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第二十三話 ティンティン見ぃ付けた

 苔むした「灰色」の大噴水。それを囲む「灰色」の石畳。石畳の上には古ぼけた木製のベンチが幾つか置かれていた。


 王立オーティン大学講堂、中庭。


 講堂の中心に位置する場所であるが故に、それなりに人が通る場所だ。

 だが、汚い。大噴水にへばり付いたコケや、石畳を覆う雑草が、灰色に余計な緑を加えている。いい加減、「ちゃんと掃除しとけ」と言いたくなるところだ。


 しかし、学生の本分は飽くまで勉強。この大学の学生達も、「掃除する暇が有ったら本の一冊でも読んでいる」という、本の虫ばかり。そのような状況にあって、「外で遊びまくっている学生」がいたならば、それは――目立って当然だった。


 時刻は正午過ぎ。

 年代物のベンチに、見目麗しい女子学生が座っていた。


 アリアナ・ティルト。ティン王国南方の大領主、シムズ・ティルト侯爵の娘(長女。下に弟と妹が一人ずつ)。


 アリアナは「超」が付くほどの真面目な学生だ。今は静かに本を読んでいた。

 何を読んでいるかと言えば、「ティン工学概論」。少なくとも、表紙にはそのように表記されている。しかし、実はそれ、中身が違う。

 工学概論のカバーの下は、巷で流行している「恋愛小説」だった。


 私も、もう少し殿方のことを勉強しておきませんと。


 いつぞやの「男は皆おスケベ事件」以降、アリアナの恋愛学習に拍車が掛かっていた。勉強熱心なのはいいことだ。

 しかし、「真面目」という評価は、今後考えた方が良いかもしれない。

 それはそれとして、アリアナ本人としては時間が許す限り読書し続けているつもりだった。

 ところが、アリアナが本を読んでいると、彼女の耳に「楽しげな声」が飛び込んできた。


「逃げろ、逃げろ」

「掴まっちゃ駄目」

「逃しませんわっ」


 アリアナは「追いかけっこ」を想像した。それを確認しようと、彼女は声が上がった方向に視線を向けた。


 手入れの行き届かない石畳の上で、駆け回っている三つの人影が有った。それぞれ「子ども」と直感するほど小柄だった。

 三人内、二人は十歳にも満たないほど幼かった。二人の衣装は、市井の子ども達の者と大差ない。それぞれの額と蟀谷から生えたティンも「一般ティン族並み」だ。その事実を直感して、アリアナは一つの可能性を想像した。


 大学関係者のお子様かしら?


 国内最高峰の大学となれば、子連れの学生もいる。年の離れた兄弟の面倒を見ている者もいる。

 果たして、どちらの可能性が「当たり」なのか? アリアナは残る一人を見た。


 その少女は、アリアナと同い年くらいだった。しかも、大学の制服を着ていた。

 アリアナと同い年くらいの女子学生。その条件に当て嵌まる人物を、アリアナは一人しか知らない。それが「当たり」か否かを確認することは、実はとても容易だった。


 遠目でも、ハッキリそれと分かるデカいティンティン。それを直感した瞬間、アリアナの脳内に相手の名前が閃いた。


 リザベル様ではありませんか。


 アズル辺境伯令嬢リザベル・ティムル。学内、いや、国内随一の超有名人だ。その事実を直感した瞬間、アリアナの額に汗が滲んだ。


 あの子達が――危ない。


 アリアナの脳内に「妖刀リザベルズ・アイで斬り刻まれる幼児の顔」が閃いた。それと同時にアリアナの腰が浮いた。そのまま走り出そうとした。

 ところが、アリアナの体がピタリと止まった。


 あれは――「仮面」でしょうか?


 アリアナの視界に、リザベルの顔が映っていた。そこには、目の辺りだけを覆う仮面が付いていた。

 それ、実はリザベルの自作なのだ。料理は下手でも、工作は得意なのだ。


 リザベルも、自分の視線の鋭さを気にしていた。そこで、視線を遮る為の仮面を創った訳だ。

 しかしながら、普段使いするには余りに奇異なアイテム。余程のことが無い限り着用することは無い。

 今回の場合、幼児を傷付けないようにと気を付けた訳だ。


 リザベルの仮面は、飽くまで相手を傷付けない為の道具だった。しかしながら、戦場では顔を守る防具だった。


 後に、仮面を付けて戦場を掛けるリザベルは「赤いティンティンのリザ」と呼ばれた。通常の箱入り貴族令嬢の三万倍(控え目な表現)の戦闘力を誇る戦鬼として、他国から恐れられる存在になる。しかし、それはもう少し後の話。今は王城の敷地内で用事を追いかけ回す変態――いや、可愛らしいお姉さんだった。


 これ守衛にお伝えした方が良いのかしら?


