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9. 変化

第50話


 生徒たちのいない春休みでも教師には何かとやることが多く、気持ちが落ち着かない日々が続いていた。


 そうした忙しい日々も過ぎ、迎えた新年度。


 少しの緊張を孕みながら初めてのクラス担任として教壇に立てば、大方、温かい目に出迎えられ、ホッと胸をなで下ろす。

 生徒たちひとりひとりの目を見ながら、この大事な一年を少しでも良いものにしてやりたいと、柄にもなく普通の教師らしいことを思う。


「先ずは席替え! 好きなとこ座っていいぞ!」


 出席簿順で並んで座っていた生徒たちを促し、好き勝手に席に着かせてみる。

 本当なら、出席簿順の方が顔も名前も覚え安いから俺にとっては有難い。

 だが、どうも大人しいと感じられる我がクラス。早く馴染ませるには、席替えをした方が手っ取り早い。

 知っている顔が近くにあるだけで、今まで口数が少なかった者も急に喋れるようになったりするもんだ。


 しかし、忘れていた。

 このクラスには、扱いづらいかも!? と思わせる二人がいることを。


 二人とも、自ら進んで他の者たちと関わろうとするタイプじゃない。

 案の定、一人が廊下側の一番後ろに座り、もう一人は窓際の一番後ろの席を陣取った。誰とも机を並べず、それぞれ一人で座る形だ。


 要注意と勝手に認識している二人の生徒に、俺は無意識の内に目を向けてしまう。

 そのせいか、この二人と良く目が合う気がする。しかも、温かい目じゃない。

 ほとんどが温かい目のその後方、誰にも気付かれないのを良いことに、冷めた視線を無遠慮にビシバシと飛ばしてくる。


 こいつら二人だけは真ん中に放り込んで、明るい連中に囲ませてしまえば良かったか⋯⋯。


 よし、次からはそうしよう。

 そう心に決めた初日は、決して教師に向けるべきものじゃない二人の冷たい視線さえ上手くかわせば、特に問題もなく無事終えることが出来た。



✦✥✦



「確か、扱いづらい生徒が二人いるって言ってたよね?」


 仕事から帰って来るなり向けられた第一声がこれ。お帰りとは言ってくれないらしい。


「⋯⋯そんなこと言ったっけか?」


「言った。で、誰? 一人は良く分かったけど、もう一人が誰だか見当もつかない」


「自分のことって分かんないもんなんだな」


 教室に引き続き、家でも奈央の冷たい視線を浴びる。加えて深い溜め息まで吐かれる始末だ。


「何で敬介が担任なのよ」


 そう。俺は、奈央のいる3-Eの担任となった。


「俺だって、経験が浅いのに3年を受け持つことになるとは思わなかったよ。それよりも、だ。一番後ろで誰にも見られてねぇからって、そんな視線を俺に飛ばしてくんなよ」


「どんな目よ」


「その凶器になりそうな危険な目」


 素直に答えた俺に飛んできたのは視線だけじゃなく、顔面めがけて投げつけられたクッションだった。


「副担はあんなんだし。まぁ、誰が担任でも副担でもいいけど、くれぐれも問題だけは起こさないようにね」


 どちらが教師だか分からない科白を残し、奈央はシャワーを浴びに行ってしまった。


 ペーペーの俺を助けてくれるはずの副担はベテラン先生。でもそれは、年を重ねているだけであって、俺が言うのもおかしな話だが、果たしてやる気があるのかないのか、些かの不安が募る。


 そんな俺を見透かしたように、「私がフォローするから」と言ってくれたのは、今年から学年主任となった福島先生だ。

 この福島先生こそが、奈央を俺のクラスにと強く推したらしい人物であることは、後から知った。


 誰もが自分のクラスに欲しかったという奈央とは反対に、教師に手を焼かせることで有名な生徒。それが、教室の廊下側の最後部に一人で座っている、林田だ。


 柏木の件もあったし、根っから悪い奴だとは思わないが、何しろまだまともに話をしたことがない。先ずは、口をきいてもらわねば。これが当面の課題となりそうだ。


    ――――しかし。


 数週間経っても林田とのコミュニケーションは図れずにいた。




「林田、おはよう!」

「⋯⋯」


 遅刻したことを責めない、海のように心の広い担任をあっさり無視。


 ある時は、


「調子はどうだ?」


 昼休みに一人でいる林田を見つけて声を掛けてみても「⋯⋯別に」と、どこぞの女優が如くどこまでも素っ気ない。

 それでも、声を発して貰えただけ進歩だ、と喜び勇んだ俺は、


「おっ、喋った!」


 余計なことをポロリと漏らしたばかりに『うぜぇ』と睨まれた。


 何とか会話を成り立たせようとしつこく迫った結果、俺が近付くだけで眉間に縦じわを刻むようになってしまった林田。


 そんなに嫌なら口をきけ 口をッ!


「若いと思って油断すんなよー! んな顔してると、シワ取れなくなんぞー!」

「⋯⋯」


 こうなりゃ意地だ。とことん構い倒してやる。悪いが、冷たくされるのには免疫出来てんだよ。小悪魔のお蔭で!


 幸いにも林田は、嫌な顔はしても必ず教室には姿を見せる。多少の遅刻はあっても一度も欠席したことはなく、それが救いでもあった。


 ただ、一つだけ。何となく心配に思うことがある。


 それは時折、廊下側と窓際側で交わる視線。

 教室の最後列で静かにぶつかり合う視線は、別に睨みあってるわけではないが、柏木を自宅に送ったあの雨の日のように、林田が奈央をひたすら見ている。

 それに気付くと奈央は、温度のない目で見返し、今度はまるで相手にしないとばかりに、わざとらしく視線を外す。


 そんな二人を、もう幾度となく目にしていた。

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