「のう、長よ。ワシは今、人間と共に暮らしておるのじゃ。おぬしらの価値観も、そろそろあっぷでーととやらをしてもいい頃合いじゃと思うのじゃがな」
「坂東の悪霊姫がそう言うか…。おぬし達には、儂の娘を助けてもらった恩もある。ならば、その話も聞くべきかもしれんのう」
長はゆっくりと立ち上がり、静かな息遣いを感じさせながら紗夜の前に膝をつき伏した。
「我ら氷の一族、恩義は必ず返す。坂東の悪霊姫よ、何かあった時は我らが真っ先に駆け付けようぞ」
その言葉に、場の空気はゆっくりと和らぎ、重かった氷の結界が溶けていくようだった。
そして、俺達は長に見送られ、氷の集落を後にした。
つららさん達は許され、柳田さんと共に人間の村で暮らすことになったようだ。
これでめでたしめでたし、かな。
――東北から帰ると、俺は倉持さんに呼び出された。
「社長、急ぎの電話です!NUMAの日本支社長からですよ」
俺が電話に出ると、NUMAの支社長はデッカカメラから紹介を受けたことを伝え、今、人手が足りなくて困っているクーラー設置の仕事をぜひツムギリフォームでやってほしいと言った。
これで当分の仕事はどうにか確保できたのはありがたいが……俺が炎天下でクーラーを必死に取り付けている間、紗夜と満生さんはじいちゃんの部屋で新品のクーラーの涼しさを満喫しているらしい。
くそっ、俺も早く涼みたいのに、どうしてこうも差がつくんだよー!!
◆
東京・品川にある葬儀会社「橘メモリアル」のオフィス。
いつもどおり暇そうに爪を磨いていた社長・橘可夢偉のもとに、一通の封筒が届いた。
「おやおやぁ、何か届いたようですねぇ。ファンレターですかねぇ、それともワタクシへのラブレター?」
いつもの調子で封を開けた彼は、中身を見た瞬間、声にならない悲鳴を上げた。
「ななな、何ですかこの請求書はぁぁああああああッ!?」
それは、NUMA日本支社から送られてきた正式な損害賠償請求書だった。
――橘メモリアル代表・橘可夢偉 殿
貴殿が施した雪女の封印が不完全であったことに起因し、弊社施設「NUMA南比奈橋店」は甚大な被害を受けました。
つきましては、以下の損害賠償額をご請求申し上げます。
被害内容:
・店舗内設備の凍結および破損
・従業員への霊的被害(精神的ショック含む)
・冷凍・冷蔵商品全滅による販売損失 ・臨時休業による営業損害
・封印処理に要した特殊霊能コンサルティング料……他
請求金額:742万8980円(税込)
※なお、本件につきましては、弊社法務部により既に訴訟準備が進められております。
申し立て等がある場合は、志葉地方裁判所、または弊社代理人弁護士事務所宛にご連絡ください。
請求書を読み終えた橘は、ふんぞり返っていたパイプ椅子ごと床にひっくり返り、そのまま仰向けで動かなくなった。
「……で、でもワタクシ、ちゃんと“いったん封印”していましたよぉ……!?」
泣き言だけが、天井に向かって空しく響いていた。
◆
残暑とはいえ夏の空は、今日も容赦がなかった。
じりじりと肌を焼く太陽の下、俺は住宅街のアパートの三階で、汗だくになりながらクーラーを取り付けていた。
「……あっつい……。もう、これは拷問だろ……」
腕から滴る汗は目に入ってしみるし、工具は熱されて触れないほどに熱い。
室外機を取り付けるたびに、まるで命を削っている気がする。
地上では、右京さんが台車に積んだ道具箱の影に座り込んでいた。既に目が死んでいる。
「社長……あれ、見てくださいよ……」
彼が指さしたのは、ゆっくりと通り過ぎていく市の広報車だった。
《市内の皆様にお知らせいたします。現在、日照りによる水不足の影響により、市内では計画的断水が実施されております。本日午後二時より、市志葉南部・西部・中央の一部で断水を行います……》
スピーカーから流れるアナウンスを聞いた瞬間、全員の動きが止まった。
「……断水ってマジかよ。風呂も飯もトイレもアウトってことじゃねーか……」
