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怪異8 落ちぶれた龍神 市志葉北キャンプ場編 5

 亀の姿の龍神・天之龍沼命あまのたつぬまのみことの背に乗り、俺たちは濁流を越え、下流へと運ばれていた。 川はようやく落ち着きを取り戻し、再び静けさを取り戻しつつある。


「見えてきた……あれが、藤原式揚水機――!」


この地の農業と水運を支えた、先人の知恵の結晶。 


「水門が閉まった今、あの揚水機を起動できれば、川の流れを逆転させて養老川まで水を戻せるかもしれない……!」


 そうすれば――まだ危険が残るキャンプ場やママー牧場の水没を、完全に防ぐことができる。


 龍神が静かに俺たちを岸に降ろすと、巨体はふたたび水に沈んでいった。


「行け、若き者たちよ。我が導けるのはここまでじゃ」 


 揚水機の上部、20メートルほどの高さの梁(はり)の上に、降り立った俺達は下を見てビックリした。


 まさに断崖絶壁、落ちたら一巻の終わりだ。


 だが躊躇している場合じゃない。


 以前、俺たちがNUMAで調達しておいた命綱の代わりのザイルとカラビナは、ここで使おう。


「……でもなー、あそこに式神だけをジャンプしろって落とすわけには、いかへんねん」


満生みつきさんが、静かに言った。


「式神は主の意思あってこそ。命令を受けたら、全力で働く。せやけど、あんな高い場所から放り出されたら、“使い捨て”やって思わせてしまうかもしれへん。あーしは大事な仲間をそんな危険な目に遭わせたくないねん」


 俺と紗夜さやは、はっとする。


 たしかに、式神は霊的な存在だけど……ただの道具じゃない。俺たちと一緒に戦ってくれてる、仲間だ。


「だから、あーしが飛ぶ。あそこから、ちゃんと見届けながら、式神を降ろす」「って、満生さん、マジで言ってるの!?」「えっ!? おぬし、命は惜しくないのか!」

「ちゃうねん、こわくない訳やない。けどな、これは……“筋”の話や」


満生さんはザイルを手に取り、しっかりと自分の腰に装着した。


「飛ぶんはあーし、でもロープを握って支えてくれるんは――あんたらや」


 俺と紗夜は頷き、NUMAで買っていた耐荷重仕様のロープをフェンスに通し、慎重にグリップを確認する。 紗夜が呪文をささやき、ロープの結び目に霊力の強化をかける。


「ワシも、全力で力を貸すのじゃ……!」

「満生さん、いつでも行けます! こっちはバッチリです!」


 満生さんは胸をドンと叩き、気合を入れた。


「よっしゃ――ほな、行ってくるわ!!」


 満生さんは深呼吸してから、一気に足を踏み出した。


 空を飛べる鵺の姿のじいちゃんが念のため、一緒に下に降りてくれたので少しは安心できるかな。


 バンジーで藤原式揚水機の歯車の下に降りた満生さんが呪符をばら撒いた。


「――式神、出番や!! 目覚ませ、エスケープくん、真玲獏之介まれいばくのすけ弩流布院ドルフィン三世! 如雨露射輪象じょうろしゃわぞう! 鉄腕将軍ゴブラン!! 稲荷コン太郎!!」


 ぶわっ!!


 風を切る音とともに、満生さんの体が宙を舞う。

 バンジーのロープがピンと張られ、ぐんと空中で揺れる彼女の手から、輝く符(ふだ)がいくつも舞い上がった。


 それが光に包まれ、満生さんの式神オールスターズが登場。


 ――黒甲冑のゴブラン将軍と、ちんまりキツネのコン太郎が、天空から降りてくる。


「いっけえええええええ!!」


 満生さんの号令とともに、ゴブランが巨大な歯車を回し、コン太郎が機構の内部に飛び込み、呪力を伝える。


 弩流布院三世は仲間が水に流されないように太い体で支えになり、真玲獏之介は頑張って水車を押していた


 如雨露射輪象は普段吐き出す側の鼻で頑張って水を吸い込み、別の所に流している。

 エスケープくんの作った小さな抜け穴は、少しでも過剰な水をママー牧場やキャンプ場に流れ込まないようにする為、養老川河口に向かうように山向こうまでの抜け穴になっていた


 そして、式神オールスターズのおかげで古びた藤原式揚水機が、軋む音を立てて……ついに、動き始めた。


 ググ……ギィィイインンンッ!!!!


