「ちょっと待て、柏木。一体、何に対しての謝罪だ?」
全く意味がわからず、先ずは顔を上げろと促した。
顔を上げても俯きがちな柏木は、ココアのカップを両手でぎゅっと包み込んで、重たそうな口を開いた。
「前に喧嘩のことで職員室に呼ばれたことあったでしょ? あの喧嘩、林田さんが助けた人って⋯⋯実は、私のことなの」
「うん? え、だって⋯⋯」
事情を呑み込むのに束の間、言葉を失う。
確かあの喧嘩は、林田が別の誰かを助けに入ったって話じゃなかったか。
それに⋯⋯、
「でも、水野も見たって言ってたよな?」
奈央によれば、林田が助けた相手は直ぐにどっかに行ってしまったって言ってたはずだ。
だが、柏木の今の告白が嘘だとは思えない。つまり、奈央の証言の方が偽りだったということか。
「あの日、一緒にいた林田さんがトイレに行ってる間に、あの人たちに見付かった私が絡まれて喧嘩のあった場所に連れて行かれたの。林田さんは、いるはずの場所にいなかった私を探し出してくれて、一方的に絡まれてる私を助けてくれたんだ」
「だったら、どうしてそう言わなかったんだ?」
「ハルの彼女が仕向けたことだったから」
朝倉の女が?
年上で、且つ、柏木の言葉を借りるならば、周りにさり気なく優しく出来る女。それが高校生に嫌がらせ?
なるほど。朝倉には悪いが、年下相手に大人風情を吹かせているだけの張りぼてか。中身は大人でもなんでもない。
「だからって、正直に言えば⋯⋯」
「私が林田さんに頼んだの。誰にも言わないでって。私が目をつけられていて暴力まで受けたって知ったら、いつも一緒にいる仲間が騒ぎ出すのは分かってたし、ハルにはどうしても知られたくなくて。でも、そのせいで林田さんは川崎先生にきついこと言われて⋯⋯」
一旦押し黙った柏木は気持ちを鎮めているようだった。急かすことなく俺は静かに待った。
深い呼吸を数度繰り返し、再び柏木の口が動く。
「本当のこと言おうと思ったんだけど、あの時職員室には、私が仲の良いクラスメイトもいたから、ハルの耳に入らないように林田さんは嘘を突き通してくれたの」
そう言えば、柏木が何かを言おうとした時、遮るように林田が事情を話したのを思い出す。
「じゃあ、水野は⋯⋯」
「私たちもあの時は驚いちゃって。まさか水野さんに見られてたとは思わなかったし、話を合わせてくれるとも思わなかったから」
奈央の奴、そんなこと一言も⋯⋯。全くアイツは!
よっぽど川崎先生が嫌いだったのか、それとも、教師と言えども横柄な態度で責める川崎先生を許せなかったのか。或いは、責められている林田を庇いたかったのか。
どちらにせよアイツは────。
「水野も黙っていられなかったんだろ」
だけど、そうならそうと俺くらいには話してくれればいいものを。まぁ、喧嘩のことも言わなかったぐらいの奴だ。無理ってもんか。
「林田さんも水野さんも巻き込んで、本当に悪いことしちゃった。先生にも嘘ついてごめんなさい」
「大方、嘘はついてないんだし、言いたくないことは誰にだってあるしな。林田も水野も心配はしても、他は何とも思ってないんじゃないか? あんま気にすんな。それより、その年上の女だ。まだ何かしてきたりするのか?」
「えっと⋯⋯それは、あの⋯⋯間に入ってくれた人がいてね、だからもう大丈夫」
「本当か?」
「うん本当」
何やら歯切れが悪かったが、打ち消すように笑みを見せた柏木。
「朝倉には、やっぱり言わないつもりか?」
コクリと頷くと、すぐさま笑みは翳り表情が曇る。
「告げ口みたいな真似はしたくない。彼女ね、私がハルの近くにいるのが嫌みたい。でも、彼女のしたことは間違ってるけど、ハルを好きだからこそやったんだと思うし、それにハルが知ったら、きっと悲しむから」
「良いのかよ、それで」
「うん。ハルが辛そうにしてるの、もう見たくないんだよね。ずっとね、ハルの片思いで、やっと彼女と思いが通じたから」
「優しいな、柏木は」
「ううん。私が子供だから、ハルが片想いしてるとき、辛そうにしていても何もしてあげられなくて、そう言う姿をもう見たくないだけ⋯⋯早く大人になりたいな」
大人になりたい、と付け足された声音は小さい。でもそこには、切実な思いが込められているようだった。