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5-10

 スロウが着ているスーツと同じデザインのパーカーがセール価格で売られていた。

 癪ではあるけど仕方ない。もう数週間はスロウとして活動していないのだ。

 ひとまずそれを買って、制服のブレザーをリュックにしまう。シャツとスラックスだけなら特定されることはないだろうし、パーカーを着てればなおさらだ。バレるわけがない。

 それに僕にはこのマスクがある。別に相手は林先輩なので水瀬柚臣のまま行けばいいのだが、彼女がそれを望まないだろう。

「……意外とあっさりだな」

 新品のパーカーを着て、市道紫帆お手製のマスクをかぶった状態で港近くを航行中のクルーズ船の船尾に降り立つ。

 現在港湾内を航行中のクルーズ船は1隻のみだった。念のため港に辿り着いた時にクルーズ船が停まっていたので降りてくる客を観察していたが彼女らしき人影は見当たらなかった。

 おそらくここだろう。ここまで送ってくれたボートを見送りつつ、僕は前を向く。

 ボートの持ち主には事情を説明した。誘拐された女の子を助けるために貸してほしいと。

 当然のことながら最初は信じてくれなかった。彼の目の前で超能力を使うまでは。

 拒否されたら超能力を仕掛けてその隙に拝借しようと思ったが、意外なことに快く了承してくれた。

 それどころか、目的地まで連れて行ってやるとすら言われた。なんでも彼の妻は宝石店に勤務している女性で、かつてスロウに助けてもらった恩があるとのことらしい。

 思わぬところで助けてもらえた。人助けはするものだ。

「さて、さっさと片付けるか」

 まずは彼女に会う。そして田喜野井海美が所属している組織の話をして、それから――

「……それから、どうするんだ?」

 自分で考えながら分からなくなってしまった。組織の人間は市道紫帆を狙っている。身柄の確保、最悪の場合殺してもいいと判断している。そんな連中からどうやって逃げるというのだろう。

 この場を凌いだとしても相手は国際的な諜報機関だ。相手をするには大きすぎる。

 僕の力で市道紫帆を守れるのだろうか。

 悩みながらも僕は船内へのドアを開ける。どうにもならないかもしれないけど、後のことは彼女を助けてから考えよう。

 パタンっとドアが閉まり、クルーズ船の乗客が一斉に僕を見て――睨みつけてきた。

 人数は10人。しかも全員高校生で、備え付けの座席に寝転がったり背に座ったりしている。見るからにガラが悪い。

 まさかここにいるの、全員あの林先輩の手下とかじゃないだろうな。

「なんだこいつ」

 1人の男がポケットに手を突っ込みながら近づいてくる。

 嫌な目つきを向けてきながら僕の前に立ち、ポケットから手を出した。

「変な恰好しやがって、なめてんのか?」

 男が手を伸ばしてくる。マスクに触れる寸前で手をあげて男の右腕を掴んだ。

 ギリッと力を加えると男が「ぎゃっ!」悲鳴を上げる。そのまま膝で腹を打ち、崩れたところで振り払う。

 ドサッと音が鳴って男が倒れ、残る9人が呆然とする。

「そういえば言うの忘れてた」

 男が倒れたところで僕は彼らに向かって言う。

 マスクのせいで声が籠り気味だからしっかりハキハキと喋らなければ。

「ここに女の子がいるだろ? 美少女。君たち知ってる?」

 男達に問いかけると、彼らは少したじろぎながらも僕を睨みつけてきた。

「なんだてめぇは! いきなり出てきて好き勝手してんじゃねぇぞ!」

「ここは今貸し切りなんだよ! どっから乗ってきたか知らねぇがさっさと降りろ!」

「それとも降ろしてやろうか! 力ずくで!」

 ぎゃあぎゃあと男達が騒ぐ。それどころか近くの丸テーブルに置かれていたエナジードリンクの瓶を投げつけてきた。

 回転しながら迫る瓶に僕は何も言わず無言で右手をかざす。

 超能力をかけられた瓶は空中でスロウになり、その光景を見てぎゃあぎゃあ騒いでいた男達は一瞬で静かになった。

「こいつまさか……」

「お察しの通り、僕は君たちがスロウって呼んでる……ヒーローだ。自分で言うの、正直恥ずかしいんだけどね」

 肩を竦めおどけてみると、男達は互いに目を合わせる。

 まぁ驚くのも無理はない。来るとしたら水瀬柚臣だというのに、最近めっきり姿を見せなくなったヒーローは現れたのだから。

 にしても自分でヒーローを名乗るのマジで恥ずかしいな。マスクがなかったら絶対無理だった。

「ここに来る途中でとある高校生に会ってね、大事な人がゲス野郎に攫われたって。困ってる人を助けるのが僕の仕事。ということで、彼女の居場所。教えてもらっていい?」

「ふざけんな!」

「そう言うと思った」

 目の前でスロウになっている瓶を取り、そのまま男に投げる。

 顔面ヒット。男が倒れるのを見ながら僕は飛び出した。

 天井スレスレで跳び蹴り。1人ノックアウトして、捕まえようとしてきたもう1人にすかさず蹴りを繰り出す。

 これも顔面ヒット。残った6人の男達がアルミ製のスティックとかバットとか、とにかく長物の武器を持って僕に向かってくる。

「囲んで潰せ!」

 6人のうち誰かがそう言った。サングラス越しに見える敵が散らばって同じタイミングで突撃してきた。

 面倒だ。全員の相手をする必要はないだろう。

 ひとまず目の前の男をスロウにして、その隙をついて囲いから脱出する。5人は攻撃が空振りとなり、そのままスロウになっている男の股間を蹴り上げた。

「があぁあぁあぁあぁ!!!」

 今日一番の絶叫だ。股間を押さえて激しく悶える男に「悪かったよ」とだけ言って掴んで放り投げる。

 投げた先は当然、攻撃が空振りして固まっていた5人の男達だ。

「あぁあぁあぁっ!!!」

 股間を蹴られた男が叫びながら仲間にぶつかる。固まっていた男達はそのまま仲良く後ろへ倒れた。

「仕上げだ」

 丸いテーブルを掴む。太い柱部分を掴んで思いっきり引き上げるとメキメキと音が鳴って床板ごと剥がれる。

 船の上ということで固定されていたらしい。それなりのサイズの丸テーブルを持ち上げて、固まっている男達へ投げた。

「「「うわあぁあぁあぁっ!!!」」」

 6人の男達が悲鳴をあげる。丸テーブルがぶつかる前に、僕は右手をあげる。

 今にも落ちようとしていた丸テーブルが空中でスロウになり、男達の速い呼吸の音だけが聴こえてきた。

 このくらいでいいだろう。室内を見回すとおそらく上の階に繋がっているであろう階段を見つけた。船の大きさから見て船外に出れるかもしれない。

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