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怪異9 時の止まった学校 六街道分校跡編 2

 昭和19年9月――。


 日本がまだアメリカと戦争をしていた頃、少年は国民学校の児童だった。

 彼は空襲の激しい都会を逃れ、当時の六街道村へと集団疎開していた。


 学生たちは彼を含めて十四人の児童、それを引率するのは若い女教師だった。


 六街道村には、明治時代から続く木造の校舎があった。その場所が「六街道村分校」。


 疎開先として都内の国民学校の児童たちは、保護者とともにこの地に身を寄せ、いつ終わるとも知れない戦争の終結を静かに待っていた。


 だが――勉強が嫌いだったその少年、甚五郎は、朝早くから学校を抜け出し、一人で釣りに出かけていた。


 でも本当の目的は、先生に見つけてもらう事。


「宇野くん! またサボってたでしょ、みんな待ってるから早く来なさい」


 彼はねえちゃん先生と呼んでいた夏目花子先生の怒ったふくれっ面を見たくてここに来ていた。

 そう、甚五郎少年はねえちゃん先生に構ってほしくて困らせるために学校をサボっていたのだ。


 ――その日が、彼の人生を大きく変える運命の日だとも知らずに。


 9月某日。


 六街道村分校では、村人たちが児童とともに校庭に集まり、いつものように早朝のラジオ体操を行っていた。

 体操が終われば、それぞれが勉強や農作業へと移っていく――それが分校の朝の風景だった。


 だが、その日の空は違った。


 東京空襲を終えた米国陸軍所属ロナルド・カーチス機長のB-29 通称フライングコフィン(空飛ぶ棺桶)号が被弾して房総沖を目指していたが、予想以上に深刻な損傷で機体は操縦不能となり、大きくコースを外れて六街道村の上空へと流れ込んだ。