 アリアナは少し考えた。しかし、直ぐ様首を横に振った。その直後、彼女の顔が能面のような無表情になった。


 他者に干渉するなかれ。


 アリアナは自戒した。感情を押し殺した。その「他者への無関心」が、王国南方領領主シムズ・ティルト侯爵令嬢として生まれた彼女の処世術だった。その鍛え抜かれた「無の境地」を駆使すれば、現況で読書を続けることも容易だ。そのはずだった。

 ところが、アリアナの視線はリザベル達の方に向いたままだった。一体、「何が」彼女の視線を釘付けにしていたのか? それを一言で言えば「幼児に対する無慈悲な仕打ち」だった。


 アリアナの視界の中で、二人の幼児達が必死に逃げ回っていた。その見た目に見合わず素早い。しかし、相手が悪過ぎた。


「逃がしませんわ」


 リザベルが宣言した瞬間、二人の幼児の体がフワリと浮いた。


「「「!?」」」


 二人の幼児が息を飲んだ。それと同時に、アリアナも息を飲んでいた。

 アリアナの視界には、「両腕に二人の幼児を抱えるリザベルの姿」が映っていた。


 速い――流石です。


 アリアナは、リザベルの運動能力の高さに感心していた。その一方で、「大人気ない」とも思っていた。


 これでは勝負になりませんね。


 リザベルは、両腕に用事を抱えて「おーっほっほっほ」と高笑いしていた。その様子を見ながら、アリアナは溜息を吐いた。

 正直、アリアナは心底呆れていた。「早く解放しなさい」と思った。しかし、リザベルによる「弱者蹂躙」は終わらなかった。


「それでは攻守交代ですわ」


 今度は幼児達がリザベルを追い掛ける番のようだ。その言葉が、遠く離れたアリアナの耳にも入っていた。


 鬼ですね。


 リザベルが本気で逃げたならば、それに追い付ける者は、少なくとも王国では唯一人、王国第一王子デッカ・ティンしかいない。

 幼児達は、体力の続く限り追い掛け続ける羽目になるだろう。その可能性を想像して、アリアナの口から再び溜息が漏れた。


 しかし、アリアナの憂うつは具現化しなかった。マサクーンの神様は有情だった。彼の御仁は幼児の一人に「天啓」を与えていた。


「お姉ちゃん、次は『かくれんぼ』」


 かくれんぼ。その言葉は、遠く離れたアリアナの耳にも入っていた。


 その手が有りましたか。


 アリアナは右拳を作って、その小指側で左掌をポンと敲いた。

 かくれんぼであれば脚の速さなど関係無い。アリアナは「天啓を得た幼児」の聡明さに感心した。


 後は、リザベル様が承知するかどうか。


 アリアナはリザベルに期待の眼差しを向けた。その想いに、リザベルは即応した。


「分かりましたわ」


 リザベルが承諾すると、二人の幼児達は笑った。幼児らしい無垢な笑顔だった。しかし、それを見たアリアナの眉根が、ほんの少し歪んだ。


 何か、策がお有りのようですね。


 幼児の策。それが如何なるものか、アリアナには想像が付かなかった。しかし、かくれんぼが始まると、文字通り「目に見えて」理解できた。


 このとき、リザベルは中庭の茂みの中に身を伏せていた。手入れが行き届いていないので「視界ジャック力」が高い。リザベルの小さな体は丸ごとスッポリ収まっていた。

 ところが、幼児達は速攻でリザベルを見付けていた。「その理由」が、二人の口を衝いて飛び出した。


「「ティンティン見ぃ付けた」」


 リザベルの長大なティンティンが茂みから突き出していた。その様子はアリアナの目にも映っていた。

 しかし、当のリザベルは、


「えっ!? 嘘ですわっ、完璧に隠れていたはずですのに」


 全く気付いていない様子。リザベルの困惑振りを見た幼児達は、ケタケタと笑いながら「リザベルの頭」を指差した。


「お姉ちゃんの――」「ティンティンが見えてたよ」

「ええっ!? そんな、まさかですわっ!?」

「だって、お姉ちゃんのティンティン、とってもデカいもん」「隠し切れないよ」

「何てことっ、ですわっ!!」


 万能と思われたリザベルにも苦手な遊びが有った。その事実は、幼児達の口から王都中に広がってしまった。その結果、ティン王国に新たな諺が誕生した。


「頭隠してティンティン隠さず(捕まる)」


 意味としては「どんなに万能に見える者でも弱点が有る」といったところ。

 尤も、その諺が適用できる者は限定的だ。惑星マサクーンに於いてはリザベルとデッカ、後はティン族の守護神「フルティンオーカイザー」だけだろう。

 後年の者にとって、件の諺は「地球の故事成語級」に難解だ。頑張って覚えてね。

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