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第47話


 限界に挑戦! とばかりに、おでんを食べ続け、遂には限界突破したと思われる俺の胃袋は、もう水一滴すら送り込むのも困難だ。

 その満腹感も手伝って、今日の会議を思い出しては、無意識に重量のある溜息を幾つもこぼしてしまう。


「なんなのよ、さっきから。何回溜息ついてんだか」

「俺さ、今度担任受け持つことになったんだ」


 今日の職員会議で言い渡され、俺の気分がどんよりと重くなった理由を明かした。


 奈央も一瞬驚いたようで、大きな目を見開き、次にはパチクリと瞬きしながら俺を見る。


「お気の毒」


「だろ? しかも、問題児がふたりもいるクラス」


「は? 敬介にじゃないんだけど。生徒がお気の毒って言ってんの」


 ⋯⋯そっちかよ。


 でも確かに俺もそう思う。俺なんかで良いのか、って。


 苦しい腹に手を置きながら、今まで乏しかった責任感ってやつを痛烈に感じていた。



✦✥✦



 翌朝の飯も、当然おでんである。挙げ句、


「おでん、お弁当にして持ってく?」


 引き気味になる提案までされた。

 一体、どうやって弁当にするつもりなのか。


 冗談とも本気ともつかぬ真剣な眼差しの奈央に、丁重なお断りを入れることになった問題の大量おでんは、意外にも次の日の晩には、全て完食することが出来た。授業が午前中だけになっていた奈央が、昼にちょこちょこと摘まんでいたらしい。


『私のお陰だね?』 


 なんて言う奈央に、


『ありがとな』 


 条件反射でお礼を言ってしまう俺もどうかと思うけど、『お陰』って言い草は、どう考えてもおかしい。

 確かに、食べたいと言ったのは俺だが、あんな大量に作った奈央にも責任の一端はあるはずだ。

 何故、奈央は常に上から目線なんだろうか。きっと永遠に解けそうにない、謎だ。


    ともあれ、おでん地獄は回避できたし、おでん嫌いにならずに済んだのだから良しとしよう。と、前向きに捉えておくことにした。


 そんなおでん地獄を回避した日から数日後。終了式も終え、今日でこのクラス2-Aも解散となる。

 四月からは留年する者も出ず、全員無事三年へと進級だ。


 最後のHRが終わり、クラス替えでバラバラになってしまう友人たちと離れがたいのか、教室はまだガヤガヤと騒がしい。


 奈央は勿論、さっさと帰った。しんみりするどころか、誰かに捕まったら大変だとでも思っているのか、号令と共に挨拶を済ませると、鞄を掴んで誰よりも早く教室を出て行った。


 素早い。素早すぎる。


 あまりの俊敏さに笑いそうになるのを噛み殺しながら、誰にも気付かれていない奈央の姿を俺は一人見送った。

 その後ろ姿に『進級おめでとう』と、心の中で呟きながら。


 冷めすぎるほど冷めていて、わが道を貫き通す奈央みたいにさっさと帰る者もいれば、大したこともしていない俺に、 


「先生、色々とありがとね」


 律儀にお礼を言ってくる者もいる。

 その律儀者が、随分と明るくなった柏木だった。


「少しは元気になったみたいじゃん」


「うん。⋯⋯あのね、先生。少し話せる?」

「ここじゃない方がいいか?」

「出来れば」


 ふたりで教室を出て資料室に行ってみるものの、先約があり他の先生と生徒が使用中。

 場所を移動し、午後も部活がある生徒がまばらに居る食堂で話をすことにした。


 コーヒーとココアを買い、外気にさえ触れなければ心地よい春の日差しが差し込む窓際で、ふたり向き合い腰を下ろす。


「ほら、飲めよ」

「ありがとうございます。いただきます。先生はブラックなんだ。やっぱり大人だね。私は砂糖とミルクをたっぷり入れないと飲めないよ」


 大人に限らずだけどな。


 ココアよりもブラックコーヒーを好み、下手したら酒の方が好きだとか言い出しかねない、とんでもない女子高生もいる。


「で? 話って、何かあったか?」

「うん。ねぇ、先生? 大人の女性ってどんな感じ?」

「⋯⋯はい?」


 切り出された質問に呆気にとられそうになるが、柏木にしてみたら本気なんだろう。ふざけている気配はない。


 こんなことを訊いてくるってことは、もしかして柏木の想い人である朝倉は、年上の女が好きなのか?


 柏木の最近の様子を鑑みて、当たりをつけてみる。


 しかし、大人の女ねぇ⋯⋯。

 ここ数ヶ月で、考えもすっかり変わってしまった俺に大人の女について問われても。


 考え悩む間にも質問が追加された。


「私たちぐらいの年の男子って、大人の女性好きだよね?」


「一概には言えないけど、10代の頃に年上に憧れることはあったかな」


「やっぱりね」


 実際、俺もそうだった。初めて好きだと思った女は年上だ。相手は俺ではなく、俺のバックボーンに惚れていたというオチ付きだが。

 でも確かに、俺の周りにいた男連中も、年上に惹かれている奴が多かったように思う。


「柏木の好きな奴って、朝倉春樹か?」


 いきなり直球をぶつけてみると、柏木は、はにかんで頬を染めた。


「朝倉の好きな女が、もしかして年上?」


 続けざまに訊ねれば、笑みは保ちながらも、その瞳は段々と悲しみを帯びていく。


「そう。ハルの彼女は年上の人。私、見事にフラれちゃった!」


「そうか」


「彼女は落ち着いていて、周りにもさり気なく優しく出来たり、たまにすごく色っぽく見えたり⋯⋯。私も憧れてた人なんだ」


「うん」


 こういう時は何と返せば良いのか。気の利いた科白ひとつ出てこない。


「でも私、彼女に嫌われてるみたいで」


「お前が?」


「うん。そのせいで、林田さんにも水野さんにも迷惑掛けちゃったの」


 突然出てきた林田と奈央の名前。

 先が読めず理由を訊ねようと口を開きかけた時。


「先生、ごめんなさい」


 いきなり柏木が頭を下げた。

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