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怪異4 死を超えて、地獄の仁義 ホテル勝魚編 2

 五条、六合、八代の三人は、運命に導かれるように「ホテル勝魚かつうお」の門をくぐった。


 ──廃墟と化した海辺のホテル。潮風にさらされ、割れた窓から古びたカーテンがはためく。もはや人の気配はなく、ただ朽ちた建物がそこにあるだけだ。


「うわ、やべぇ雰囲気……」

「おいビビってんのか五条。中見て、何もなかったらトンズラしようぜ。宝があれば一攫千金だ」


 八代は気楽な調子だが、五条の顔は青ざめていた。


 一方、離れた車内で六合健介りくごうけんすけは双眼鏡で二人を監視していた。


「何も起きなきゃいいが……だが、あそこには何かいる。間違いなくな」


 警察時代、彼はこのホテルに関する黒い噂を何度も耳にしていた。だが、証拠はつかめぬまま闇に葬られ、やがて彼も辞職した。

 間違いない、警察の上層部は九十九つくも組とつながっていた。

 今日こそ、すべてを明らかにする──六合はそう思っていた。


「あの四課課長さえ動いていれば……」


 悔しげに唇を噛む。あの抗争は「問題なし」とされ、揉み消された。

 あの時から、この街は壊れ始めていた。


 以後、下総市では犯罪が激増した。かつては二つの暴力団が均衡を保っていたが、それが消えたことで、半グレや特殊詐欺などの軽犯罪が横行した。


 ダッシュボードの手帳に目をやる。


「上は“事故”って片付けたが……最初から腑に落ちなかった」


 数年前、チンピラの走り屋グループが肝試し半分にこのホテル周辺へ集まっていた。爆音を響かせ、廃墟をバックにSNSに動画を投稿するだけの、くだらない遊びだった。

 だが、ある日を境に彼らは姿を消した。


 リーダーのバイクはテトラポッドの下で発見されたが、キーは差さり、ヘルメットはシートの上。不可解な状況だった。

 六合は当時同僚の秋葉四郎とこの件を真剣に追っていた数少ない警察官だった。だが上からの圧力で、「単なる事故」として処理されてしまった。

 今でも、あの夜の波の音が耳に残っている気がする。ホテルの奥に、人ならざるものが潜んでいる──そう直感していた。


「人がいないってことは、逆に最高じゃん。騒ぎ放題だぜ」


 ──それが、彼らの最後のSNS投稿だった。


 六合は呟く。


「たしか、三年前だ。最後の動画に……“もうひとつの顔”が映ってたって話だったな……」

 白く歪み、笑っているような、泣いているような──人とも猿ともつかぬ顔がカメラを見ていたという。

投稿は削除され、アカウントも消去。関係者の行方は知れず、事件は報道もされなかった。


 ──ホテル勝魚。かつて栄えたリゾートは、今や死者のたまり場となっていた。


「なあ八代っち、やっぱここヤバくねぇか……?空気が重い……息がしづれぇ……」

「ビビってんじゃねえよ。最上階に何かあるって話だったろ?」


 八代は笑っていたが、背中にまとわりつく気配に薄ら寒さを感じていた。耳鳴りがし、音が世界から消えていく。廊下がほんの少しずつ傾いて……いや、伸びている?


 ──その時だった。

 奥からズリ……ズリ……と濡れた音が聞こえた。続いて、革靴の底が床を踏む、異様にゆっくりとした足音。

 壁の時計は三を指したまま秒針が止まり、スマホも反応しない。ここだけが、何かに囚われている。


「……おい、ドアを開けるぞ……」


 ドアの奥には、白スーツに赤シャツの男たちが無言で立っていた。顔は見えない。虚ろな真っ黒い仮面のような顔。


「アー、何じゃオドレは、千手せんじゅ会の手のモンかぁぁあ!!!!」

「ギャー!! 出出出出ぇたぁぁぁー!!」

「やべぇ……やべぇって……!!」


 その中の黒光りする銃を持った幹部らしい男の霊がテンガロンハットの間から片方の真っ赤な目を光らせて凄んできた。

 手に持ったリボルバーをカチャカチャ鳴らしては銃をクルクルと回して半笑いで五条八代をあしらう。


「ここぁ、オメェらみてぇな若造が来ていい場所じゃねぇっぺよ……」

「ひっ、ひぃいいい」

「なあ、オメェ……生きてるクセに震えてんのか? 情けねぇなあ、ヘラヘラしてんじゃねえよ……!」


 彼はわざと弾丸を抜いた銃口を八代の顎に突き付けてきた。


「怖ぇか? 怖ぇって顔、いいべ……一文字だかのカノジョ、そう初野零はじめのれい……、アイツも最初はそうだったっぺよ……、ほれ、足すくんでるじゃねえか、八代って言ったかぁ? オメェ、もうションベン漏れてんじゃねぇのか?」


