奈央たち三年へと進級間近。その前に明日は、卒業式が執り行われる。
今日は生徒会を始め各クラス委員も駆り出され、その準備に追われていた。
奈央も2-Aのクラス委員として仕事を任され、何度となく体育館や職員室への出入りを繰り返している。
尤も、アイツのことだ。内心では、『あたしの貴重な時間奪うな!』と毒付いているだろうが。
俺も自分の仕事を片付けると、体育館の椅子出しを手伝うために職員室を出た。
階段を下り、体育館へと繋がる廊下にまで来てみると、そこに見慣れた後ろ姿を見つける。
向かいには別の女子生徒がいて、見慣れた後ろ姿の女――奈央に鋭い眼差しを向けていた。
「私の顔に何か付いてますか? 先輩」
険悪なムードだということは相手の表情から見て取れるが、聞こえてきた奈央の声は、いつもどおり優等生気取りで至って落ち着き払っている。
先輩ってことは、卒業リハで登校している三年生か?
「⋯⋯別に」
その女子生徒は、顔を悔しそうに歪めながら唇を噛み締めたが、近付く俺の気配に気付くと奈央の横を通り過ぎ、俺に軽く会釈をして去って行った。
すれ違いざまに見た名札には、"金子"と言う文字と、その下には三年であることを示す、学年カラーの緑色のラインが引かれていた。
「水野、あの3年に目つけられてんのか?」
背後から声を掛ければ奈央が振り返る。
「え? そうなんですか?」
何とも惚けた返しだ。
「いや、俺が聞いてるんですけど」
「どうなんですかね?」
体育館へ向かいながら、さっきの三年女子のことを何度も訊ねるが、返ってくるのは間の抜けた答えばかり。
鈍感じゃない奈央からの切り返しにしては、違和感を覚えずにはいられなかった。
小悪魔キャラの時ならば、あんな目を向けられたら即座に喧嘩を買って『張っ倒す』とか言いそうなもんだけど⋯⋯と、そこまで考えてハッとする。
――もしや、既に張っ倒し済みだったりとか!?
さっきのふたりの様子を見るに、年下であるにも拘わらず奈央の方が優勢態勢にあったような気がするし⋯⋯。
張っ倒さないまでも、三年にあんな悔しそうな顔をさせるなんて、どんな技を使ったんだか、この小悪魔は。
それにしても⋯⋯。
「寒いな」
「そうですね」
春はそこまで来ているはずなのに、まだまだ寒い日が続く。
体育館と校舎を結ぶ渡り廊下に出れば、外気の冷たい空気が容赦なく流れ込み、体感温度はグッと下がる。
「こんな日は、温かいものとか食いたくなるな」
「例えば?」
「んー、おでんとか?」
「いいですね」
手を擦り合わせながら、他愛もない話をして体育館へ着くと、互いにそれぞれの仕事をこなした。
二時間近くかかり全ての準備を整え、生徒たちは教師の俺たちより一足先に下校だ。
羨ましい。俺も帰りてぇ。
だが、逃走を許されない俺たち教師には、まだまだ憂鬱な仕事が残されていた。
俺は、気が重くなるこの時が一番嫌いだ。まるで生徒になった気分だ。
話の長い教頭が、下っ端の教師に嫌味を散りばめながら進行役を勤める、職員会議と言う名の拘束時間が俺を待ち受けていた。