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5-7

「……もう一度聞こうか。ゆずピは紫帆ちゃんがどこにいったのか知らない?」

 質問を質問で返された。それもさっき聞いたことだ。

 市道紫帆が今どこにいるのか、田喜野井海美はそれを知りたがっている。

 僕は腹の底がチリチリと擦れて痛むような感覚に見舞われながらも、グッと力を込めて睨み返した。

「さっきも言ったでしょう。知らないって。それとも、そんなに彼女がどこにいるかが大事なことなのか?」

「そりゃあね。なにせ市道紫帆は私達にとっても大事な存在だからね」

「……超能力者の僕よりも?」

「ええ、言ったでしょ? 君は世界中に点在する超能力者の1人だって」

 ざわざわと、心が荒れていく。鼓動が早まる。

 核心からあえて逸らした言葉は、むしろ僕が抱いた疑念をよりくっきりとかたどっていく。

 これ以上はいけないと、僕自身が警告を叫ぶ。

 今ならまだ間に合う。この場から立ち去れ。そうすれば、平穏な日常に戻れる。

 分かっている。分かっているのに僕は、この場所から動くことができなかった。

「市道紫帆とこれまで一緒にいて、ゆずピはなにも感じなかった?」

 田喜野井海美が冷たい表情で詰めてくる。

 これまで見せてきた笑顔は全部作り上げたもので、本当の彼女はずっとこうなのだろう。

 そんな的外れなことを考えながらも、僕は怪訝な表情を浮かべることしかできなかった。

「コンチネンタルリゾートでのリストラされた元社員の殺傷騒ぎ、放課後デートの最後に起きたひったくり。君が『スロウ』になるアイテムを手に入れたその日に発生した地下鉄の通り魔事件。さらに君が『スロウ』になってから急激に発生した数多くの犯罪。極めつけはレストランの人質立てこもりテロ。あの超能力者は、私達も存在を認知していなかった。突然現れたの。ゆずピが市道紫帆に自分以外の超能力者がいるかもしれないって話をした後にね」

 おかしいとは思った。思ってはいた。だけどそれを異常とは思わなかった。思うはずがない。

 だってそういうものだ。不思議なものだけど、異常ではない。たとえ異常だと認識してもそれをどうにかできない。運命に干渉するなんて不可能だ。

 僕が住んでいるY市の突然の治安の悪化。スロウを名乗ったその日から頻発する事件。そして超能力者。なんでこんな立て続けにとは思っていたけど、その根本をどうにかしようなんて、思ってすらいなかった。

 全ての事件に黒幕がいて、何もかも操っているだなんて、それこそコミックブックの世界の話だ。

 僕はただ、起きた事象に慌てて対処することしかできないというのに。

「そして今は、これまで上がりっぱなしだった犯罪発生率が下がっている。警察も行政もこれといった対策なんてしていないのに。この街から『スロウ』が活動しなくなってから」

 もう1つ、違和感があった。田喜野井海美は監視任務についているとは言っていたが、監視対象が僕だけとは言っていない。

 それに彼女はさっきからずっと言っていた。僕は世界に点在する超能力者に過ぎないと。

 もしも僕ではなく、別の超能力者――それが市道紫帆だとしたら、これまでの行動も説明はつく。

 本来は御法度なはずの監視対象への接触、つまり僕とのコンタクトは本命である市道紫帆の情報を得るために必要なことだったのだ。

 だが市道紫帆自身には接触していない。もしコンタクトをとっているのなら、僕に連絡がきているだろう。

 レストランでの立てこもり事件の時にタイミングよく僕に話しかけてきたことも、なんとなく分かってくる。あのとき僕は自分の推論を信じていたが、なぜあの場所にいたのか、なぜ僕に協力を持ち掛けてきたのか。彼女自身の口から具体的に話すことはなかった。

