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5-11

 ショックで固まっている男達をよそに僕は階段をのぼる。丸い窓がついたドアを開けると、そこは船首部分のオープンデッキだった。

 だがここに市道紫帆はいない。あるのは簡素な椅子とテーブルだけ。もしかして探す船を間違ったのだろうか。

「来たな水瀬柚……って誰だお前!」

 後ろから男のが鳴り声が聴こえてきた。良かった。どうやらここで合っていたらしい。

 振り向くとさらに上へのデッキへとあがる短い階段があり、そこに林先輩と市道紫帆がいた。

 林先輩は手にナイフを持っていて、市道紫帆は椅子に縛り付けられて口にダクトテープが貼られている。

 短い階段をのぼり、2人の前に立つ。林先輩はかなり困惑しているようで、口を開けたまま僕を見ていた。

 一方市道紫帆は別の意味で困惑していた。そりゃそうだろう。このマスクを持っているのはこの世界では水瀬柚臣だけなのだから。

「おい! なに近づいてきてんだ! 誰だか知らねぇけど――」

「船の中じゃなくて、これじゃあ船の上じゃないか。理想のシチュエーションとは言えなくないか?」

 林先輩を無視して僕は市道紫帆へ話しかけた。

 彼女が目を見開き、モゴモゴと口を動かす。お喋りな彼女のことだ。あの状態はかなり辛いだろう。

「てめぇ無視してんじゃ――」

「うるさいよ」

 サッと右手を振って林先輩をスロウにする。歩いて近づいてそのまま腹を蹴ると、船尾部分のデッキへと落ちていった。「ぐがぁっ!」と悲鳴が聴こえ、デッキで倒れている彼をもう一度スロウにする。

 これで邪魔者は消えた。僕はそのまま振り向いて縛られている市道紫帆の元へ近づく。

 まずは口に貼られているダクトテープを剥がす。彼女の小さな頭に手を添えてそっとテープを剥がす。

 ペリペリと丁寧に痛くないように、ゆっくり剥がしていき、やがて全部剥がすと、彼女はぷはぁっと息を吐き、すぐに深く息を吸いこんだ。

「なんで! 助けに来たの! 頼んでないのに!」

 かなり近い距離だというのに市道紫帆が叫ぶ。マスクの下で顔をひきつらせながらも、そのまま身体を固定しているダクトテープも剥がしていく。

「僕はスロウだからね、困っている人を助けたい」

「ヒーローなんて、やりたくないんじゃなかったの」

「ヒーローが嫌だったわけじゃない。君の思い通りになるのが嫌だっただけだ」

 ダクトテープを剥がしていると、ポタッと水滴が落ちてきた。

 雨が降るような天気ではない。顔をあげるとやっぱり彼女が泣いていて、大きな目から大きな涙をこぼしていたのだ。

「僕は、君のお兄さんとは違う」

 しゃがみ込んだまま市道紫帆の顔を覗き込む。

 殆ど拘束が解けて自由になった彼女の左手に触れて、上からそっと握りしめる。

「僕は僕だ。水瀬柚臣だよ。ちゃんとここにいる。君を残して消えたりしない」

「……そんなの、嘘だよ」

「嘘じゃない。現にこうして君を助けに来て……いや、そうじゃないな。こんなことを言いたいわけじゃないんだ」

 ダクトテープを完全に剥がし、拘束を解く。

 自由になった彼女の両手を握り、立ち上がらせて引き寄せる。

「ごめん、あのとき、君に酷いことを言った」

「……あのときって」

 市道紫帆が目を丸くして僕を見上げる。マスクをしてて良かった。僕は今かなり恥ずかしい顔をしているから。

「君の過去を知ってたはずなのに、君の想いをないがしろにした。もっと、冷静になるべきだったんだ」

「そ、そう言われると、紫帆も自分勝手なことばっか言っちゃったし……」

「僕は君のことが好きだ」

「へぇっ!?」

 素っ頓狂な声をあげ、市道紫帆がのけぞる。

 見る見るうちに小さな顔が赤くなり、目をぐるぐると回し、口をわなわなと震わせた。

「な、なんで急に。なんでそんなこと言うの?」

「ちゃんと言わなきゃいけないって思ったんだ。君に強引に振り回されて、ヒーローにされて、唯一の正体を知っているヒロインって存在に、僕の方が夢中になってたんだと思う」