 背を向け逃げようとしたその時、背後の扉がバン!と開く。反対側からも血まみれの刺青霊が現れた。囲まれていた。


「来るな……来るなァァァァ!!」


 五条は震える手で拳銃を取り出し、引き金を引いた。


 パン! パンパン!


 銃声が廊下に響くが、霊は止まらない。すり抜けて、ゆっくりと迫ってくる。


「いいっぺ、この絶望感。たまらないっぺよ。ほれ、良い顔してるなあオメェ」

「当たったよな……音もした……なんで止まらねぇんだよ……!」


 五条は引き金を引き続けるが、銃は空撃ちを繰り返す。


「ひ、ひぃ……おい、八代……! 逃げろって……!」


 だが、八代は腰が抜け動けない。震える膝、蒼白の顔、涙と涎を垂らしながら霊を見ていた。

 ──そしてその瞬間。


「バカヤロウがァァ!!」


 怒声とともに黒い人影が飛び出し、霊に拳を叩き込んだ。


 ドゴッ!!


 霊が壁に激突し、掻き消える。万慈は殴る、蹴る、壁に叩きつける。


「死んでまでシマ荒らしてんじゃねぇ!未練残してねぇで地獄に帰れやァ!!……生きてた頃の恨みまで喋ってんじゃねぇよ、成仏しとけ」


 その声と拳は、呪詛祓いの術式のようだった。

 そして──


「ぶちのめされてぇのはどいつだコラァア!!」


 壁を破って現れた男は怒号を上げ、素手で霊たちを一掃する。

 そして振り向かずそのまま大きな声で五条と八代に叫んだ。


「ここはなァ……生きた人間の来る場所じゃねえ!さっさと帰れ!!」


 その声に、霊は後退し、五条と八代は一目散に逃げた。


「この声……アイツか」


 六合は、その声に聞き覚えがあった。

 拳が霊の顎を打ち抜き、黒いもやが壁に染みつく。怨念の残滓のように。

 五条が呟く。


「……おい、おっさん……おま、何者……」

「何者でもねえよ。ただの喧嘩で霊が殴れる男だ」


 男はふっと笑う。

 そして指を鳴らし、手のひらを広げながらチンピラの霊に喝を入れた。


「同じ土俵にも立てねぇ奴らをいたぶるのは外道だ。ステゴロするなら、同じ土俵に立ってからにしな!!」


 その眼には怒りと、筋の通った信念があった。

 その後、男は打って変わったような優しい声で五条と八代に告げた。

 そして、テンガロンハットの幹部らしい男の霊はいつの間にやら姿を消していた。


「お前らは生きてる。だったら……帰れ。ここは、生きた人間の来る場所じゃねえんだよ」


 男は霊を殴り続け、やがて姿を消した。


 五条と八代が逃げ出すと──


「ぐわっ!!」


 厨房の勝手口のドアの向こうで、六合が顔面をドアにぶつけて転倒し、前髪が数本抜けた。


 裏手の厨房跡に、静かに足音が響く。


「……なんだ、テメエか」


 血と硝煙の匂いを纏った男、煙草をくわえたまま六合を見下ろす。


「相変わらずだな百目鬼万慈どうめきばんじ。お互い、不器用な生き方しかできねえよな……」


 六合は、あの“事件”を思い出す。


「テメエは死に急ぐなよ」


 万慈の言葉に、六合の表情が揺れる。


「……可愛い奥さんがいるんだろ」

「……ああ。でも、あいつを守るためなら……どこへでも踏み込むさ」

「フッ。やっぱバカだな、お前も」


 万慈は煙を吐き、空を見上げた。


 この騒動の外で、一人の男は全く我関せずと言った感じだった。


「……うっさいなぁ、ワイをもう少し寝かせんかい……」


 ホテル勝魚の裏手、松林の陰で、場違いな空気をまとった男が一人、枕を抱えて寝息を立てていた。

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