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怪異7 真夏の都会の大吹雪 スキーリゾート・ザムス編 5

 俺たちはミノムシ状態に包まれた雪女母娘を囲んで座った。

 どうやらこの美人母娘はつららさんとしずりちゃんというらしい。


 しずりちゃんが小さく震えながら、つららさんが静かに語り始める。

 しずりちゃんがさっきよりも小さく見える。どうやら、妖力で無理に成長していたらしく、今は本来の年齢の姿に戻ったのだという。


 小さな手で母の袖をぎゅっと握る姿は、ただの子どもそのもので……ようやく、本当の年相応の時間が流れ始めたように見えた。

「私たちはずっと、この地で人の冷たさに耐えてきた。かつては都会での約束を信じていたけれど、裏切られ、利用され……でも、娘のために生き続けたいのです」


 しずりちゃんは涙をこらえながら、母の手を強く握った。彼女たちの悲しみが胸に染み渡る。

 俺は言葉を選びつつ、「この二人をここから東北に戻そう」と決めた。


 数分の話し合いの後、つららさんとしずりちゃんは敵意を完全に消した。俺たちはこの母娘がただ守りたいもののために闘っていたことを理解した。


「東北へ戻れば、もう一度穏やかな季節を迎えられるはずや」


 と満生みつきさんが言い、俺も頷いた。

 雪女母娘は感謝の表情を浮かべ、静かに立ち上がる。

 俺たちは暖かい手を握り、すぐに東北新幹線のチケットをオンラインで購入。彼女達の帰路を見送る事にした。


 NUMAのスタッフたちに事情を話すと、信じられないという顔をしながらも、次第に神妙な面持ちになっていった。

 彼らスタッフ達は、かつてここにあったリゾート「ザムス」の裏で犠牲になった存在――つららさんの話を受け入れ、静かに頭を下げた。


「……それなら、弁償なんて必要ありませんよ。むしろ、こちらが謝らなきゃいけないことかもしれません」


 誰ともなく、そんな言葉が口をついた。あの氷の女たちの恨みが、ようやく理解されたのかもしれない。


 そして、そんな場面を横目に……満生さんがニヤリと笑った。

 あの、人を食ったような笑み。良からぬことを思いついた時の、あの顔。


 俺はそれに気づきながらも――あえて、目を逸らした。


 ……だって、彼女のスマホに表示されていたのは、「橘メモリアル葬儀社」――表向きは葬儀業者、だが実際は悪徳二流霊能者・橘可夢偉が営む“霊的ビジネスの温床”と呼ばれる場所――そのアクセス・連絡先のページだったのだから。


 次の日の早朝、俺たちは始発の新幹線に乗り込んだ。

 夜明け前の空は薄く色づき、トンネルを抜けるたびに差し込む光に、俺は何度も目を細めた。

 外の世界へ戻る安堵と、心に残った氷の冷たさが、胸の中で静かに交差していた。


 紗夜さやはご当地ぽてるこのサツマイモ味とずんだ味を購入して食べている。

 新幹線の席で隣に座った満生さんは、「氷結」と書かれたTシャツを着ていた。

 隣に座った満生さんは、「氷結」と大きく書かれたTシャツを着ていた。たぶん、酒の意味じゃなく「この猛暑どうにかしてくれ」っていう願いの方だろう。俺は念のため距離を取って座った。


 目的地の駅に着き、つららさんとしずりちゃんはバス停に向かった。

彼女達の乗るバスは数時間に一本だ。

 その行先は、奥州大学第二キャンパス経由・深山キャンプ場行バス。


 氷の一族に追放されたつららさんには頼れる身内は誰もいない、それでも都会で、二人で暮らすくらいならこの東北の山奥で母娘だけでひっそりと暮らすことを選んだようだ。

 俺達はなんだかモヤモヤした気持ちを抱えつつ、それでも二人がバスに乗るまで見守る事にした。


 すると、つららさんとしずりちゃんの座るベンチの横に、初老の男性が座った。


「失礼します、お嬢さん」

「え、ええ。どうぞ」


 男性が座ると、つららさんは男性の持っていたカバンに光るものが付いているのに気が付いたようだ。


「あの。それは……?」

「あ、ああ……これですか。僕の思い出の物なんです。ずっと昔……若い頃、僕が好きだった人にもらった……決して溶けない不思議な氷でできたお守り。もう、二度と会えない人かもしれないですけど、僕の青春の未練……捨てられずに持っているんです。これがあれば……また、あの人に会えると信じて」