 古い木製のパドルが回転し、溜まった水を逆流させるように、ぐんぐんと押し出していく。


「成功や……!!」

「見てみい、揚水機が生き返ったぞぉ!!」「おぉぉっ、やっぱりあの機構は生きていたんじゃのう……!」


 だが、決定打には足りない。水の流れが下に向かうので揚水機が水をくみ上げるまでに至っていないのだ。


 満生さんのバンジーによって藤原式揚水機は起動した。


 だが、あの水門が閉じた今、上流からの水量が足りない。 機構は動いているのに、川の流れは逆転しない――。


「くっ……あと少しなのに!」「足りぬ……わしの力も、もはや残り火……」


 岸辺で、龍神・天之龍沼命がかすれた声を上げたその時だった。


「――やば、見てや巧! なんやあれ、空が、光って……!」


 山の向こう、街側の空に、数えきれぬ数の光の粒が浮かび上がっていた。 それはスマホのライト。祈るように天に掲げられた何百、何千という光が、ひとつにまとまっていた。


「こ、これは……?」「配信や。あれは……柳川ジュンジーや!! これ見てみい」


 ロープを登ってきた満生さんのスマホで柳川ジュンジーのチャンネルを見ると、リアルタイムに龍神様に祈りを届けよう企画が行われていた。


 画面越しに――天之龍沼命のことを、守り神だと信じ、話すジュンジーの姿があった。 視聴者は涙し、手を合わせ、思い思いの言葉をコメント欄に打ち込んでいた。


「どうか、キャンプ場を……」「みんなの牧場が流されませんように……!」「龍神様、戻ってきて……!」


 電波の向こうで起きた祈りの渦は、ネットを通じて、霊界にまで届いていた。


「我の名を、忘れていなかった者たちが……こんなにも……!」


 天之龍沼命の瞳が潤む。


 次の瞬間、亀の姿だった龍神の身体が、ゆっくりと光に包まれ――

 その巨体が天へと舞い上がり、黄金に輝く龍の姿を取り戻していく!


「おぉ……本来の姿に……!」


 雄々しく、力強く吠える龍の咆哮が山々を揺らす。 そして、龍神はひとたび天へと昇ると、雲を呼び、風を巻き起こし――川の逆流を起こした。


 雷と共に、龍の尾が川を打つと、水が上流へと奔流を巻き返し、藤原式揚水機の歯車に流れ込んだ。


 そして揚水機は――完全に目覚めた。


「いけええええええええええっ!!」


 ゴブラン将軍が渾身の力でレバーを引き、如雨露射輪象が最後の一滴まで水を吸い上げて放出する。


 ――養老川への分流が開かれ、逆流が発生し、濁流は山側から引いていった。


やがて川の流れは逆転し、ゆるやかにだが確実に、上流から下流へ押し戻されていた水が、養老川へと導かれていく。 キャンプ場の増水は抑えられ、ママー牧場の被害も最小限で済むだろう。


「はぁっ、はぁっ……うわ、ロープ焼けてるやん……でも無事着地! うち、やったで!!」


 満生さんが地面に戻り、両手を挙げてガッツポーズを決める。


「すっご……! ……ヒーローかよ」「ふふ、どんな怪異よりも、頼れる姉御様じゃな……!」


 そのとき、川の対岸から、再び大きな亀が姿を現した。


「――これが、信仰の力か。人の意志、霊の協力、式神の覚悟。まことに見事な連携じゃった」


それはかつての姿に戻りつつある、天之龍沼命――今は、霧の中に輝く龍のシルエットがその背中に重なって見える。


「我も、今一度“信じる”心を思い出させてもらった。礼を言おう、若き者たちよ――」


 そう、みんなの信じる心が龍神・天之龍沼命の神力を取り戻したのだ。


 どうやら龍神だった天之龍沼命は、また亀の姿に戻っていたが、その周りには間違いなく今迄になっ刈ったオーラがみなぎっていた。


「我の力、いずれお前達に恩を返そう。人と妖よ、よくこの未曽有の危機を乗り越えてくれた。我の神力は人の祈りをわずかに叶える程度まで落ちておったのだが、この祈りはその我の力を取り戻すことになったのだ……」


「わずかに叶えるって……ひょっとして、貴方は俺達がデッカカメラに行ったとき、雨を降らせていた神様なのですか?」

「左様。だが、我の力も浮かばれぬ水を求めし者に僅かながらの雨を届ける事しか出来なかった。溺れ死んだ童を助けてやりたかったが、それも力及ばずできなかったくらいだ」


 そうか、龍神様は救いを求める相手を助けようとしてくれていた、しかしあまりに信仰の力を失い……助けてあげるだけの力を出す事が出来なかったのか。


「だが、此度の人の祈りの力、これだけの祈りが集まったからこそ我も本来の力の一部を取り戻す事が出来たのだ、礼を言わせてもらおう」


 やはり偉そうではあるが、この亀の姿の龍神様は俺達に感謝を述べてくれた。


 それじゃあ俺達も、この神様の為に出来る事をみんなで考えていく事にしよう。

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