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怪異6 聞け、海のメッセージ 船毛海岸編 4

 俺達は旅館に戻り、店主に釣り船を貸してもらう事にした。

 幸い小型船舶免許持ちの甚五郎さんがいたので、船頭は借りずに済みそうだ。

 甚五郎さんは離島の神社の鳥居の修繕や祠の改修等も手掛けていたので、船に建材を乗せての操縦はお手の物だ。


たくみぼっちゃん、それじゃあ行きますよ! 船にしっかりとロープを結んでしがみついてくだせいよ!」

「わかりました、甚五郎さん。お願いします」

「ワシも行くのじゃ、この海の中で人間の力だけで妖気を感じる事は出来んじゃろう、じゃがワシなら満生みつきの式神の妖気を感じる事は出来るからの」


 とは言ったものの、紗夜さやは足が震えている、本当は何か怖いのだろうか。それでも紗夜も一緒に捜索を手伝ってくれるようだ。


 確かに夜の海でしかもこの大嵐、普通の人間ならまともに船を漕ぎ出す事すら自殺行為としか言えない。

 その点、妖気を感じる事の出来る紗夜がいれば目標を確実に見つける事が出来るので、ベテランの甚五郎さんが運転すれば大嵐の中でも船を出せる。


 ――急がないと! 操太そうたに二度と会えないような気がする。

 俺は母さん、子ザルのじいちゃん、ペドロさん、それに罪堕別狗(ザイダベック)の三人、ツムギリフォームの社員達に旅館に残ってもらい、紗夜、甚五郎さんと船で荒波の海に乗り出した。

 だが……どうやら紗夜は海水のような塩水が苦手らしく、やはり船の中で小さく縮こまってっていた。


「タクミ、あちらなのじゃ、……あ、あちらの方向からかすかに満生の式神の妖気を感じるのじゃ」


 紗夜が力なく指さした方向に甚五郎さんが船を進め、十数分。俺達は嵐の中でとてつもなく巨大な船を見た。

 船はところどころ錆びていて、海底のフジツボや貝が張り付き、マストはボロボロ……これは!!


『第参室戸圓』――

この文字を見た瞬間、なぜか背筋に冷たいものが走った。


「ここじゃ、満生はここにおる」

「わかった、紗夜。それじゃあこの船に乗り込むぞ」

「巧ぼっちゃん、どうやらこの船には小型船のもやいを結ぶ事が出来そうです、多分大昔の貨客船だったのかと思いやすね」


 俺達が乗り込んだ船、その船腹には昔のかすれた文字で『第参室戸圓』と書かれていた。

 この字体からすると、戦前の船かもしれない。

 俺達は嵐の中、振り落とされないように釣り船を第三室戸丸に括り付け、中に入った。


 船の中には人の気配を感じたが、どれも人間では無さそうだ。これは間違いなく……幽霊船だ。

 紗夜はどうにか海水から離れる事が出来たようで少し落ち着きを取り戻したみたいだ。

 俺達はどうにか船内に入り、甲板に向かった。


 すると、そこにはデブなイルカらしい満生さんの式神と満生さん、それに気を失った操太の姿があった。


「操太!」

「大丈夫や、気を失って少し海水を飲んでただけや。どうやら先客がおって助けてくれたみたいやで」

「吾輩のおかげであるドル。皆の者、海の貴族である吾輩に感謝するのであるドル」


 この大嵐の中で波に攫われたというのに助かった、これはもう奇跡というしかない。

 ほっとした俺達だったが、話はここで終わるものでは無かった。


「……なんや今の。船が……揺れた?」


ズズ……ン……


まただ。しかもこれは波の揺れじゃない。底から突き上げられるような……地震?


