「ホテル
初めて聞いた名前だ。場所はNR下総線の西比奈橋と南比奈橋の間。
話を聞けば都心高速を走る車の窓から、ちらりと見えるだけの廃墟だという。
けど、俺たち紀國市の人間には縁がない。
あの辺に行く用事なんて、そうそうないし……。
見るとしても、高速の志葉中央インターから都心へ向かう反対車線で、一瞬だけ目に入る程度。
だから、名前も知らなかったあのホテルがどうして今さら話題になっているのか──正直、最初はよくわからなかった。
……最初は、な。
「……断ってもいいんですよ、今回は。本当に保証し兼ねますので。まあ、私が下総市の山田さんに小言を言われるだけですから……」
「それ、わりと困るパターンじゃないですか」
紀國市長の宮本さんは苦笑いしながら話をつづけた。
「いやあ、山田市長ってば義理堅いというか……押しが強いというか……。紀國市で怪異に強いって噂の子たちがいるそうじゃないか”って、わざわざ電話までくれてね。どうやら前の市長の浦越市長の時は全く話を聞いてくれなかったらしく、山田さんが市民の為に廃墟ホテルを解体しようと考えているそうなんです」
どうやら話を聞くと今の下総市長の山田剛さんは前の浦越市長の前の時から浪人し、市民の声を聴き続けていたらしい。
それでようやく当選し、市長になったので市民が怖がっている廃墟ホテルをどうにかしようという話になったそうだ。
「……というわけで、無理にとは言いませんが……ほら、下総市って“ホテル勝魚”の件、ちょっと噂が広がり始めてましてね……」
「上等や。最近ムシャクシャしてたんや。バカ霊でもヤクザでも何でもまとめてフルボッコにしてスッキリしたるわ!」
「このワシをおやつ抜きにしたこの無念を、怪異どもに受けてもらうのじゃ……。甲羅もぬるかったしの……」
「……まあ、そういう動機で動けるのはある意味うちの強みだな」
宮本市長は半分苦笑いしながら申し訳なさそうにオレの手を握ってきた。
「……やはり、君たちに頼んでよかった。山田さんも“強い霊能者ってのは、往々にして変人だ”って言ってましたから。他にも当たってはみるといってたのですが……」
――変人って……まあ、ここで下総市にも顔を売っておけば、本来のリフォーム会社の方も何かしらの接点が作れそうだからな。
そして俺、
ぽんぽこタヌキ着ぐるみパジャマの紗夜が背中に何か紐をつけて背負っていたが、よく見るとぽてるこんぐだった。
「わしもつれてこられたんぢゃ、子ザルの作造は昨日の夜バナナの食べ過ぎでおなかを壊したみたいぢゃてな」
子ザルの作造にじいちゃんが憑依できないときは、このぽてるこんぐに魂が入ってるらしい。
紗夜、ひょっとしてピクニックか何かと勘違いしてないか? 車には大量のぽてりことコーラが積まれていた……いや、いつものガチか。
そしてなぜかアームストロング缶チューハイも積まれていた。
まあ、運転する俺には関係ないけどな。
そして……俺達が到着したホテル勝魚は、見るも不気味な建物だった。
外の見た目は巨大なパルテノン神殿のような柱が立ち並び、屋上には朽ち果てたクルーザーの残骸が乗っている。
これが昭和バブルの時に作られた建物の造形なのだろうか、俺はセンスを疑った。
ホテル勝魚。薄暗い廊下に響くのは、誰かが急ぎ足で近づいてくる音。
ドアの前で立ち止まり、金髪の満生さんがタバコをくわえながら「変Tシャツ」を身にまとい、ケンカキックでドアを蹴り飛ばした!