「待って、待って待って。そんなまっすぐ言わないで」

「だからあのとき、君の過去を知ったとき、ショックだった。亡くなったお兄さんの代わりにされたって、思ったんだ」

 僕の言葉に市道紫帆は少しだけ正気を取り戻し、顔を赤くしたままハッとする。

 そっと握っていた手を握り返され、少しだけ近づいてきた。

「……お兄ちゃんは、私にとってヒーローだった。どこにいてもすぐに助けてくれた。私だけじゃなくて、色んな人を助けてた。自分の手に負えないものでも、必死になって助けようとして、怪我をして、ボロボロになって、それでも、「助けられた」って言って喜んでたの」

 彼女の目から再び涙がこぼれる。

 僕を見上げながら亡くなった兄を語る。たからものに触れるように、そっと、柔らかな声色で語り、そして――僕の胸元に縋りついてきた。

「大好きだった。本当に大好きだったんだよ。どんな人でも助けようとするお兄ちゃんが私は大好きだったの」

 握りしめる手の力が強くなる。

 あのときのことを思い出しているのだろうか。それとも、兄との楽しかったことを、笑いあったことを思い出しているのだろうか。

「でも、お兄ちゃんが、あの火災で死んじゃって、いなくなった。お兄ちゃんはあんなにたくさんの人を助けたのに、お兄ちゃんを助けてくれる人はいなかった。ヒーローはいなかったの」

 だから彼女は、ヒーローを求めた。自身の願望を隠れ蓑にして、誰かを助けてくれる存在を、ヒーローすら助けてくれる存在を求めたのだ。

 縋りついて泣きじゃくる彼女に、僕は腕を回す。

 震えている女の子をそっと抱きしめて、頭を撫でた。

「僕がヒーローになる。君のお兄さんみたいにはいかないかもしれないけど、水瀬柚臣として、スロウとして、たくさんの人を助けたいんだ。だから……君は僕の傍にいてほしい」

 髪を撫でながら半歩さがると、市道紫帆が顔をあげた。涙はいつの間にか引っ込んでいて、泣いたあとだけが見える。

「何度も言うようだけど、僕は君のお兄さんみたいに強い人間じゃない。ヒーローをやっていて、しんどくなるときがくる。そういうとき、正体を知っているパートナーがいると、なんていうか……その、すごく、助かると思う」

 最後だけ締まらなくなってしまった。

 マスクの下で苦笑していると、市道紫帆が僕を見上げてクスっと笑う。

「助かるって、どういう感じに?」

「そりゃ……癒される? とか。もう少し頑張ろうって思える……とか?」

「そうなんだ……じゃあ今は? 癒されたい?」

「今? いや、今は別に」

「癒されたくないの?」

「あー……癒されたい、癒されたいかな」

「わかった」

 市道紫帆が手を離し、マスク越しで顔に触れる――と思ったら、首元あたりへと指を滑らせて、マスクの端を掴んだ。

 ゆっくりと、マスクがあがっていく。口が出たところで止まり、彼女がそっと頬に触れる。

 動くことができない僕に対して、市道紫帆がグッと背伸びをして近づく。

 目をつぶったその瞬間、唇に柔らかい感触が伝わる。微かな吐息がまとわりつき、甘い匂いが広がる。

 ちゅぅっと可愛らしい音が耳の中で響き、互いに同じタイミングで口を動かして啄む。

 彼女がそっと手を離す。超能力を使っていないはずなのに、時間が遅くなった気がした。

「……キス、しちゃったね」

 市道紫帆が恥ずかしそうに言う。未遂を挟んでの2回目のキスだというのに、まるで初めてしましたみたいな言い方だ。

 そういえば、この『マスクの下半分をずらしてのチュー』は彼女の作戦というか、やりたいことでもあったっけ。

 そういう意味でいえば、初めてのキスなのかもしれない。

 やはり僕は市道紫帆にコントロールされている。分かっていたことかもしれないけど、面白くはないな。

 どうせなら僕の方からコントロールしてみたいものだ。恥ずかしそうにはにかんでいる彼女を見下ろし、僕はフッと短く笑い、相手の腰に腕を回した。

「……ん? 柚臣くん?」

「もっかい」

 返事も待たず彼女を抱き寄せてキスを迫る。

 すぐにまた唇が触れ合って――

「うん、仲直りできて良かったね、2人とも」

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