暑い。
梅雨が明けた初夏のすぐ後――七月ですでにこの暑さだ。
ひょっとして令和って、調整スライドが壊れたエアコンなんじゃないかと思うほど、暑さと寒さの落差が激しすぎる。
「――本日の志葉日報ニュースです。松樫市議会は昨年度の決議に基づき……」
テレビから流れる地方ニュースを背に、俺は麦茶を飲みながらリモコンを置いた。
あの後、ケンちゃんのことを報告しに行ったのは、無駄じゃなかった――そう実感する。
「おいおい、
「えええええ!? どっちかなんて選べぬのじゃ~~~!!!」
「それに、イチナナ両手に持ってるし……三本目の手でも欲しいんか、おまえは」
「あればつけたいのじゃー!」
冗談のつもりだったのに、このままだとマジで生やしかねない。
「紗夜、遊ぶか食べるか、どっちか一つにしろ」
「なぜなのじゃ! ワシは食べて飲みながら遊ぶのじゃ~。……あ、そうじゃ。今度、ワシの家臣の武者髑髏を、てつじーんやイチナナのような姿で呼び出してみるのじゃ!」
あーもう、誰かこのゴロニート姫をどうにかしてくれ。
――てか、紗夜。……なんだその髪色は?
紗夜の髪が真っ青に染まっているが、どうやら本人はまったく気づいていないらしい。
テレビの前では、タヌキ着ぐるみパジャマのゴロニート姫が床を転げ回っていた。
片手にはお菓子、もう片手には合金玩具。ニュースなど見ていない。
その様子を、キッチンカウンターの陰から見ていたのは満生さんだった。
「ふふ……まだ気づいてないやん……ナイスあーし、青スプレー……くくっ……!」
笑いをこらえる
一方、俺の弟・操太はすでに登校していて、今日はプール授業らしい。
「また泳ぐのかよ~」と、朝からテンションが下がっていたっけ。
――ツムギリフォームの朝は今日も、やかましくて、少しだけ平和だった。
「――バリハワイアンセンターの解体を見送り、隣接地に産業廃棄物処理施設を新設する方針が決定されました。既存施設については三年計画で順次改修され、今年度は夏季限定で市営営業が再開される予定です――」
お、バリハワイアンセンターは紗夜とペドロさんの意見が通って、解体を免れたか。
……にしても、あんな提案を押し通せるペドロさんの裏って一体……。
「ホテル棟は耐震補強の上、地元Jリーグクラブ『松樫ソルフレイム』の合宿所として利用が予定され、多目的グラウンドは地域イベント等に活用される見通しです――」
そうか、比奈橋市長が提出すると言っていた「再活用案」が通ったんだな。
しかし毎度思うが、松樫市の比奈橋市長ってマジでややこしい。
「なお、敷地内には、水難事故で亡くなった児童の鎮魂の象徴として、龍神を祀る小さな祠と慰霊碑が建立され、近隣住民への安全祈願が行われました――」
これで……ケンちゃんの魂も、きっと浮かばれるだろう。
俺は、そう思って安堵していた。
「次のニュースです、本日……ギギギの義太郎や妖魔くん、葉っぱのポン平などで知られる漫画家の水本シゲオ氏が、老衰の為亡くなりました。」
「ギギギの義太郎……じゃと?」
一通り玩具で遊んだ後、紗夜は本来俺の仕事用タブレットだったやつを使いタブレットで「鉄巨人イチナナ」の動画を見終え、そのまま慣れた手つきでMINEマンガアプリを立ち上げ、おすすめ欄に表示された――
ギギギの義太郎 全巻セット 4,580円(特別セール)」のバナーに目を輝かせる。
「ぬぉぉっ!? これはもしや……あの“ギギギの義太郎”なのでは!? いかん、こうしてはおられぬっ」
ポチッ。
「……買ってしもうたのじゃー♡」
ええっと、これは俺も見覚えあるかな、確か……ギギギの義太郎だっけ。
ギギギの義太郎は、漫画家・水本シゲオの代表的妖怪マンガで、人間と妖怪のハーフ義太郎が仲間の妖怪と共に全国の妖怪と戦ったり仲間になったりをくり広げるロードムービー的作品だったよな。
確か俺の小さい頃見た覚えのあるのは……第4期とか第5期って言われてるやつかな。
ヒロインのネコ妖怪、猫ノ宮が可愛いってクラスメイトが言ってたっけ。
――そんな作品だった。
……そりゃあ、紗夜が夢中になるのも無理はない。
……って、何勝手に課金してるんだよ!!
