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第40話


 三学期も一ヶ月が過ぎ、あの喧嘩の一件以来、柏木は学校へ来たり来なかったりの日々が続いていた。

 登校してきても、どこか塞ぎこんでいるように見える。


「おーい、最近元気ないじゃん」


 二日ぶりに顔を出した俺の授業の後、廊下を歩く柏木の頭を、軽く教科書で小突いて呼び止めた。


「体の調子が悪いって訳じゃないんだろ?」


「⋯⋯うん」


「たまには愚痴りに来いよ。前はあれほど押し掛けてきたのに。それくらいなら、また付き合ってやるからよ」


「ありがとう、先生」


 笑顔を見せるも、それからも柏木は俺の所へ来ることはなかった。


 そんなある日の休日。

 車で自宅から離れた場所まで、奈央とふたり食材の買出しに出掛けていた時のことだった。


 この日は、冷たい雨が静かに降り続き、いつ雪に変わってもおかしくないほど、外は厳しい寒さに包まれていた。

 ワイパーが忙しなく動く向こう側。何かを見つけたのか、助手席に座っていた奈央が少しだけ身を乗り出す。


「あ、敬介好みの女の子発見」

「どこどこ?」


 勿論、本気じゃない。本気で女の子に興味があったわけじゃないが、あまりにも軽く言う奈央のノリに合わせて、指で示された方へと視線を向けた。


「ほら、あそこ」

「どこだよ⋯⋯って、おい! お前はなに暢気に言ってんだよ!」


 奈央が言うところの俺好みの女を見つけて、急いで車を路肩に停める。


「奈央、いいか。念のため言っとくが、俺の好みとかの問題じゃねぇからな」


「はいはい。それよりいいの? 早くしないと連れてかれちゃうよ?」


「ったく!」


 だけどこの状況、かなりまずい。

 奈央とふたりでいることがバレてしまう。が、考えてる暇はなかった。


「ちょっと待ってろよ」


 ドアを開けながら声を掛けると、奈央は帽子を被りサングラスも掛けた。


「これなら問題ないでしょ?」

「だな。じゃ行って来る」


 傘を片手に持ち、降りしきる雨の中を飛び出した。


「おい、俺の知り合いに何か用か?」


 女の肩に回した、チャラけた男の腕を掴み、捻りあげる。


「うっ! っんだよ、ズブ濡れだから送ってやろうとしただけだろ!」

「だったら、もう必要ねぇからとっとと失せろ」


 掴んでいた腕を突き飛ばすように離すと、尻餅をついた男は、一心に足を動かして車に乗り込み走り去っていった。


「なーに、やってんだよ、こんなにびしょ濡れになって。車で送ってく。ほら、来い」


 微動だにせず、固まったように立ち竦んでいるのは、柏木だった。

 動こうとしない背中を押しながら、車まで歩かせる。

 後部座席のドアを開け座らせようとしたが、中にいた奈央の存在に驚いた柏木は、


「あ、ご、ごめんなさい。先生デート中だったんでしょ? 私、一人で帰れるから」


 後ずさりしてしまう。


「大丈夫じゃねぇだろ。そんなんで一人フラフラさせられないの。いいから大人しく送らせろ」


「でも⋯⋯、シート濡らしちゃうし」


「そんのもん、気にしないでいい」


 俺に合わせるように柔らかく微笑んだ奈央は、手だけで『どうぞ』と促し、その誘いに応じた柏木が、「すみません」と恐縮しきりで、その身をシートに沈めた。


 濡れた柏木に、トランクに積んであったブランケットを掛けてやり、奈央はハンカチを差し出す。そのハンカチを受け取らず、食い入るように奈央を見る柏木。


 ⋯⋯ば、バレたか? 


 なのに奈央ときたら焦りもせずに、


「使って?」


 平然と声まで出しやがる。


 ヒヤヒヤしながら様子を見ていたが、こんな所に奈央がいるとは端から思っていないせいか、


「あっ、すみません。彼女さんが素敵過ぎて見惚れちゃいました。ハンカチお借りします」


 ハンカチを受け取った柏木は全く疑わず、完全に俺の彼女として認識したようだった。


「柏木? 何があったかは知らないし、無理に聞こうとも思わないけど、ヤケになっても良いことなんて一つもないぞ」


 ルームミラー越しに見る柏木は下を向き、膝の上でギュッと握り締めたハンカチを見ている。


「⋯⋯ごめんなさい」


「別に俺に謝る必用はないけど、後悔するようなことして後で傷付くのは自分だ。それだけは忘れるなよ」


「⋯⋯はい」


 本当に分かっているのかは怪しいが、とりあえず素直に返事をした柏木は、話題を変えるように明るい声で話し始めた。


「先生は、いいですね! こんな素敵な彼女さんがいて」

「え⋯⋯あ、いや⋯⋯」


 ⋯⋯彼女じゃないんだが。


「私、自分が幼いから、彼女さんみたいな大人の女性に憧れちゃうんです」

「そ、そうか」


 柏木と同じ、17歳なんですけど。


「先生、こんな素敵な人、どこで見つけたんですか?」

「そ、それは、だな⋯⋯」


 学校だ⋯⋯、とは言えまい。

 咄嗟に対応できない俺に代わって、


「ふたりだけのヒミツなの。ねぇ、敬介?」


 奈央が口を挟む。しかも、普段からは想像もつかない、甘みを多分に含んだ声色で。いつものふてぶてしさは何処へやら。ものの見事に素を消し去っている。

 この女優。バーで俺と鉢合わせしたあの日と同じように、ニ度目の恋人役を熱演中らしい。


「羨ましいなぁ。ホントお似合いですね」

「あは⋯⋯はははは」


 もう笑うしかないだろう。演じるなんて高度な技、俺には無理だ。大根役者にすらなれやしない。

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