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第39話


「お前、あんなこと言ったら、川崎先生に目つけられるぞ?」


 帰るなり昼間手伝わせたことへの詫びを入れ、夕食は俺の手料理を振舞う中、出る話題は今日の一件だ。


「別に今更どうってことない。目ならとっくに付けられてるし」


「おい、奈央。何かしたのか?」


「そうじゃない。アイツがヤラシイ目で、いつも見てくるってだけの話」


 何だと? それは聞き捨てならない。


「変なことされたりしてねぇだろうな?」


「敬介みたいに抱きついたりはしてこないけどね」


 俺だって一回だけだ。それも勿体ないことに、酔っていて覚えていないときてる。


「でも、今度は違う意味で目つけられるかもな? 色々煩く言われるかもしんねぇぞ?」


「文句ねぇ⋯⋯。私の一体どこに文句つけようって言うのよ。言えるもんなら言えばいい。望むところよ」


 顔色一つ変えずサラッと言ってのけた。

 清々しいほど、どこまでもぶれずに強気な女だ。でも、何かあった時には、その気の強さだけではカバーしきれない危険性だってある。昨日の林田たちの件だってそうだ。


「昨日、柏木と林田を見たとき、何で俺を直ぐに呼ばなかった? 怪我がなかったから良かったものの、何かあったらどうすんだよ」


 目だけ動かし俺に焦点を合わせはしたものの、直ぐに視線を元に戻した奈央は、サラダに箸を伸ばしている。


 青虫め。人の話を聞け。そして、答えろ。


「奈央、聞いてんのか?」


「敬介を呼ぶほどじゃないと思ったの。林田さん、強いしね」


「そうか、強いのか。なら安心だなぁ⋯⋯ってなるか! 次からはお前もボケーッと見てないで誰か大人を呼べよ、いいな?」


「はいはい」


 そんな煙たがるなって。自分でもこんなに口煩い奴だったか、と驚いているところだ。だが、心配なものはどうしようもない。言わずにはいられなくなる。


「なぁ、ところでさ。奈央が言ってた、お前の近くにいる、バカみたく頭を下げる大人って誰?」


「さぁ?」


「惚けんなよ。お前が感心するなんて意外」


「物珍しい生き物だなと思っただけ」


 ――俺は珍獣か!?


「良い所のお坊ちゃまが人に頭下げるのって、抵抗あるんじゃないかと思ってたから」


 それは関係ないだろ。人に興味は持てなかったが、そんな風に考えたことはない。

 とりあえず、お坊ちゃま呼びだけは止めてくれ、と念を送りながら話を続ける。


「相手を傷付けて、それが自分に非があるって気付いた時、自分の胸も痛むんだって最近知った。この痛みを同じく相手にも味あわせてると思ったら、謝らずにはいられなくなる。きっと、親しくなればなるほど、余計にそう思うのかもしんねぇな」


「そう⋯⋯ご馳走様でした」


 食器を手にし立ち上がった奈央は、背を向けると吐き捨てるように言った。


「相手を傷つけたって分かっていても、それを忘れて笑って暮らしてる人たちもいる。幸せに浸ってね。どんなに親しい間柄でも、所詮、みんな自分が可愛いのよ」


 この日の奈央は、それ以上多くを口にすることはなかった。何が奈央に刺さったのか、まるで入り込むなと拒絶するように、無言の圧力をかけられている気がした。


 ただこの時。奈央の中には人知れず潜む暗い影がある。そう確かに感じた。

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