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第4話 きちゃった

ふう、腕は⋯⋯痛いな。


さすがおじさんだ。


揉んだし入浴剤使ったし湿布も貼った。


でも痛い。


やだなぁおじさんて。


はぁ、仕方ないか。


今日も一日頑張ろう。


全身力を入れてたからだろう、身体のアチコチが痛い。


腕だけじゃなかったか。


はぁ⋯⋯⋯⋯⋯⋯




駅までは歩きだ。


準備を済ませ駅へと向かう。


東口の階段を昇る。


足が痛い。


カバンを持つ腕も痛い。


エレベーターにしとけば良かったか。


改札を通りいつもの乗り場へと着く。


ここでふと思い出した。


井上さんは⋯⋯⋯⋯


いつもはしないのに辺りを見渡した。


さすがに居ないか。


少し物寂しさを感じてしまう。


誰かと一緒に通勤なんてした記憶ないな。


遠い記憶の元恋人。


その人とも一緒に通勤はしたことない。


なんか悲しくなってきたな。


やめやめ、昨日から朝は変なことを考えてしまう。









課長に朝から会えるかな、そんな淡い期待を持って駅に向かったけど、どこにもいなかった。


電車の中がとても寂しく感じた。


気がついたら昨日の帰りの車内を何度も何度も思い出している。


なんでこんなに頭から離れないんだろう。


カフェにも居なかった。


思わずため息。


でもお気に入りの席は空いている。


そこに座っても気分は晴れない。









身体が痛かったからなかなか起きれなかったし、いつもより遅くなってしまったな。


腕時計を確認し、目の前のカフェを通り過ぎる。


コーヒー飲みたかったが⋯


仕方ないか。









コーヒーも残り少しになったところであの人は現れた。


カフェの前を素通りして行ってしまう。


急いで残りを飲み干して会社へと向かう。


会社は駅から近い。


そこのコンビニを通り過ぎたらすぐだ。


店内を出る。


課長の姿を⋯⋯⋯


え、もう居ない。


はぁ、タイミング悪いなぁ。


コンビニの角を曲がると会社だ。


早歩きで向かい、角を曲がる。


ここで見つけたい。


⋯⋯⋯課長、速すぎます。








途中のコンビニでコーヒーを買う。


コンビニでもドリップコーヒーを買える時代だからな。


これがなかなか美味しい。


歩きながらコーヒーを啜る。


会社から近いところにあるのがいいな。


残りは社内で飲もう。




デスクに座りPCを取り出す。


電源を入れメールの確認からだ。


関係各所や社内メールが何通も送られてきている。


その一つ一つをゆっくり確認するために俺は早くから出社している。


部下が集まると話しかけられることも多いからな。


今日の予定は⋯⋯⋯




「皆さんおはようございます」


「「「「おはようございます」」」」


全体朝礼もあるが、基本的には課毎に朝礼をしている。


営業部は全部で15人だ。


昨日3人も入ったからな。


若い子たちが入って、かなり雰囲気も変わったんじゃなかろうか。


みんなの朝の挨拶も、いつもより元気に聞こえるな。



「新入社員の3人は私のデスクの前に来てください、他のみんなは業務に戻ってください」



朝礼が終わる時に3人を呼び寄せた。


返事をした3人は俺の前に集まった。



「おはようございます。まずは研修になるので、昨日の会議室に向かってください」



井上さんは寝不足そうではないが、元気なさそうな顔してるな。


大丈夫だろうか。


俺の心配するところではないだろうが、上司として体調管理も仕事のうちか。


3人は返事をして会議室に向かっていく。


この研修は俺も担当する。


午後からだ。


午前中は各所に電話連絡だな。


さてと、今日も仕事するか。









今から研修。


課長と話せなかったからなのかな。


なんだか気持ちがシャキッとしない。


今日から本格的にお仕事を覚えなきゃなんだから頑張らないと。


会議室に入ると他の2人はもう来ていた。


3人掛けのテーブルが2つ前後に並んでいる。


既に来ていた2人は後列にいる。


私達営業課の3人は必然的に前列に。


そして私はまた真ん中になった。


これは真面目にやれって意味なんだろうな。


よし、頑張らないと!