「いや、ちゃう……こんな揺れ、潮じゃ説明できへん」


グゥォオオ……ォォ……そのとき、海の底から地鳴りのような咆哮が響いた。


「……鳴いとる……? 海の底から、何かが……!」


 グォオオ……という咆哮の直後――海が急に静まりかえった。

 波の音も、風のうねりも、何もかも消えたような静寂。

 その中で、まるで鼓膜に直接響くような品の良い女の声がした。


「あなた方は……なぜ、ここにいるのですか……?」


 その声は、静かで、優雅で、どこか物悲しく――けれども、底知れない怒りを孕んでいた。


「ここは、神聖なる海域……。汚れし魂の人間の来る場所では、ありません」


 ドォン!! 次の瞬間、海の下から凄まじい水柱が打ち上がった。

 幽霊船が浮かぶ海面ごと弾き飛ばされ、船体がギシギシと悲鳴をあげる。


 そうか、これがイサナサマ――それが、この怪異の名。

 海神にして、忌み子を呑み込む白鯨。人間の言葉を持ちながら、決して人間を赦さない存在。


 実は、「イサナサマ」とは、古くは「勇魚様(いさなさま)」と書かれていたという説もある。

 勇ましくも神聖な「魚」の神、その名が時代と共に変化し、いまの呼び名になったのだ。

 そしてその正体は、女神とも言える海の守護者であり、白鯨の化身でもあるという。


弩流布院ドルフィン三世、アンタ何そんなに怯えとるねん」

「わわあわ、吾輩は……優雅に泳ぐ貴族なのである、あんな怪物と戦うなんてとても……出来ないのであるドル」

「なんやそれ、使えんやっちゃなー」


 イサナサマは何度も船に体当たりを仕掛けてきた。

 この船が幽霊船だといっても、実際にこの船を沈めたのがイサナサマならそう長くは持たずまた海の藻屑だ。

 でも海にいる相手にどうやって攻撃をすればいいのか、紗夜も水着姿で迎え撃とうとしているが、どうやら海水等の塩水は苦手みたいで船でも普段からは考えられないくらい小さくなっていた。


「えーい、ワシの一撃を食らうのじゃー」


 ぺちっ。


 普段の紗夜の力とは思えないほど力の入っていないパンチだ。

 そして紗夜はイサナサマの尻尾で叩きつけられ、マストまで吹っ飛んだ。


「むぎゅう……」

「しゃーないな、誰か戦えるヤツおらへんのか」


 満生が式神を呼ぼうとしたものの、みんな怯えてしまい、召喚されるも拒否して戻ってしまった。


「困ったなー、ここで饕餮とうてつなんて呼んだら被害デカすぎるねん、誰か使えるヤツ……そうや!」


 満生さんは甲板にお札を置き、式神を呼び出した。


「蘆屋の名において命ずる、我が式神となりて眼前の敵を討たん、出て来や! 鉄腕将軍ゴブラン!!」


 え!? それってバリハワイアンセンターでケンちゃんに見せたヤツ?

 満生さんの呼び出した式神は、全身黒い西洋鎧に巨大な二つの腕、そしてその手の中心に目がある戦士の姿だった。


「我、主の命のままに、さあ。ご命令を」

「せやな、あのでっかいクジラに何かキッツイ一撃頼むわ!」

「御意、主の命のままに……行くぞ、ゴブランレーザー!!」


 ゴブラン将軍は巨大な手の中心の目から特大のレーザー砲を発射し、イサナサマの目の近くに攻撃を当てた!


「グッ、な、何ですか……これは……」


 どうやらゴブラン将軍の攻撃は一瞬イサナサマを怯ますことは出来たようだが、致命傷には程遠いようだ。


 グォオオ……ォォ……


 イサナサマが激しく吠え、巨大な水柱を何度も打ち上げる中、紗夜は震える声で歌い始めた。


「わーれは……うみのこー……♪ じゃったかな」


 しかし、その音痴な歌声はまるで火に油を注ぐようで、イサナサマの怒りは一層激しさを増した。


「な、何ですか その雑音は! 余計に私を煽ろうというのですか!」


 怒り狂ったイサナサマの水柱が船に打ち付け、紗夜は吹き飛ばされてしまう。


「わわっ、紗夜ちゃん大丈夫か!?」

「ごほっ……むぎゅう……わしの歌が……余計に……ワシはもう駄目じゃ、海水の塩で力が出ぬ」


 その時、操太の意識がゆっくりと戻った。そして操太がぽつりと呟く。


「おばさん……泣いてるの?」


 満生さんは一瞬戸惑ったが、すぐにその言葉の意味を理解したように、ゆっくりとゴブラン将軍の攻撃を止めた。


「そうか……アンタ、気づいたんやな。イサナサマは怒ってるだけやない、悲しんどるんや」


 イサナサマの水面に浮かぶ巨大な白鯨の瞳が、一瞬だけ切なげに揺らいだ。


「……私は、名を持ちません。人が恐れ、祈るためにそう呼んだにすぎない――“イサナサマ”と。けれど今、その声はもう……海の底に沈みました。なぜ、まだ海へ来るのですか……? 何を奪いに来たのですか……?」


 その声は気品に満ちた、それでいて圧倒的な威圧感を感じる声だった。


「私の魂は長き歳月、汚されてきたのです……この海の守護者として、人間の罪が深まるばかりに嘆いています」


 満生さんが船の上で息を整えながら言う。


「ならば、話を聞こうや。怒りだけでは何も解決せん。お互い、疲れと悲しみがあるなら、まずそれを分かち合うのが先や」

「これは私の託宣。人間よ、我が怒りを聞きなさい。なぜ私が汚れし魂を憎むのか、その由来を知らねばなりませぬ」

「どうしてそこまで人を憎むのか……話してくれへんか。」

「昔、海の聖域において、人の罪と穢れが深く波間を汚しました。それは穢れた魂の群れが神域を踏み荒らし、海の調和を乱したためです。ゆえに私は怒りを以てそれを戒める者となりましょう」


 イサナサマの咆哮がやわらぎ、波の音がかすかに戻り始めた。

そして荒れ狂う海の中、静かな間が訪れた。

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