俺達は船毛海岸の駐車場で、車からパラソルやクーラーボックス、ビーチ用のメッシュ椅子なんかを次々と降ろしていった。
パイプ製のテーブルもあるし、荷物はけっこうな量になる。作業全体で三十分少々――まあ、現場で工事道具一式を出し入れするよりはマシか。
到着が8時50分、設営完了が9時30分。撤収の時間を考えても、まあ日帰りには支障ないペースだ。
一方で、
「おい、紗夜。少しは手伝ってくれよ」
「ワシの分は、そこの人魂と
ああ、なるほど。見ればたしかに、罪堕別狗(ザイダベック)の面々が人魂を引き連れてパラソルを立てていた。どうやら、俺達を追ってバイクでやって来たらしい。
気付かなかったのは俺だけで、彼らは既に「自然にいる」顔で作業に加わっている。なんとも頼もしいというか、律儀なヤツらだ。
ちなみに、タカユキさん達惨婆瑠漢(サンバルカン)の方は――喫茶嵐山のある商店街の夏祭りのカレーの準備で今日は来れなかったらしい。
まあ、彼らには彼らで頑張ってもらうとしよう。
海は広く、空は青く、日差しは容赦なく照りつける。
それなりに賑わってはいる。子供連れの家族、バーベキューコンロの煙、浮き輪とキャッキャとはしゃぐカップル。
だが――今年の海は、なぜか空気が「薄い」。
観光客は確かにいるのに、例年のような“わんさか感”がない。
日焼けした地元の売店のオヤジがぽつりと呟く。
「……今年は、少ねえな」
何だか不思議な予感を感じた俺は、他の人に聞いてみた。
「……おい、なんか静かすぎないか?」
「確かに。もっとキャッキャうふふしてるはずじゃが……」
「――こんな日は、気ぃつけた方がええっぺ。イサナサマがお出になるかもしれんっぺ……あれを見た言うた者は、皆、海に帰っちまった……」
思わず振り向くと、そこには年季の入った漁師風の老人がいた。
背中を丸め、麦わら帽子を深くかぶり、手には潮干狩り用の熊手を持っている。
「……イサナサマ?」
「なんじゃそれは。海の神様か何かか?」
老人は、にやりと歯の抜けた口元をゆがめて笑った。
「神様かどうかは知らん……あれに見つかれば、最後は骨も戻らんっぺ。ワシの孫ものう、三年前に……うぐっ……」
そこまで言いかけて、老人は口をつぐんだ。
「……まあ、気ぃつけるっぺ。今日みたいな、風も波もおとなしすぎる日は……出るべ。イサナサマは」
そのまま、老人は砂浜を横切って去っていった。
残された俺たちは、なんとも言えない空気の中で顔を見合わせた。
海辺に吹く風が、どこかひどく生ぬるく、耳の奥で囁くように波音が聞こえる。
気づけば、潮の香りに混じって――どこか血なまぐさい、鉄のような匂いが漂っていた。
ダメだダメだ、こんな風に悪い予感の事を考えていると、本当に引きずられる。
ここは開き直って遊ぼ……う?
俺の心配をよそに、紗夜は目隠しをしたままフリルの付いた黒いワンピース水着にタヌキ柄の浮き輪を装備し、木の棒を両手で持ってスイカ割りをしていた。
「見えた! そこなのじゃぁぁ!!」
ボグシャッ!!
ありえない効果音を立てて……スイカは跡形もなく消え去った。
いや、血煙のように粉々になったスイカは紗夜の身体と他の見ていた人達の服や水着に血糊のようにへばりついていた……。
「うわあああ!怖いよおお!」「びえええーん!」――子供たちはスイカ爆破の惨劇に、涙目で逃げ出していった。
「このぽぽぽん姫、何やっとんねん。はーアホらし、あーしはちょっと遠くまで泳いでくるでー」
そう言うと満生さんは沖合の方にまで泳ぎ、戻ってくる際に大きなピンク色っぽい貝を拾ってきた。
「おねーちゃーん!すなでおっぱい作ったー!」
「ふぬぬ……これは貴様ら、ちと盛りすぎじゃー」
紗夜はさっきの騒動が無かったかのように地元や遊びに来た子供達に砂に埋められて、砂で身体を作られていた。
「でもな、あっちのねーちゃんのがもっとすごいぞ!」
「まじヤバい……スタイルおばけやで……」
「……ん? あれは……薫さん!!?」
俺が目を向けると、そこにいたのは男ものの大きなサーフボードを横に置いてたたずむ薫さんの姿だった。その周囲にすでに地元のヤンママ・若者たちの黒山の人だかり。
薫さんは、まばゆいビキニ姿で真顔キメつつも日焼け止めをしっかり塗って一人、ギリシャ彫刻のようなスタイルで日傘の下に座ってる感じだ。
「やべえ……あの姐さん……」
「あれ生きてる彫刻じゃね?」
「いやいや……あの体でこの品格……」
「あんな姉ちゃん初めて見た……」
その薫さんに身の程知らずにナンパしてきた二人組がいた。
「ちょっとそこのお姉さん、海より深いあなたの瞳に、俺の心が溺れそうだよ?」
「この男前と笑いのマシマシコンビが、今日の姫を独り占めに来ましたー! な、五条」
「八代っち、ズルいぞ。俺の方が先に声をかけたのに」
この二人組、周りに冷たい目で見られていたが……それよりも。
「ねえお姉さん、俺たちと――」
「租チンが」
「!?」
「まずは銭湯で自分の顔とちんこ洗って、鏡の前で土下座してこい。話はそれからだ」
薫さんは普段の美人顔とはまるで別人のような超男顔で二人を睨みつけ、普通女性の言わないような事を発していた!
