「お、お姉ちゃん……」
そこには楪の姉、雅が立っていた。
「まったく……散歩に行くと言って出掛けたと思ったら、屋敷の前で気を失っていたんだぞ。一体何があったんだ?」
「屋敷の……? たしか私……そうだ。急に眩暈がして……それから」
それからトウヤに……あれ? トウヤに何を言おうとしたんだっけ。
……! そうだ! トウヤは!
「お姉ちゃん! 私、森の中で気を失って……気がついたら布団で寝てて。でもどうやって帰ってきたのか覚えてなくて……それで」
「落ち着け。私がお前を見つけてこの部屋に運んだんだ。他にこのことを知る者はいない。お爺様にも見つかっていない」
楪はそれを聞いてホッとした。
一族の当主である祖父にバレたら、大騒ぎになるだけでは済まないだろう。
「衣服の乱れもなかったし、獣に襲われたわけでもないのだろう。自力で無いとすれば、誰かがお前をここまで連れてきたということになるが」
「ごめんなさいお姉ちゃん! また今度、詳しい事情は説明するから!」
「お、おい……!」
楪は布団から起き上がると、急いで服を着替え、修練場へ向かう。
今朝の修行の時間が迫っていた。
******
屋敷から飛び出し、長い廊下を走る。
修練場に到着すると、そこには座禅を組んで瞑想する老人がいた。
神籬家の現当主にして彼女の師、
権現はゆっくりと立ち上がると、楪の姿を見た。
「……4秒遅刻じゃ」
息を切らしながら入ってきた楪に向かって、権現は厳しい言葉を突きつけた。
この老人、普段は気の良い好々爺といった感じだが、修行や家のことになると非常に厳しい人物だった。
「も、申し訳ありませんお爺様!」
「お前にしては珍しいの。ふむ、
楪はギクリと肩を震わせた。もしかして気づかれている―――?
「いえ!今朝はその……つい起きるのが遅れてしまい」
「まぁよい。最近修行内容も過酷になってきたからの。疲れが溜まることもあろう。早速じゃが時間が惜しい。始めるぞ」
「はい! 本日もご指導お願いいたします!」
******
「そこまで!」
権現の合図とともに、楪がスッと力を抜く。
ところが修行開始から2時間程度しか経っていない。
「修行はこれで終わりじゃ。午後も今日は休みとする」
「ハァ……ハァ……え? でも今日はまだ……」
「心に迷いが見える。このワシが気が付かないと思ったか。これ以上は言わぬ。今日はここまでじゃ」
そう言って権現は修練場の奥に姿を消した。
呆然と立ち尽くす楪。
「ふぅ……」
その場にドサリを座りこみ、額の汗を拭った。
やはり、お爺様に誤魔化しは通用しなかったようだ。
こんなことは今まで経験がなかった。
「なんだろう……私の体、一体どうしちゃったのかな……」
このまま修練場にいても仕方ないので、一旦シャワーを浴びに屋敷に戻った。
******
「…………はぁ」
昼食を食べながら、楪は昨日あったことを思い出していた。
恐らく気を失ったあと、彼が自分を屋敷の傍まで運んでくれたのだろう。
あの時のトウヤの真剣な眼差し。抱きしめる力の強さ。伝わってくる体温。
考えるだけで胸の鼓動が高まる。
彼は自分の気持ちをはっきり伝えてくれた。
これからどんな顔で彼に会えばいいんだろう。
「……い。……ぉい。おい、楪!!」
「は、ひゃいっ!」
姉に呼びかけられ、楪は我に返った。
「まったく……ボケーっとして。食事中は食事に集中しないか」
「ご、ごめんなさい……お姉ちゃん。ちょっと考え事してて」
雅は心配そうに妹の顔を見た。
「……今日の修行、中止になったと聞いたぞ。なにがあった」
「なんでもないよ。ただちょっと体調が優れないというか」
「お爺様が中止にしたということは、よほどのことだ。それに昨日の件もある。これは純粋に姉として、妹を心配しての質問だ。なにか隠していることがあるんじゃないか?」
「………」
楪は少し考えてから答えた。
「あはは……お爺様やお姉ちゃんに隠し事はできないね。実は……」
他言無用を条件に、楪は事情を姉に話した。
「霊力の消失、それにトウヤと名乗る妖魔か……」
最初は驚いていた彼女だったが、次第に落ち着いて原因を考察し始めていた。
雅もまた優秀な才能を持ち、姉として4年早く神籬の家に生まれてきた。
今では本家の顔役、政府との交渉事など多岐にわたって仕事をしている。
霊力に詳しい姉ならば、自分の不調に何か心当たりがあるかもしれないと、楪は期待していた。
だが、彼女の口から発せられた言葉は残酷なものだった。
「もしやそのトウヤという男、お前の霊力を喰っているのかもしれんぞ」