護じゃない。というより、むしろ感謝してるくらい」

「感謝?」

 思っていたよりもまっすぐな言葉に僕は市道芙美香へと顔を向ける。

 すると彼女も僕の方を向いて、パイプをくわえたままシニカルに笑った。

「あの子は昔っから引っ込み思案で恥ずかしがり屋で、中々友達もできなかった」

「……なるほど」

 思わず相槌を打ってしまったが市道紫帆が引っ込み思案で恥ずかしがり屋だなんて、どうにも想像がつかない。

 認知が歪んでる。いや、親だからこそ分かる部分なのか。

「本当は明るい子じゃないの。でも、スロウ。あんたのおかげで、あの子は明るさを取り戻せた」

「……取り戻せた?」

 妙に引っかかる言い方だ。市道紫帆という少女は、本当は引っ込み思案で恥ずかしがり屋で、だけどスロウのおかげで、今の明るくてちょっとトんでる性格になった。

 いや、違う。市道芙美香は「明るさを取り戻せた」と言った。つまるところ、スロウと出会う前にも今みたいな状態があったのか。

 それはつまり、どういうことなのだろう。本来は暗い性格で、だけど明るさを手に入れて、だけど失って、スロウのおかげでそれを取り戻した。

「そのマントみたいなやつ、なんていうんだっけ?」

 市道紫帆の性格の変遷を頭の中で動かしていると、市道芙美香が話をぶった切って訊ねてきた。

 くいっとポンチョの裾をつまみ上げると、「そう、それ」と短く言う。

「ポンチョだ。限定デザインだよ」

「あぁ、ポンチョ……うちの息子が同じようなものを身に着けてた」

 リラックスパイポを嚙みながら、市道芙美香が呟く。

 息子、という言葉に僕はヘルメットの下で眉間にしわを寄せる。市道紫帆には兄か弟がいたのだろうか。

 そういえば、前に市道紫帆の家に行ったとき、彼女の部屋は2つに分かれていた。広い部屋がパーテーションで仕切られていて、分割されていたのだ。

 パーテーションの向こう側、もう1つの部屋が、彼女の兄弟の部屋だったのだろうか。

「息子は昔っから正義感が強い子でね。ただ運動神経が悪くて、体力もなかった。だけどヒーローに対する憧れだけはあって、あんたみたいにポンチョを羽織って妹を連れ回してたよ」

「今は違うのか? ヒーローへの憧れはもう――」

「もうないよ。全部、なくなった」

 吐き捨てるような言い方に僕の胸の内に違和感が生じる。

 市道紫帆の兄の話だなんて、初めて聞いた。まぁ僕も興味なかったので訊かなかったけど、彼女も兄の話なんて一切しなかった。

 それに、あのとき、市道紫帆の家に行ったときも、そんな気配はしなかった。僕が感じなかったとか、今は家を出て1人暮らしをしてるとか、そう言われればそれまでなのだが、それでも、彼女に兄がいたなんて、想像もつかなかったのだ。

『これは男物のデザインですよ。男性向けブランドの刺繍が入ってます』

 いつだったかの相浦さんの言葉が蘇る。

 僕がいつの間にかケガをしてしまい、市道紫帆が無理やり押し付けてきたハンカチ。男物のハンカチ。

 あれはもしかして、彼女の兄のものだったのかもしれない。

「お兄さんは、今どこでなにを?」

 僕の質問に市道芙美香はすぐに答えず、リラックスパイプをケースにしまう。

 そして、ふぅっとレモンミントの息を吐き、こちらを見上げてゆっくりと口を開いた。

「あの子は、青葉はもういない。なにも残らなかった――」

 陰鬱な表情で、市道芙美香が語る。

 それは、あまりにも暗く、悲惨な過去だった。

 そして僕は、市道紫帆の過去を知り、彼女がなぜヒーローを求めているのかを知った。

 知ってしまった。知らなくてもいいことを、知ってしまったのだ。

 この話が本当だとしたら、市道紫帆にとって僕は――

「……なに? あれ」

 隣に立っていた市道芙美香が呟く。

 なんの話だと思って彼女を見ると、大きく目を見開き、口を開けて斜め上を見ていた。

 市道芙美香の驚愕の表情に面喰いながらも、僕も彼女と同じ方へ視線をやる。

 交差点近くに建ち並ぶビルの奥にはさらに大きいホテルや遊園地の観覧車がある。その中でも一際目立つ特徴的なシルエットのホテルは、僕の父が働いている『コンチネンタルリゾート』だ。

「あれは……?」

 そんな、カッターナイフみたいな外観のそのホテルに、やたら大きな一機のヘリコプターが近づいていた。

 グラグラと、その大きなボディを揺らしながら、ホテルの中腹へ近づいている。

 明らかに高度が足りていない。ヘリポートに着陸する感じでもない。そもそもあのホテルにヘリポートなんてない。

 じゃあどうして、あんな近くを飛んでいるんだ。だってあそこは殆ど客室のフロアだ。

「……まさか」

 そして、最悪の想像は現実となった。

 ヘリコプターは止まることなくホテルに突っ込み、悲鳴とどよめきが巻き起こる。

 遅れて衝撃音が聴こえ、ホテルのものなのか、ヘリコプターのものなのか、砕けた破片が飛び散ってホテルの足元へと落ちていく。

 なにが起こったというのだろう。

 どうしてホテルにヘリが突っ込んだのか。なんの前触れもなく、唐突に異常事態が侵食してくる。

「市道さん!」

 後ろから男の声が聴こえてきた。

 ハッとして振り向くと、市道芙美香の部下らしき男が血相を抱えて近づいてくるところだった。彼もまたあの異常事態に直面し、困惑しているのだろう。

「なにがあったの」

「駐屯地から移動中だった輸送ヘリです。現在情報を確認中ですが、動作不良に陥ったようで」

「そんなの見れば分かる! 消防は!?」

「既に動いています。私達はどう動きますか?」

「……本部から指示があるはず」

 苦虫を嚙み潰したような顔で市道芙美香が答える。

 輸送ヘリが動作不良だなんて。しかもそれが運悪くホテルに激突。父と相浦さんは無事なのだろうか。

 僕はどうすればいい。ぐるぐると思考が駆け巡る中、再び轟音がホテルから聴こえた。

 慌てて顔を向けると、ホテルに突き刺さった輸送ヘリが爆破炎上していた。真っ赤な炎がうねり、ホテルの中へと広がっていく。

 父の顔が思い浮かんでくる。相浦さんの顔も浮かび、燃え盛る炎にかき消される。

 行かなきゃいけない。僕になにができるのか分からないけれど、それでも、行かなきゃいけない。行って、なにかしなければ。

 誰かを、助けなければ――そう思ったとき、僕の身体は既に走り出していた。

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