「除霊の時間だ! コラァ!!」
「なっ……」
ドアを思いっきり蹴り飛ばし、開いた先には異様な空気が漂う部屋。ホラーな雰囲気に全く動じず、満生は一歩踏み出す。
「こんなもん、除霊も何もないやろ。あーしに任せとき」
変Tシャツにはひらがなで「あうとれいじ」と書かれており、何とも言えないダサさが際立っている。しかし、満生の顔には無敵の自信が漂う。
いきなりの乱入者にヤクザ霊達が慌てふためいている中、満生さんは堂々と進む。
満生さんが三独鈷を構え、部屋の中に足を踏み入れたその時、突然、空気が変わった。
暗がりから現れたのは、
「オンナだぁ、いたぶり殺してぇ、それも二人もいるぞぉ!」
その言葉と共に、チンピラ霊たちは不気味な笑い声をあげながら、満生さんと紗夜に襲いかかってくる。しかし、満生は一歩も引かず、目を見開きながら三独鈷から霊力の剣(満生さん命名のなんちゃってビームソード)を伸ばし、二刀流で握る。
「うっさいわ… こんなヤツら、いくらでも返り討ちにしたるわ」
次の瞬間、満生さんのなんっちゃてビームソードが空を切り、まるで暴風のような勢いでチンピラ霊の一人に突き刺さる。その霊は体を一瞬浮かせて壁に叩きつけられ、壁には血のシミが広がる。
「これでおとなしくしときや」
満生さんは冷静に煙草をくわえ直しながら、振り返って他の霊たちに冷ややかな目を向けた。
残るチンピラ霊たちは、無言で壁に倒れ、気を失う。
彼女はその場を去りながら、まるで何事もなかったかのようになんちゃってビームソードを振り下ろした。
一階の霊を全滅させ、満生は無言で階段を上がる。足音は重く、しかし迷いはない。
二階の一室、その中心に立っていたのは――九十九組幹部、
テンガロンハットに白のスーツと赤のシャツ、そして片目だけが真っ赤に光る見るからにただものでは無い雰囲気だった。
元は拳銃の名手として鳴らした男。霊となってもなお、その手に握るは黒光りするリボルバー。
「女一人で来るとは、オラを舐めるなっぺ!」
ドン、と銃声。火花が散る。しかし――
「……遅いわ」
満生さんは懐から独鈷を抜き、まるで刃のような精密さで銃弾を弾き落とす。次の一発も、三発目も、軌道を見切ってことごとく打ち落とす。
そして静かに歩を進め、冷たい目で十河を見据えた。
「アンタ……背中が煤けとるで」
その言葉には、かつての威厳も誇りもとうに失った男への、決定的な哀れみが込められていた。
十河は撃つ手を止める。いや、止まってしまったのだ。
己の死を悟り、満生さんの圧に呑まれたかのように。
「楽にしたる。せやけど、地獄に落ちるのは自分の業や」
満生さんの独鈷が閃き、霊の身体を貫いたかと思うと、そのままスーッと霧散していく十河の霊。
残されたのは、ただの静寂と、壁にわずかに滲んだ煤のような痕跡だけだった。
十河重吾がまさかの即落ち。 ざわめく怨霊たちの中、満を持して現れたのが、もうひとりの幹部――
「ふん、こういう時はなぁ……ガキを人質に取ればええんじゃァ!!」
「ほう、舐められたもんじゃな」
「ふん、ガキに何ができるってんだァ! せいぜいキャンキャン吠えてろやァ!」
彼はニヤリと笑いながら、そっと紗夜に手を伸ば――ドガァ!!
一瞬、世界が反転した。いや、五十六の視界が天井と床をぐるぐる回っただけだった。
次の瞬間、彼は天井に激突してから床にめり込み、壁にシミを残して崩れ落ちていた。
「……黙れ小童。この痴れ者がぁ!! ワシに手を出そうとは四百年早いわ!!」
紗夜、タヌキ着ぐるみの袖をパタパタと直しながら、冷たい目で吐き捨てる。
床でぴくぴく痙攣する五十六の霊体。周囲の怨霊たちも一瞬息を呑むが、満生さんが静かに三独鈷を構える。
「次のアホ、来い」
――一階と二階の霊が全滅し、ホテルに静寂が戻る。
しかし、その空気の底に、妙な重みが漂いはじめる。静かに、エレベーターの扉が開いた。
そこから現れたのは、黒スーツに白髪交じりのオールバック、異様な眼光の霊。
肩を揺らさずにすーっと歩いてくるその姿に、周囲の残留霊が無言で後ずさる。
「お嬢ちゃん、おいたは良くないなぁ」
低く響く声。満生さんが警戒して独鈷を握ると、男はふっと口角を上げる。
「ここは男の戦場だ。悪いことは言わねえ。命のあるうちに、さっさと帰れ。」
一瞬、空気が震えた。チンピラどもの下品な荒れ方とはまるで違う。
威圧というより、「圧」そのもの、それが自然に存在している。
紗夜、眉をひそめて一歩引く。
「こやつ……只者ではないの……」
満生さんは珍しく独鈷を両手で構えたまま、唾を飲みこみ……思わず独鈷を握り直しながら、ぽつりと口にした。
「ウソッ!? アンタ……
「おぬし。なにやら、背中に地獄を背負っておる……のう」
あの人気アクションゲーム“虎が如く”の伝説ステゴロ任侠キャラ、
男は応えず、ただ静かに首を傾げ――ゆっくりと、地に足をつけたまま前に進んだ。
霊なのに、まるで重量があるように。