外に出ようとした北条のバカ息子がトイレの扉を叩き始める。
「おい! 誰か! ふざけんな! ここにオレを閉じ込めて何になるってんだよ!」
その時、ふいに壁のタイルの一部がぼんやりと青白く光り出した。
「……あ、ああっ? な、なんだよこれ……?」
壁の向こうに、光る
その中には、あの男子児童の霊――
痩せた頬に不安げな瞳を宿した小さな男の子が、個室に座ったままの姿で映っていた。
『……出してって……こわいよ……』
水晶玉の中の声が、壁越しに震えるように響く。
「な、なんだよっ!? 誰が、誰が喋ってんだよ! 誰のイタズラだ! まさか、復讐代行業とかいう奴らじゃないだろうな!」
声が聞こえるはずのない空間で、少年の霊が静かに北条のバカ息子を見つめている。
視線が合った――と、錯覚した瞬間。
パキンッ!
水晶玉が砕けるような音を立てて光が消える。
直後――トイレの排水口から逆流音と共に、何かぬめぬめとした液体が逆流してくる音が響きはじめた。
流れ出てきたのは、下水道から逆流してきた汚水で、北条のバカ息子は思わず足を滑らせ、転倒し、白いスーツが黄色と茶色に染められてしまった。
「う、うわっ!? なんだよこれ!? 誰か、誰か開けろっ!!」
白いスーツの全体が濡れ始め、やがて床一面が汚水に染まりはじめる――。
このあり得ない水の流れを無視した汚水の逆流、それは……満生に頼まれた龍神・
本来の神力とはいわずとも、今の信仰心程度でもトイレの水を逆流させるくらいの力は十分持っている。
しかし流石にこれを頼まれた時には亀の姿の龍神も苦笑いをしていたが、報われない霊の人助けと聞いて力を貸すことにしたようだ。
濁った水に足を取られながら、北条のバカ息子は叫び声を上げて扉に体当たりを繰り返した。
「開けろっ! 開けろぉっ!! ふざけんなあああっ!!」
バン! バンッ!
そして、ついに――ガチャリ。
力任せに引っ張った扉が内側から開いた。
「た、助かった……っ!」
助けを求めるように飛び出したその先。
そこに立っていたのは――全身にボロボロの甲冑をまとい、白骨となった顔だけをこちらに向けた、鎧武者の髑髏。
ひとりだけではない。三体。
通路の真ん中に、ぬっと現れたまま、一糸乱れぬ三連立ち。
右手には槍、左手は腰に添え、姿勢正しく仁王立ち。
中腰でぬらりとにじり寄るでもなく、無言で壁のように通路を塞いでいるだけである。
「なんだよぉぉぉおおおっ!? なんで鎧武者が三人もいるんだよおおおおぉぉおっ!!!」
……バッタリ。
バカ息子は泡を吹いて、その場に白目を剥いたまま倒れた。
◆
その様子を女子トイレの壁の中からこっそり見ていた満生と
「ぷぷっ、見た? 紗夜、あいつ気絶して泡吹いとるがな」
「ふふん、うむ、よい仕事じゃった、皆の者!」
その言葉に、鎧武者たちがぴしっと直立し、ぺこりと軽く一礼。
そして……音もなくスウッとその場から霧のように消えていった。
「いやー、今回はマジで“ただの脅かし係”やったけど、ようやってくれたわ」
「普段は戦に出とる連中じゃが、こういう芸もできるのじゃ。礼を言うておこうかのう」
「てかあんたら、普段からそんな使い方されてんのかいww」
哀れ北条のバカ息子はこの後汚水塗れになったまま、ホテルマンに見つかり大騒ぎになったらしい。
そして、うわ言で幽霊を見ただの鎧武者の骸骨が居ただの、彼は精神に異常をきたしていると見られ、そのまま病院送りになったそうだ。
◆
俺達はこの事の顛末を紀國第二小学校のトイレにいた男の子の幽霊に伝えた。
満生さんの見せた水晶玉は北条のバカ息子が追い詰められて汚物まみれになるさまを映し、男の子の霊はそれを見て笑っていた、まあ……因果応報だよな。
「お姉ちゃんたち、ありがとう。これでぼくもスッキリできたよ」