薫さんはその後無言でアイスを食べている。
そして周囲のギャラリーに緊張が走った。
「……あんたらさ、砂浜に埋められたことある?」
「……えっ?」
「今日は暑いから、冷やしてあげよっか?」
そう言って薫さんはパラソルをカシャンと畳み、ビキニ姿で立ち上がった……しかし凄い圧力。
「「す、すんませんでしたァァァ!!」」
薫さんの圧倒的な圧力の前に、哀れナンパ二人組はあっという間に一目散に逃げだした。
「ねぇ、あの人、お兄ちゃんだったの?」
「ちがうよ!女の人だけど、すごくカッコイイんだよ!」
「オレ、将来あんな人と結婚する!」
地元の子供達は、薫さんの圧倒的な存在感に釘付けになっていた。
「くぬぬ……おぬしら、ワシの方を崇めるのじゃ~!」
「あきらめなて、ぽぽぽん姫じゃ薫さんにゃ勝てんって」
「おぬしでも負けておるではないかー」
「ま、あーしでもありゃ―勝てんって」
満生さんも普通にみればいいスタイルだと思う、しかし薫さんは別格だろう。
「ごはんよー、みんなもどってきなさーい」
そんなよくわからない流れの中、母さんたちはバーベキューの準備を終わらせてくれていた。
ペドロさんは今回泳ぐよりは料理を手伝ってくれてたみたいで、本格ブイヤベースにパエリアまで作ってくれている。オリーブオイルはイタリアの一級品の物を本場から取り寄せたみたいだけど、包丁はダマスカス鋼、まな板は桧の一枚板、クーラーボックスはイタリアの漁師が使う業務用……ていうか、どこから持ってきたんだよ!
彼のバックっていったい何がいるんだと本当に疑問だ。
バーベキューが始まり、俺たちは手分けして準備に取りかかっていた。
満生さんが沖合から持ってきた貝を網に載せると、貝の殻が開いた。
「うわっ!? なにこれ!? 目玉貝で!?」
「……うごいた!? こいつ、まさか生きてるのか!?」
ぞわぞわする貝の中には、まるで睨むような小さな目玉が無数についている。
しかも、じっと見ていると視線が合う……ような気がして、いたたまれない。
「こ、これ捨てよ!? な? な!?」
「のう、満生。この目ん玉貝、食えるんかのう?」
「いや、見たことないし、食えるとか以前に食いたくないんやけど!?」
そこに――ひょい、と貝を串ごと取り上げたのは子ザル姿のじいちゃんだった。
「……ふむ、見た目は悪いが、こうして出されたなら――」
じいちゃんは焚き火の上に串をくべ、じりじりと焼き始めた。
「ちょ、マジで食うん!? 絶対ヤバいやつ!!」
「なんで焼くのじゃ!? 横のワシのそーせーじが!!」
やがて、貝からぐつぐつと得体の知れない汁があふれ、妙な匂いが漂ってきた。
「……くっ、まずい!!」
じいちゃんが一口かじって顔をしかめた――が、そのまま口をぬぐい、遠くを見た。
「……こういう時こそ、思い出すんぢゃ」
焚き火の音だけが聞こえる。じいちゃんは、ぽつりと語り出した。
「――ガダルカナルでは、飯なんぞ夢みたいなもんぢゃった。泥水すすって、木の皮煮て、ヘビも芋虫も食うた」
俺たちは黙って聞くしかなかった。
「命をつなぐためには、出されたもんは何でも食う。それが戦場の
そう言うと、じいちゃんは目玉貝の一つひとつを見据えて――
ぐいっ、ばりばりっ、もぐもぐ……。
「うわあああああ!? 食ってるううう!? ガチで食ってるうううう!?」
「ばりばり音する!? 目ん玉潰す音やってぇぇぇ!!」
俺も満生さんも紗夜も、ペドロさんでさえ後ずさりするしかなかった。