そして――コントロールを失ったその爆撃機は、分校の上空でバランスを崩し、児童、保護者、そして村民が集う校庭へ、まるで鉄の巨人が墜ちるように落下した。


 一瞬だった。


 木造校舎は炎に包まれ、燃え盛る爆撃機が校庭に突き刺さる。 悲鳴も、叫びも、もう届かない。そこには、生きている者は、誰一人いなかった。


 ――あれ? ねえちゃん先生がぼくを見つけに来ない。


 釣り場にいた甚五郎は、普段とは違う空の音に胸騒ぎを覚え、釣竿を放り出して駆け出した。


 そして――彼の目の当たりにしたのは、地獄そのものだった。


 地面に突き刺さる巨大なB-29の胴体。尾翼は折れずに残り、それはまるで空から落ちてきた鉄の墓標のようだった。


 翼が校舎を斬り裂き、エンジン部から洩れた火は即死した児童や保護者達のいなくなった校舎に燃え移っていく。

 そこにあった肉片は、大人とも子供とも、日本人とも米国人とも分からないほど飛び散って判別もつかない無惨な有様だった。


 焼け崩れた校舎、突き刺さったB-29、黒煙と血の匂い、無数の無言の人影。その日から、彼の人生は止まった。


 そして、彼はB-29のアルミの翼が遮蔽版となったために焼け残った教室のロッカーに釣竿をしまった。

 これは、彼にとって自分だけが生き残ってしまった贖罪ともいえる象徴だったが、幼い子供である甚五郎にはそんな意味もわかっていなかった。


 ただ……もう一生釣りはしない、それだけは心に固く誓っていた。


 そして、動き出すためには――あまりにも多くを失いすぎていた。


 しかし、甚五郎はなぜか生き延びていた。だが家族も友達も失い、孤児となった彼は生きるために盗みを働く日々を送っていた。


 彼は何も持っていなかった、そう……全てあの分校が焼けてしまった日に、捨ててきたのだ。


 どうせ誰もオレの事なんて見向きもしない、それなら勝手気ままに生きてやる、すさんだ少年の心はさらに乾いていった。


 そんな甚五郎を見つけたのは、かつての宮大工であり、退役軍人でもある積木つむぎ作造さくぞうだった。


 工事現場の昼食、その握り飯を浮浪児が盗んで食べていた。

 作造は逃げた浮浪児を追いかけ、捕まえた。


 腹をすかせた子供と普段から三食食べている大人、体力の差は歴然だ。


 哀れ甚五郎少年は、作造に捕まってしまった。


「坊主、どうしてもその飯を返さんなら、おれの拳を食らってからにしろ!」


 作造は、盗みをしていた甚五郎少年を捕まえて殴り、その後で握り飯を渡してやった。


 一心不乱に握り飯にかじりつく甚五郎、そんな彼に作造は言った。


「坊主、こんな時代だ。お前さんも家族を失って食うに困っているのは分かってる。だがな、飯を食いたければ、仕事を覚えろ。おれがお前を一人前の男にしてやる!」


 その一言から、甚五郎の人生は一変する。厳しくも温かい作造のもとで、甚五郎は大工の技術を学び、いつしか腕利きの職人となっていった。


 昭和の街角、商店街の電器屋の前に人だかり。 白黒テレビの前で牧道山のチョップに歓声が上がる。 そこにはまだ大工見習いの頃の甚五郎と、ニヤける作造が立っていた。


 時代は昭和から平成……令和となり、人や時代はどんどん変わっていった。


「……そういや、作造さんと観た街頭テレビのプロレス、あれも人生の教科書みたいなもんだったな。正々堂々、泥まみれでも最後は立ち上がる。そう教えてくれたのは作造さんと……あのテレビだった」


 そんな中、甚五郎は作造と共に昭和を生き、街頭テレビプロレスに夢中になり、人並みに笑える生活を取り戻していった…… 

 だが、彼は仕事の為に小型船舶免許を取っても決して釣りには参加しなかった。


 誰よりも勉強が嫌いだった少年は、あの日勉強したくても出来なくなってしまったクラスメイトの分まで寝る暇も惜しんで努力した。


・大型特殊免許

・玉掛け免許

・危険物取扱甲種免許

・小型船舶免許

・一級建築士免許

・ボイラー技士免許


 彼は、「あの日、学びたくても学べなかった仲間の分まで」と心に誓い、仕事に関する資格を片っ端から取得していった。


 そしてそんな甚五郎はいくつもの地元大手建築会社の北条土建や大金建設、さらに大手ゼネコンの佐藤建設に武蔵建設までもからヘッドハントのオファーを受ける程だった。


 だが、どんな条件でも甚五郎は決して首を縦に振らなかった。


「浮浪児だった儂を一人前の男に育ててくれたのは作造さんだ。儂は作造さん以外の場所では決して仕事はしない」


 それは、長い人生の最初のきっかけをくれた作造への恩義、ただそれだけだった。


 そしていつしか、彼は積木工務店で一番のベテラン大工となり、会社に欠かせない人物となっていた。


 彼は小さな仏壇を見つめ、女性の写真を眺めていた。


「あの頃の儂は、罰を背負ったつもりで背中丸めて生きとった……でもあいつだけは、儂を“人として”見てくれたんじゃ。あんな女房は、もうおらんよ……」


 どことなくねえちゃん先生に雰囲気の似た物静かだが芯の強い女性、そう……仏壇の写真は彼の先立った奥さんの物だった。


 仏壇に小さなお猪口を供えてから一気に飲み干す。


 甚五郎は昔の事を思い出していた。


 戦後、戦災孤児として盗みを働いていた甚五郎は作造に捕まる。

 その後「飯が欲しけりゃ働け」と言われ、大工の修行に入る。


 何年か経ち、現場で顔を合わせるようになった女性がいた。


 彼女は建築を頼まれた依頼先の作造の知人の娘で、勝ち気ながらも人を見る目のある人だった。


 それは、彼女の中に――まるであの日のねえちゃん先生の面影を見たからだった。 顔かたちではなく、気丈さの中に宿る優しさ、その“空気”だった。


 顔ではなく、その気丈な中に優しさと母親、姉のようなたたずまいを感じる、それが甚五郎の彼女に感じた思いだった。


 そんなある日、作造が「甚五郎もそろそろ身を固めろや」とその女性を紹介した。


 だが甚五郎は断った。


「俺は、生き残っちまった人間だ。みんな子供の時に死んだのに、俺だけが幸せになるなんて、おこがましい」


 それでも彼女は静かに言った。


「じゃあ、誰かが“幸せになっていい”って言うまで、一生罰を背負って生きるの? 私は、あなたと一緒にいたい。そんな人だからこそ、いっしょに生きていきたい」


 甚五郎は、黙ってその言葉を受け入れ結婚し、長年連れ添った。


 その後は子供にも恵まれ、その子供達もそれぞれが育ち、巣立っていった。


 甚五郎の妻は、良き妻として彼を支えたが、十数年前に病気で他界。

 その後甚五郎は一人で積木工務店の寮の一室に住み、作造亡き後は他の社員達を生涯現役として見守っている。


 そして彼は今年も誰にも言わずに出かける。


 ツムギリフォームのみんなはこの時期になると甚五郎さんが二日間休みを取ってどこかに行く事は知っている。

 だが、それがどこに行く為なのかは誰も知らなかった。


 甚五郎は仕事を終え、夜遅くに喪服を着、だれにも言わずに一人で車を走らせた。


 そう、彼は――止まったままの時間に、今年もひとり、会いに行くのだった。

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