「まあトイレだけにスッキリできたってワケやな」
「満生、滑っとるのじゃ……」
この何気ないやりとりを見た男の子の霊の姿がどんどん薄くなっていく。
どうやらこの世に未練が無くなったので成仏できるようになったんだな。
「ありがとう、ぼく……もう行くね、さよなら」
男の子の姿が消えると……トイレの電気は問題なく点灯するようになった。
さて、これでようやく明日からこの校舎の修繕に取り掛かれるな。
俺達は小学校を後にし、夜遅くに家に到着した。
すると、黒スーツ姿の甚五郎さんが一人で出かけようとしていた。
そうか、確か甚五郎さん、この時期になると仕事を休んでどこかに行くんだよな。
そうなると、紀國第二小学校の校舎のトイレの修繕はその後になるか。
「な、なあ。
「いや、俺もよく知らないんだ。この時期になると必ず毎年どこかに行くのだけはみんな知ってるけど」
「何やら気になるのじゃ、ワシらも行ってみんか?」
あーあ、この二人が興味持っちゃったらダメとは言えないよな。
甚五郎さんには悪いけど、今回は着いていかせてもらうとするか。
俺達は甚五郎さんの車に気づかれないように少し離れながら後を追いかけた。
すると、高速を抜け、甚五郎さんの車は紀國市から二つ三つ離れた六街道町に入った。
なんでこんな何もない町に?
確かにこの町は昔のドラマのロケとかでよく使われる場所で、令和の時代でも昭和や明治の光景を再現できる場所で観光のロケ地マップとかもあるみたいだけど、でも……甚五郎さんがそんな聖地巡礼するわけないよな、アニメマニアのペドロさんじゃあるまいし。
そして、俺達は甚五郎さんの車を追いかけ、ついにある場所に到着した。
そこには……立ち入り禁止のバリケードが張られ、草がぼうぼうに生い茂る場所だった。
まさに廃墟、そう言えるような場所だ。
「ここ……アカンわ。あーしこの重さ、ちょっとキツいわ」
「うむ、ここにはあまりにも幼い子供の魂が縛られ続けておる。多分亡くなった自覚も無く、日々を延々と繰り返しておるのじゃろうな……」
それ、怪談ってレベルじゃないぞ!
しかし甚五郎さん、なぜわざわざそんな廃墟に? あの人が廃墟マニアだとは聞いた事も無い。
俺達は甚五郎さんに気づかれないよう、後ろから着いていった。
すると、そこには巨大な飛行機の残骸が撤去される事も無く、地面に突き刺さったままの姿で残っていた。
その向こうの方に声が聞こえる。
どうやら子供の声のようだ、だが……それは間違いなく生者のものでは無い。こんな時間に廃墟の学校に子供がいるわけが無いからだ。
「ねえちゃん先生、明日もまた遊ぼうね」
「ふふ、みんながきちんとお勉強をしたらね、その後に遊ぼうね」
その光景を見たであろう甚五郎さんが手から花束を落としてしまった。
「わ、儂は何を見ているんだ。何故……みんないるんだ? 斎藤、阿万、星、坪井、小松、宮沢、新実、椋、谷川、遠藤、灰谷、峰岸、小川……それに……ねえちゃん先生……夏目先生まで……」
甚五郎さんはここに幽霊がいたのを見たのは初めてのようだ。
そうでなければあれほど驚いた様子を見せないだろう。
多分、今までは昼の時間に来て、そして帰ってたのかもしれない。
そうか、ここは……甚五郎さんが昔通っていた学校なんだ!!
「誰!? ここには子供しかいません。帰ってください! って……貴方、どうして泣いてるの?」
「この声……ねえちゃん……先生。何故、ここにいるんですか」
甚五郎さんがその場に力なく座り込んでしまった。
すると、彼の頭を女教師の霊が優しく撫でた。
「そうか、君……甚五郎君だったんだ。立派になったわね」
甚五郎さんが周りも気にせず、一人号泣した。
すると、遊んでいたはずの子供達の霊が次々となんだなんだと彼の前に集まってきた。