 本当は市道紫帆の監視任務だったのだ。人質となり窮地に陥ってしまった彼女。放っておくことはできないが、接触もできない。だからスロウに協力したのだ。

 にしても、田喜野井海美の言い方は大仰だ。それじゃあまるで、この世界が彼女の――

「市道紫帆の望み通りに、この世界は作り上げられた。そんな言い方だ」

「作り上げたんじゃなくて書き換えられたの。市道紫帆は現実改変能力を持っている」

 ようやくくっきりとした言葉が出てきた。

 現実改変能力。超能力者である僕が抱いていい感想ではないが、随分と現実離れした能力だ。

「市道紫帆の心の中にある感情や思い出、そして理想を、ランダムに掬いあげて現実に発現させている。そしてその変化は、誰にも気づかれない。これまでの事件、特にスロウが関わった事件はほとんど彼女の超能力が原因」

 市道紫帆は自分にとっての『ヒーロー』が欲しかった。

 さらにヒーローには唯一正体を知るヒロインがいる。彼女はそれになりたかった。

 当然、ヒーローは魅力的な存在でなければならない。傷つきながらも人々のために戦う。そんなストーリーが必要なのだ。

 そうしてスロウは生まれた。様々な敵を倒し、ときに自分と同じ超能力者と戦わせることで、スロウの成長を促したのだ。

「彼女の現実改変能力は危険なの。今は偶然市内での被害に収まっているけど、その気になれば世界を滅ぼすことだってできる」

「どうして彼女が超能力者だって気付いたんだ。現実改変は誰にも気付かれないんだろ?」

「普通に生きている人達は、という意味だよ。まぁ私達ですら気付いたのは最近だったけど」

「最近? 昔から現実改変は起きていたのか?」

「悪いけど、詳しいことを話してる時間はない。いなくなった彼女を――」

 話の途中で、田喜野井海美が耳に手を当てた。

 耳の裏に通信機でも仕込んでいるのだろうか。手を突き出して制止され、僕は机に手をついた状態で彼女を睨む。

「見つかったの? そう……ええ、じゃあその地点から半径5キロまで範囲を広げて。絶対に確保すること。それと、抵抗するようならこう伝えて。あなたのヒーローの命はあなた次第だと」

 耳を疑った。今この人は一体なにを言ったんだ。目を丸くして田喜野井海美を見上げる。しかし彼女は冷たい表情で僕を見下ろすだけだった。

「……どういうことだ。田喜野井先輩。アンタ達の任務は市道紫帆の監視じゃなかったのか?」

「また思い込んでる。なんのリスクも、コストもなく、思うだけで現実改変をする人間を、どうして監視任務だけで済むと思ったの?」

「……彼女になにをするつもりだ」

「コントロールするだけだよ。市道紫帆という人間をね。それか……永遠に消し去るか」

 フッと、まるでスイッチを切り替えるかのように、田喜野井海美の表情が消え失せる。

 冷たさすらない虚無の表情。そこにいるのに、いないかのような奇妙な感覚。背中を怖気が駆け抜けていく。

「消し去るってなんだよ……殺すってことか」

「私はね、ゆずピ。あのレストランでの立てこもり事件で君が倒した超能力者を取り調べたの」

 僕の質問には答えず、田喜野井海美がまた別の話を始める。

「彼に特別な思想や経歴はなく、あまりにも普通の人間だった。当然テロの知識なんてなくて、ただ、ある日気付いたら超能力を使える人間になっていた。それだけなの」

「それが不自然だって言うのか」

「かなりね。彼には超能力で人を傷つける葛藤もなければ罪悪感もなかった。それどころか手に入れたときの動揺すらなかったの」

「悪人なんてそんなもんだ」

「彼が超能力を手に入れたのは、事件が起きた前日の夜のことだったといっても?」

 初めて聞く情報だった。僕は机に手をついたまま困惑を示すようにゆっくりと首を横に振る。

「そして事件が終わった後の彼は、ほとんど抜け殻みたいな状態で、超能力も喪失していた。小さな羽毛すら動かせなかった。どういうことか分かる? 彼の役目は終わったの」

 役目。市道紫帆が生み出した物語の一幕での役目。超能力者としてスロウの前に立ちふさがり、その力でヒーローを追い詰めるという役目が彼にはあった。

 そして物語は無事に終わり、彼の役目は終わった。残ったのは空っぽになった自分。かつての人生を取り戻すことなどできず、そこには空虚な自分しかいない。

「市道紫帆の現実改変能力は今ある現実の上書きでしかないの。物語が終わっても、コンチネンタルリゾートのワンフロアは修繕が必要で、自衛隊の輸送ヘリだって1機失っている。そして人間も、怪我をしたまま。恐怖の思い出がこびりついている」