右京さんの絶望的なつぶやきに、俺は思わず頭を抱えた。
断水と猛暑のダブルパンチ。しかも今取り付けてるのはクーラー。
それを取り付ける俺たちは、汗まみれでクーラーなし。理不尽すぎて泣きたくなる。
そこに
《じいちゃんの部屋でアイス食べてまーす。クーラー最高。てか、そっち断水すんの? 無理でしょw》
続けて
……いいよなあ、あいつらは涼しい部屋で……。
「……あーもーやってられるかっ! 中断だ中断!」
俺は思わず叫んでいた。
「このままじゃ、死ぬ前に干からびる! 水があるとこ行こう。涼しくて、キャンプできる場所……ああもう、山だ! 山しか無い!」
そして――数時間後、俺たちは車を走らせ、市志葉北の山中にあるキャンプ場へと避難していた
一時間半ほどでキャンプ場に到着した俺達は、涼しい川の近くで羽を伸ばすことにした。
母さんがカレーとバーベキューを用意し、ペドロさんがまたプロ顔負けの調理道具を使って手伝っている。
キャンプ場は晴れ渡り、特におかしな気配も見当たらず俺達はゆっくりと町での疲れを癒していた。
ここは上流のキャンプ場と、その下にはドイツ風の建物と牛の乳しぼり体験や乗馬体験、バンジージャンプなどが出来る牧場テーマパークのママー牧場が存在する。
ママー牧場は明日行く事にして、今日はキャンプを楽しもう。
――そんな中、俺達は地元の人達に忠告された。
「気を付けなされ、ここには河童が住んでおるぞ。いつからかここには昔から住んでおられた竜神さまが姿を消し、河童が居つくようになったという。子供がよく川で遊びよるが、危険じゃから無理はせんほうがええぞ」
「龍神様?」
「さよう、かつてこの地が大水害に見舞われた時、龍神さまは押し寄せる川の水の流れを変え、民を救ったのじゃよ。しかし、竜神さまの祭りも絶えて久しい……そして、姿を見せるようになったのが河童なのじゃ」
河童だって? まあ……山奥の滝ならそんなのいてもおかしくはなさそうだな。
この山奥の上流には、藤原式揚水機の実物モデルがあると聞いたので見たかったんだが、危険なら近づかない方が良さそうだ。
「んしょ、んんしょ……川のお水で人参と玉ねぎを洗って……と」
俺達が見ている端の方で、俺の弟の
すると、そこに何者かが姿を見せた。
「ぽ……ぽぽぽ……」
「あ、お姉さんだ。また会ったね」
「ぽぽ……」
え!? 操太が話しているのって……白いワンピースのデカい女の人?
俺が気が付くより早く、満生さんが操太のところに駆け寄った。
胸にデカく『河童』と書いたTシャツを着た満生さんが凄んだ。
「確かにこの前のことは感謝してるわ、でもアンタも懲りんやっちゃなー。この子に手を出そうとしたら、あーしが……祓うでぇっ!!」
「ぽぽー!! ぽぽぽぽー!」
満生さんが睨みつけると、白い麦藁帽とワンピースの大女はあっという間に姿を消した。
アレ……何だったんだろう。
一方の紗夜は川でなんか大きなモノを見つけらしく、ぽんぽこタヌキ着ぐるみパジャマ姿でズルズルと引きずってきた。
「タクミー、亀じゃ。大きな亀を見つけたのじゃ。これも、かれー、とやらに入れるとどうじゃろうか」
「は、離さぬか、この無礼者。我を誰だと思っておる」
!? え? ツッコミは色々入れたいけど、まずは人の言葉を話す亀って、その時点でおかしいだろ。
紗夜、悪いことは言わないからその亀、離してあげてくれ。そんなの食べたら間違いなく呪われるか祟られる。
「紗夜、悪いことは言わないからその亀は逃がしてやれ。そんなの食ったら呪われるか祟られる」
「何故なのじゃ? ワシは地元の子供達に見つかって捕まっていたコイツを子供達からげーむで勝ち取って貰ってきたんじゃぞ」
まあ、いきさつは分かったけど。それは間違いなく川か池にでも返してやった方がいい。
俺は紗夜を説得し、どうにか亀を抱えて上流に向かう事にした。
案内図の看板によると、このキャンプ場の上流には確か滝と池か沼があったはずだ。