午前はこんなもんかな。


お昼はどうするか。


外で何か食べるか、コンビニで済ますか。


胃に優しいものがいいかもなぁ。


この後の研修のこともあるしそうしよう。


じゃあ外で食べるとするか。









「新入社員のみんなはお昼は持ってきてるか?」



午前の研修が終わると社長がやってきて私達に尋ねてきた。


5人とも首を横に振ったり、「持ってきてません」、と発言している


全員持ってきてないみたい。



「よし、私がご馳走するからみんなで食べに行こう!蕎麦を嫌いな人はいるか?」



みんな大丈夫なのかな?


私は大丈夫だし好き。


そのまま私達は社長の好意で蕎麦屋へ向かった。


お蕎麦屋さんかぁ、久しぶりかも?








この蕎麦屋に来るのも久しぶりかもしれないな。


今年は蕎麦を食べた記憶がないからなぁ。


暖かい蕎麦を食べるとするか。


暖簾を潜り、店内に入る。



「なんだ、川崎くんも来たのか、こっちに来なさい」



おっと、社長もいたのかって、新入社員まで勢揃いじゃないか。









ビックリした。


飛び跳ねそうだった。


社長がいきなり川崎課長の名前を呼んだから。


店内入口に背を向けるように座っている。


店員さんの「いらっしゃいませ」の声で、お客さんが来たのは分かった。


でも振り向くほどの事じゃないから誰が入ってきたのか分からなかった。


本当に?


本当に課長なの?



「これは奇遇ですね、社長がいるって言うことは、これは私もご馳走される流れなんでしょうか」



私達が座っている席は、店内に6人で座るテーブルがなかった。


店員さんが4人テーブルを繋げ6人が座れるようにしてくれている。


今私の左隣には誰もいない。


入り口側の席に座っている。


これってもしかして⋯⋯⋯



「ははは、いいぞいいぞ、せっかくだから川崎くんもご馳走しようじゃないか。その席に座りなさい」



そう提示したのは私の隣の席。


これは確定じゃ⋯⋯⋯



「では失礼します、井上さんもお隣失礼しますね」



きた、きたきた、きちゃった。


どうしようどうしようどうしよう。


あっそうだ、お返事しなきゃ。



「お、お疲れ様です課長!」



またやってしまった。


大きな声なんて今は出さなていいのに⋯









「今日も井上さんは元気ですね。元気なのは素晴らしいことです。営業課も新入社員のおかげでいつもより元気がありましたからね、これからも皆さんの若さと元気で盛り上げてくれると嬉しいです」



昨日の疲れも、研修の疲れもなさそうだな。


ここのお蕎麦は美味しい。


美味しいものを食べて午後も頑張ってもらわないとな。



「もう皆さんは頼まれたんですか?」


「いや、我々も来たばかりなんだ。みんな、好きなのを頼むといい。もちろん川崎君もな」


「私も新入社員になった気分になれそうです」


「ははは、さすがに無理があるんじゃないか?」



他愛もない話をしながらみんなでお品書きを見ている。


俺にもお品書きを店員さんが持ってきてくれた。


どの蕎麦にしようか。


山菜、トロロ⋯⋯⋯


かき揚げが好きなんだがなぁ、今日は揚げ物を食べるのはやめておくか。








課長は何を食べるんだろう。


気になって自分のが決まらない。


温かいの?冷たいの?


どっちがいいんだろう。


あー、もうだめ、全然考えがまとまらない。


普段ならこういうのはすぐ決まるのに。


焦りすぎてる自分が嫌になる。


なんでこんなにも私の心は揺れているのだろう。



「みんな決まったか?」


「「「「はい!」」」」



え、うそ、もうみんな決まったの?



「うーん、私は何にしましょうか⋯」



あ、課長も決まってないんだ。


一緒なのがなんだか嬉しい。



「井上さんは何にしましたか?」


「わ、私も決まってなくて!」



急に話しかけてくるのは反則です課長!



「悩んでしまいますね。さて、どれに⋯うーん⋯」


「なんだなんだ、川崎くんと食事に来てそんな風になってるのは初めて見るなぁ。いつもすんなり決めてるじゃないか」


「いやぁ、ははは。昨日から少し胃の調子が悪くてですね、どれが胃に優しいかなぁ、なんて考えてるんですよ、お恥ずかしい」



課長、胃の調子が悪いんだ⋯


心配だな。


そうだ!


カバンの中からスマホを取り出す。









「まだまだ川崎くんだって若いだろう、ガッツリ行けばいい」


「さすがに無理ですよ社長、ははは」


「そうか?私なんて大盛りのざる蕎麦とカツ丼頼む予定だからな!まだまだ若いぞ!」



社長が元気すぎなんじゃないか?


