トウヤを助けてから一週間が経った。
家の者に事情が知られると面倒なので、毎日こっそりと彼に食事を運んだ。
トウヤの傷はほとんど塞がっていた。
人間であれば全治一ヶ月……いや、それ以上かかるところだが、彼の体は驚異的なスピードで回復していた。彼の生命力によるものか、はたまた妖魔とはこういうものなのか、見習いの楪はまだ知る由もなかった。
「はぁ、はぁ……遅くなっちゃった。急がないと……」
その日、楪は森の中を走っていた。
いつもならば修行を終えている時間だったが、今日は珍しく苦戦してしまったのだった。
「私、ちょっと疲れてるのかなぁ……?」
走りながら考えを巡らせる。
気のせいかもしれないが、近頃霊力の出力が落ちているような気がしていた。
「まさか、ね……」
ようやく小屋についた頃には、夕方になっていた。
一応ノックしてからガラガラと扉を開ける。
「ごめんなさいトウヤ! ちょっと遅くなっちゃっ……て……あれ?」
小屋の中に彼の姿が見当たらない。
慌てて隅々まで探したが、どこにもいない。
「え、嘘! もしかして、もう出ていっちゃったの!?」
慌てて彼を探そうと小屋を飛び出す。
ドンッ!
「わっ!」
何かにぶつかり、その反動で吹き飛ばされてしまう。
楪が顔を上げると、入り口に人が立っていた。
身長180cmほどの、がっしりとした体躯。
長いボサボサの髪に、筋肉質で引き締まった体。腰には布が巻かれていた。
見たことのない男の出現に一瞬ひるんだが、楪にはどこか見覚えのある顔立ちだった。
「もしかして……貴方、トウヤ?」
「……」
男は少し恥ずかしそうな素振りを見せながら、こくりと頷いた。
「……君がなかなか来ないから、心配で少し外に出てみたんだ。よかった、無事で」
「ごっ……ごめん! 今日は珍しく手間取っちゃって……それにしてもトウヤ、その姿……?」
「あぁ……今日になって、やっとこの姿に戻れたんだ。俺たち妖魔は人間社会に溶け込むために、こうした変化の術を身につけている。怪我のせいか、今まで上手くできなかったが、君の看病のおかげでここまで回復出来た。ありがとう楪」
トウヤは感謝を込めてそう言い、楪をじっと見つめた。
真剣な眼差し。夕焼けに照らされたトウヤの顔を見て、楪の心臓は訳も分からず鼓動を速めた。
「へ、ヘぇ〜……よかったね! 顔色もよさそうじゃない。それにしてもトウヤって結構、男前だったんだね……! って何言ってんだろ私……。じ、じゃあ私、もう行くね……あ! ご飯は中に置いてあるから! また明日ね!」
(どうして……?トウヤの顔、まともに見れなかった……)
逃げるようにその場から立ち去ろうとすると、突然トウヤに腕を掴まれた。
「待ってくれ、楪……!」
反射的に振り払おうとしてしまう。しかしトウヤの力は強く、離そうとしない。
「ど、どうしたのトウヤ……?腕、痛いよ……」
彼女がそう言うと、トウヤはハッとしてすぐさま手を放す。
「す、すまない……君を傷つけるつもりはなかったんだ……。力の加減が、まだ上手くできてないみたいだ。俺、今日はどうしても君に言わなくちゃいけないことがあって……」
トウヤはそう言って、ゆっくりと楪に近づく。
そうして優しく彼女を抱きしめた。
「ありがとう、君に出会えてなかったら、俺はあのまま死んでいただろう。本当に感謝している。……俺は傷が完治したら、あと数日でここを出ていくつもりだ。いつまでも君に迷惑はかけられないし、その力が討魔由来のものだというのも気がついていた。それでも……」
楪は沈黙のまま言葉を待った。そして。
「この1週間、君の優しさに触れて、俺は君を……愛してしまった。だから最後に、もう少しだけこうしていてくれないか…?」
トウヤの体は震えていた。
彼は今までたった一人で生きてきた。こうやって誰かに助けられたことも、人を抱きしめたことも無かった。
楪がその太い腕に触れる。よく見ると、無数の細かな傷がついていた。きっと彼は、生き延びるために、その人生の大半を過ごしてきたのだろう。
妖魔の中には人間に害を及ぼす者もいる。討魔師はそういった妖魔を狩ることで、無辜の人々を守ってきた。だが妖魔という理由だけで、神籬の一族は彼らを討滅してきた。その中にはこうしてただ平穏に生きたかっただけの、トウヤのような者もいたかもしれない。楪にとってこの事実は、彼女のこれまでの人生に大きな疑問を抱かせる事柄だった。
「………」
無言のまま抱きしめ合う二人。
只々、互いの体温や鼓動、息遣いを感じていた。
夕陽が差し込む森の中は、木々のざわめきだけが響いていた。