 つららさんは震える指先で、その氷の守りにそっと触れた。――冷たいはずの氷なのに、胸の奥まで、静かな温もりが広がっていく。

 そして、その形――あの日、彼に手渡したものと同じだった。


「……てつ、お?」


 絞り出すような声が、彼女の唇から漏れた。

 男性もまた、手が震え、眼鏡の奥の目が潤む。


「……つらら、さん?」


 まるで時が止まったようだった。


 その時、しずりがベンチから降り、男性の前に立つ。

そして、じっと見つめながら——


「……とと様?」


 静寂が、朝の光に溶けていった。


「お嬢ちゃん、お名前は?」

「しずり。かか様が付けてくれた名前」


 男性は……それを聞き、思わず涙を流しながらつららとしずりを抱きしめた。


「君は……僕の、会いたかった……会いたかった……」


 数十年ぶりの再会、それは……長い長い冬を超えた、三人の家族が一つになった瞬間だった。


 一方そのころ——駅前の自販機横で、満生さんはぐしゃぐしゃの顔でしゃがみ込んでいた。

 涙と鼻水をだらだら流しながら、ボロボロのハンカチで顔を拭く。けど追いつかない。


「ううっ……ええ話やわぁ……っ、あーしこういうの、ほんまにアカンねん……っ!」

「わかったから、ティッシュで顔ふけ。メイク落ちてるぞ……」


 横で呆れた顔の俺が、そっと缶コーヒーとウェットティッシュを差し出す。


「せやけどなぁ! そういうとこがええねん!! ええねん……ううっ……」


 春の風に、満生さんの嗚咽が響く。


 晩夏の陽差しが、静かにバス停のベンチを照らしていた。

 それはまるで、三人の長い旅路を労うかのように——。


 ぐしゃぐしゃに顔を濡らしていた満生さんが、いきなり笑顔になってとんでもない事を言い出した。


「せや、あーしらもバス乗ろ。やらなあかん事があるねん」

「え? ま、まあ旅費は多めに持ってきてるからいいけど……」


 あーあ、これまた倉持さんにとやかく言われるやつかな。

 まあ仕方ない、どうせ東北に来ることなんてめったにないんだし、乗り掛かった舟だ。


 俺達は満生さんの提案通り、柳田さんとつららさん、しずりちゃんと共に、バスの終点である深山キャンプ場入口に向かった。

 そこからしばらく歩き、もう夕方になろうかというところで紗夜と満生さんが止まった。


「ここや。成程なぁ、こりゃ普通の人間絶対入れんわ」


 そう言うと、満生さんは何かの呪文を唱え、紗夜はぽんぽこ姿のまま空間に向かってパンチをした。

 すると……何もなかった場所の壁が崩れ、そこの内側には万年雪と樹氷の隠れ里が姿を見せた。


 そこは、外界の時間が止まったかのような風景だった。

 樹氷はまるで神の柱のように天に向かい、足元には万年雪が降り積もる。

 氷の一族が何百年も口を閉ざしてきた、忘れられた民の記憶がそこに息づいていた


 柳田さんが驚いていた、研究は長年していても、実物を見るのは初めてだったのだろう。


 氷の一族の集落の入口。厳しい表情の番人が、侵入者たちを睨みつけている。


「誰だ。ここは氷の者しか入れぬ。今すぐ引き返せ」


 横にいた男が冷静に言う。


「いや、おばば。長がお呼びだ。連れてきてやれ」


 俺たちは震える足で奥へ進む。やがて、厚く重い扉の前にたどり着く。

扉が重々しく開き、氷の長が姿を現した。


 低く響く声が空気を切り裂く。


「禁忌を犯したうえ、子までもなすとはこの恥知らずが……よく帰ってこれたな」


 その視線は、つららさんの胸を深く突き刺した。

 つららさんは震えながらも、長の冷酷な言葉に耐え、しずりちゃんをそっと守る。


 氷の長が冷たい視線をつららさんとしずりちゃんに向けながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「おばばよ、人間よ……おぬしは雪女の悲しき物語を知っておるか?」


 その声には重みがあり、空気が一層冷たく凍りつく。


「つらら――あの者はな、子と離され、禁忌を犯したとして村にも戻れず、寂しく死んだのじゃ。決して話すなと言ったのを話した愚かな男のせいでな……」


 場が凍り付くような沈黙のあと、柳田さんが声を震わせながら言い切る。


「存じております。僕はつららさんのことを、だれ一人に話したことはありません」


 彼の瞳は揺るがず、強い決意を秘めている。


「研究はしていても、何のための研究かは誰にも伝えておりません」


 氷の長は柳田さんをじっと睨みつけていたが、やがてその表情に、わずかながら変化が現れた。

 おばばはしずりの手元にある、夫婦の氷の守りをじっと見つめた。


「これが……一度も溶けたことが無いというのか?」


 しずりは静かに頷く。


「その通りじゃ。これが消えぬ限り、つららとあの男の愛は本物ということじゃな。」


氷の長はおばばの言葉に頷き、険しい表情を緩めて言った。


「ならば……人間を認めてやらん事もない」


だがすぐに視線を変え、周囲を見回した。


「それよりも……そこの珍妙な連中は誰だ?」

 老人の一人が、つららの傍らに控える紗夜、満生、そして俺たちを指して言った。


「その妖気……まさか、坂東の悪霊姫……か。東の妖の長、山ン本殿のところで名は聞いておる。まさか、ここで顔を合わせるとはな……」


 長老の表情には、古き記憶を探るような険しさと、ほんのわずかながらも警戒の色が滲んだ。

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