さてさて、何にしようかなぁ。



「課長、温かいとろろ蕎麦が消化にいいみたいです!」



ん?調べてくれたのか?



「ありがとうございます井上さん。それじゃあ私は温かいとろろ蕎麦にしましょう」



優しい子だな。


ありがたいことだ。


自分で調べればいいだけなのにな、時代に取り残されてる感じがしてしまう。








「それじゃあ私も同じのを!」



ふふ、課長のお役に立てたかな。


お揃いの食べれるなんて嬉しい。


朝のスッキリしない気持ちが一気に良くなる感じがしてきた。


でも課長の体調を心配しちゃうな。


私に出来ることってなにかあるかな。


なんて、ありがた迷惑になっちゃうか。



「じゃあ一緒にとろろ蕎麦食べましょうか」


「はいっ!」


「よし、みんな決まったな!」


「店員さん、お願いします」



課長が店員さんを読んでくれたので、みんなが注文していく。



最初に社長が注文して、新入社員が順に注文していく。


私の番になった。



「温かいとろろ蕎麦を2つお願いします」


「以上で大丈夫です」


「それでは確認させていただきます。大盛りのざる蕎麦が⋯⋯⋯」



課長のも一緒に注文しちゃった。


それだけで嬉しくなっている。









「私のまで注文してもらえてありがとうございます」


「いえ、勝手な真似してすみません」


「助かりました、井上さんは気が利きますね」


「そ、そんなことないです⋯」



褒められてしまった。


思わず俯いてしまう。


でも嬉しい。



「昨日も立食パーティの時に飲み物も渡してくれましたし、2日連続で助けられてますよ、ありがとうございます」



褒めすぎです課長⋯⋯⋯


それに昨日のことをまた思い出しちゃう。


その度に顔が身体が熱くなるんです。


だから⋯そんなに思い出させないでください。








あんまり褒めすぎるのも良くないか?


でも今の子は叱るより褒めることを重視した方がいいからなぁ。


でもこの辺にしておこう。



「川崎くんは午後の研修の担当だったよな?」


「はい、そうですね。休憩終わってからの研修になるので、皆さんこの後もお願いしますね」



そんな風に話していると続々と注文した品がやってくる。


俺のとろろ蕎麦も来たな。


いやぁ美味しそうだ。









この後の研修は課長のなんだ⋯


俄然やる気が出てくる。


それに今から課長と同じとろろ蕎麦を食べれるんだもん。


嬉しさが膨らんでくる。



「はい、井上さんどうぞ」


「は、はいっ」



課長が割り箸を渡してくれた。


みんなにも渡してたけど、それでも嬉しい。


なんで本当にこんなに私の心は揺れるんだろう。


お蕎麦⋯⋯⋯⋯


私は重大な事実に気付いた。


啜るの?課長が見てるのに?


まって、なんかすごい恥ずかしい。


こんなこと思ったことないのに。


なんで?なんでこんなに恥ずかしいって思うの?


え⋯私ってお蕎麦とか麺類を食べる時ってどんな顔してるの?


しかもとろろつきだった。


これは食べるのは失敗できないやつじゃないの?


もしかして私ってとんでもないミスを犯したの?








蕎麦⋯⋯⋯いいな。


もう胃もおじさんなんだ、こういうのを細々と食べるでいいかもなぁ。


ふう、なんか沁みるな。


とろろは好きだが、とろろ蕎麦は初めてなんだ。


これがなかなか⋯


はぁ、沁みる。


無心で食べ進める。


だがゆっくり食べないとな。










どうしよう⋯


みんな食べてる。


課長の方なんて見れない。


見たら私も見られるかもしれない。


どうしようどうしようどうしよう。


こういう時はどうすればいいの?


お母さん助けて。


⋯⋯⋯⋯⋯

⋯⋯⋯⋯

⋯⋯⋯

⋯⋯


味なんてわかんないよぉ。










「みんな美味しかったか?ここはオススメの蕎麦屋だからな、たまに来るといい」


「私まで本当にご馳走になれるなんて、今日はついてますね。社長ありがとうございました」


「「「「「ありがとうございました!」」」」」


「ははは、それじゃあ午後も頑張ってくれたまえ!」



新入社員は会議室に戻り、俺は営業課に戻った。


さてと、午後の準備でもするか。




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