志葉県警下総署は、セントエルモ壱番館からの「何かすごい音がする」との通報を受け、四課課長・秋葉四郎を筆頭に現場へ急行した。
そして彼らが目にしたのは、想像を絶する光景だった。
──ドミノ倒しになったロッカー。
バリバリに液晶の割れた大型モニター。壊れたプロジェクター。
壁にめり込んだまま動かない半グレの工作員。
くすぶるサーバーの燃えカス。
そして──なぜか、コーラとタピオカまみれになったボスらしき男。
極めつけは、外の駐車場で炎上する三台の高級外車だった。
いったい、誰がここまでの立ち回りをやらかしたのか──秋葉には、想像もつかなかった。
だが彼はすぐに冷静さを取り戻し、部下たちに焼け残った契約書の燃えさしや、ノルマ表のファイルなど、証拠物を回収させる。
こうして、
「11(ワンワン)こと王珍陳(おう・ちんちん)! 22(ニーニ)こと二宮次郎(にのみや・じろう)!
33(ミミ)こと三好金倶(みよし・きんぐ)! 44(獅子)こと獅童轟介(しどう・ごうすけ)! 55(ゴゴ)ことゴドウィン中崎(ごどうぃん・なかざき)! 66(ロロ)こと六分岐哲太(ろくぶんき・てった)! 77(ナナ)こと七瀬あかり(ななせ・あかり)!」
警官が読み上げるたびに、後ろ手に手錠をかけられた彼らは顔を伏せ、無言でパトカーに押し込まれていく。
その無機質な声とキラキラネームのギャップに、一人の警官がぽつりと漏らす。
「……三好、金倶(きんぐ)……? こっちはこっちで殴られたみたいだな」
「親のセンスが暴力だな……」
「コラ、私語を慎め!」
警官もつい、33番の名を読み上げる際に苦笑していた。
「88(パパ)こと
「うへええ……コーラ、こわい……タピオカ……こわい……」
八木は恐怖のあまり、まともな受け答えすらできなくなっていた。
「連れていけ! 当分、まともなメシを食えると思うなよ!」
「そうじき、こわい……たぬき、こわい……ぶぃーん、ぶぃーん……」
「ダメだな、完全におかしくなってるみたいだ」
「……なんでタピオカと掃除機でここまで壊れるんだ」
「……お前、何見たんだよ……」
「99(クク)こと九十九八十吉(つくも・やそきち)は……?」
「こっちは昨日、海辺のホテルで死亡確認済みだ。まったく、九十九組も終わりだな」
哀れ、若手の半グレたちを使って生き残りを図った男は、そのままパトカーへと連行されていった。
そして、秋葉はドア越しに誰かと話す。
「どうだ、長い休暇は……。仕事が溜まってるんだ、そろそろ戻ってこい。いい毛生え薬も用意してるぞ」
「余計なお世話だ。残念だが、おれにはまだやることが残ってるんだ」
「そうか……。休暇申請は延長しておくからな……」
ドアの向こうにいたのは、秋葉とともに九十九組の悪事を追っていた刑事──
こうして、九十九組の物語は完全に終わりを告げた。
火事で接続部分の溶けたナインティーナインカンパニーの看板は、ポロリと外れ、地面に落ちて粉々に砕けた。
◆
「「「かんぱーい」」なのじゃー」
バーノックアウトで乾杯した後、俺たちはしばしリラックスした空気の中、無言でグラスを傾けていた。
「これで一件落着やなー……」
と
「さて、次はどんな楽しみが待ってるかしらね?」
と薫さんが笑い、みんなが静かに頷きながら一息ついた。
その後、テレビのニュースが切り替わる。
「本日、下総市市長選の結果が発表されました。現職の山田剛市長が浦越ひろみち氏、
報道は続く。
「山田市長は、選挙戦を通じて市民の声に耳を傾け、未来志向の政策を提案し続けたことで支持を集めました。市民からの信頼を再確認した形となり、今後の施策に大きな期待が寄せられています」
テレビの画面には、市長選の投開票の模様や山田市長が手を振って応援団に向かって歩いている姿が映し出される。
「再選を果たした山田市長は、来週から新たな任期が始まります。今後の発展に期待がかかります」