「えっと、続きを見るには、ここをぽちっとすればいいのじゃな」
このゴロニート姫、よりによって全話購入パックをクリックしやがった。
あーあ、鉄巨人イチナナの動画と全部で一万近くだよ、あー頭が痛い。
そして数分後、
満生が部屋に戻ると、紗夜はタブレットを抱えて布団にゴロ寝スタイルのままとんでもない集中力でマンガを読みふけっていた――。
「うおおっ!? 出たのじゃー! “決戦! 南海大妖界”の回なのじゃっ!! おおっ!? 猫ノ宮ぁぁああああ! めんこいのじゃあああああああ!!」
紗夜、タブレットに頬ずりしながら悶絶、完全に現代になじんできたな、この元悪霊姫。
「……アンタ、漫画アプリの使い方まで覚えとるやん……どんどん現代の霊になってきとるな……」
だが、それよりも――。
「てか、その髪色……まだ気づいてないのか?」
「えっ? ……ひぃぃぃぃ!?!? 髪が! 髪が青くなっておるのじゃーー!?!?」
そこに現れたのは、青スプレーを持った張本人・満生だった。
「はい成功。深夜テンションいたずら大成功~♪」
「おのれ満生っ!! これはいたずらで済まされぬぞッ!! わしの姫としての尊厳がァアアアア!!!」
「まあまあ、しゃーないって。夏やし、髪色くらいええやん、な? な?」
「ならば責任を取って――海へ連れて行くのじゃ! 青髪が似合う場所へ!!」
「なんでやねん!?」
そんなわけのわからない流れで、明日は土曜日。
社員旅行って名目で、俺たちは船毛海岸へ行くことになったのだった。
俺が運転する車の助手席では、MINEマンガを見終わった紗夜が動画でギギギの義太郎・決戦! 南海大妖界の映画を見ていた。
まあ、到着まで一時間半ってとこだろうから、見終わる頃に船毛海岸に到着する計算かな。
車の中では満生さんがアームストロング缶チューハイをさっそく開けて飲んでるし、紗夜は大音量でギギギの義太郎の映画見てるし、ペドロさんはその映画の解説をわざわざ後ろの席から乗り出して紗夜に伝えてる。
母さんや操太達を別の車にしておいてよかった。
後部座席の後ろの普段工事用具を入れている場所にはバーベキューセットやパラソル等の海の道具が詰め込まれるのでこの車、乗車定員は四名ってとこだ。
「その映画は昭和版でアクションと作画の評価が高いデース。細野誠監督の初監督作品なのデース」
「細野監督……あの『君の声』の!?」
「そう、その人デース」
君の声、は俺でもゴールデンタイムの映画放送で知ってたけど、まさかそんな人が作ってたのか。
「この“南海大妖界”は昭和と平成でラストが違うのデース。昭和版は潜水艦の魚雷で鯨の大妖を爆殺しますが、水本サンは激怒したのデース」
「激怒……とな?」
「そのエピソードの元は、水本サンが乗っていた実際の引き揚げ船の沈没事故なのデース。その記憶を忘れぬために描いたのに、エンタメにされたと感じてしまったのデース」
成程、そんないきさつがあったのか。
「デスので、水本サンが再び映画化を認める際の条件を全部吞んで再び細野監督が作ったのが平成版の決戦! 南海大妖界なのデース。こちらは派手さはありまセンが、水本サンの伝えたかった内容に近い造りになっていて、ファンにはこちらの方が名作だという人もいるのデース」
「ほう、それは気になるのじゃ、後で見てみる事にするのじゃ」
――そんな解説を聞いているうちに、船毛海岸に到着した。
「紗夜、もう海岸についたから準備始めるぞ」
「まだなのじゃー、ワシはその平成版を見るのじゃー」
この駄々のこねっぷり、どう考えても小学生そのものの精神だよな。