「だからって、彼女を殺すのが正しい方法とは思えない」

「ええ、私もそう思う。より善い選択とは言えないし、正しい方法とも思えない。だけど、迅速な解決ではある」

「……それが、アンタ達の選択なのか」

「『世界』という名のOSに異常なプログラムが発生した。ウイルスと判断してプログラムを弾くか、OSの仕様を書き換えてプログラムを組み込むか。答えは簡単、プログラムを特定し、消去すればいい。それが組織の判断」

 あまりにも残酷な結論だった。これは田喜野井海美が出した答えなのだろうか。それとも、彼女が所属する『組織』による決定なのか。

 いや、そんなこと今はどうでもいい。このままここでジッとしていれば、市道紫帆は最悪殺されてしまう。むしろ田喜野井海美はその『最悪』を望んですらいる。

 これまで以上に恐ろしいことが起きる前に、完全に火種を消し去っておきたいのだ。

 田喜野井海美よりも先に、市道紫帆の元に辿り着かなければ。手に力を込めてグッと席から立つ――胸の中心に赤い点がいくつも現れた。

「動かないで、ゆずピ」

 チラチラと動く赤い点。視線だけ動かして視聴覚室内を見回すが、なにも見えない。

「君が動いたらもし紫帆ちゃんを見つけたとき、言うことを聞かせられなくなる。しばらくここで大人しくしてもらう」

「……こんなことで僕を止められると思ってるのか。僕の超能力がどういうものなのか、知ってるんだろ?」

「知ってる。君の超能力は対象を認識しなければ仕掛けることができない。つまり、見えないところからの射撃だったら? 当然、銃弾を捉えることだってできやしない」

 田喜野井海美の解説に、僕は眉間にしわを寄せるだけだった。

 この視聴覚室の出入口はひとつしかない。窓はなく、換気口だけで、後は準備室らしき部屋への入り口が見えるだけ。

 どこかに田喜野井海美の部下が隠れ、僕を狙っているのだろう。ならば、やりようはある。

「ひとつ、訊きたいことがある」

 グッとお腹の下に力をいれて、田喜野井海美と向き合う。

 彼女は虚無の表情のまま、緩く腕を組んで小首を傾げた。

「なにか企んでる? 時間稼ぎのつもり?」

「そんなことしても意味ないって分かってるでしょう。純粋に気になったんですよ」

「……いいよ、なに?」

「どうして、今彼女のことを殺そうとしてるんだ。彼女の超能力は昔からあったんだろ?」

「言ったでしょ。現実改変を観測できたのが最近だったの。そう……君が紫帆ちゃんと出会って、彼女がヒーローを望んだから」

 あのとき、市道紫帆をあの不良っぽい先輩、林先輩だったか。彼らから助け出したあのとき――いや、それよりも前、僕が是善高校の学校見学に行ったときだ。

 階段から落ちようとした市道紫帆に超能力を使って助けたあのとき。既に市道紫帆の現実改変は始まっていたのかもしれない。

「そっか……僕も一因だったってことか」

 フッと自嘲する。それならなおさら、市道紫帆を見捨てるわけにはいかない。僕がすべての元凶とまではいかないが、それなりに責任はあるのだ。

「今は動かないほうがいいよ。少しでも動けば撃つように命令してある。私の部下は私を『愛している』から命令は忠実に実行する」

「構わないよ。その前に動くまでだ」

 バッと両腕を真横へと突き出す。

 同時にパシュッと空気が抜けるような音が聴こえ、そして視聴覚室が――いや、旧校舎に流れる時間がスロウになった。

「はぁっ! はぁっ! がはっ! ごほっ! あぁもうっ、くっそ!」

 足がふらつき意識が揺れる。こんな規模で仕掛けたことなかったのでさすがに負担が大きい。

 だが急がなければ。少なくとも、この旧校舎から脱出しなければならない。

 通学用のリュックを持って教室を出る。スロウになった世界で僕は急いで階段を降りて、外へ出た。

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