「へえー、再選したんだね。市民の声聞いてるからね」
「そうじゃな、為政者たるもの民草の声を聞かぬと謀反を起こされるのじゃ」
「まあめでたいって事やな、薫さーん、黒霧島ロックおかわりー」
ガラリと空気の抜けた夜、俺たちはバーの奥の席でくつろいでいた。
薫さんのカクテルを前に、紗夜がぽてりこをつまみ、満生さんはロックの後にしっぽりハイボールをやっている。
まあ運転手の俺は、今日はメロンソーダにしてもらった。
そんな時──俺のスマホが震えた。
「……ん? 非通知?」
訝しげに画面を見る。通話ボタンを押すと、落ち着いた男性の声が響いた。
「
「えっ、市長!? ……え、ええ!?」
「驚かせてすまない。君の会社の倉持さんから聞いてね。今回の件で、いろいろと世話になったそうじゃないか」
「あー……いえ、その、仕事でたまたま現場に……」
「まあまあ、そう謙遜しないでくれ。……あんな連中を相手に動ける若者がいたことを、私は誇りに思ってる」
「ありがとうございます……」
どうやら悪い話では無さそうだ。
「それでだが、今週末、松樫プリンスホテルで再選パーティーを開く。正式な招待を出す前に、まず君に直接声をかけたくてね」
「……俺に?」
「できれば、あの時一緒にいた仲間たちも。もちろん、出席は自由だ。強制するつもりはない」
電話越しの山田の声は、政治家というより、ひとりの大人の男の声だった。
「ぜひ考えてくれ。倉持さんにも伝えてある。……では、また」
通話が切れたあと、俺はしばらくスマホを見つめたままだった。
「……どうしたんやー?」
満生がグラスを揺らして訊く。
「市長から、直でお礼とパーティーの招待……だってさ」
「おぉ、えらいことじゃのう! ふんすふんす! ワシもドレスアップせねば!」
「いや、まずそのタヌキ着ぐるみパジャマ脱ごうか?」
「ももも、勿論なのじゃ、ワシはごすろりのプリンセス・サーヤのスタイルで参加するのじゃ」
俺達のやりとりを見て薫さんが笑っている。
そんな中で俺はある事に気が付いた、薫さんが影膳で供えていたウイスキーの量が減っている。
――まさか! 俺達は思わずドアの外に飛び出し、薫さん達も後に続いた。
すると、そこには見覚えのある後姿が。
「……とかくこの世にゃ悪党が多すぎる。オレがおやっさんのとこに行くのは、当分先になりそうだな……」
「万慈さんっ」
「万ちゃん!!」
だが気が付くと、もう彼の姿は闇の中に消えていた……。
「またいらっしゃい、待ってるわよ……」
薫さんは誰もいなくなった真っ暗な路地を見つめ続けていた。
◆
無機質な白い個室。ベッドの上で、
表情は濡れた紙のように、どこにも力がなかった。
「……レイ……、レイ、ぼくが……わるかったよ……置いてかないで……レイ……」
誰もいない空間に向かって、震える声で呼びかけ続ける。
看護師がモニターを確認しながら小さくつぶやく。
「また幻覚ね……医師に報告を……」
看護師の報告から数分後、主治医と名乗る男が無言で現れ、無表情に点滴に何かを加える。
「発作です。……いつもの投薬量を倍にしておきましょう」
やがて彼は叫び始める。
「レイィィッ!! レイっ、やだやだやだ、行かないでぇえええ!!」
その叫びが、消毒液の匂いとともに、廊下へとにじみ出た。
「……レイ……レイ、なんで……そんな目で見るんだ……ぼくが、悪かったって……言ってるじゃないか……」
声はしだいにうわずり、瞳は焦点を失って虚空を彷徨う。
「……置いていかないで……ねえ、レイ……」
涙が頬を伝い、虚空に手を伸ばす。その手は震え、宙を切るだけだった。
医師が点滴の量を増やしながら、淡々と告げる。
「症状が悪化していますね。薬の効果を調整しておきましょう。記憶が戻るのは好ましくない」
男は笑った。
「
医者は不気味に笑っていた。
ここは特志会系列の病院。
戦前の軍医、
ここでは……人に言えないような非合法な薬物の人体実験が行われていた。