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第13話 情熱と契約



 数日後。ペトロはユダ運転の車に乗って、依頼をくれた企業のオフィスへと向かった。今日は広告の説明と、契約を結ぶ手続きがある。


「て言うか。何でユダがマネージャーなの。お前社長だよな?」


 通常通りヨハネがマネージャーとして付き添う予定だったのだが、今回はやらせてほしいとユダは申し出たのだ。ヨハネは自分がやると言ったのだが、ユダが食い下がらなかったのでヨハネは泣く泣く役目を委ねた。


「今日はペトロくんの初仕事だしね。先方との契約云々もよくわからないだろうから、私が間に入ろうかと思って」

「じゃなくて。ヨハネが最初は付き添うって聞いてたんだけど?」

「今回は特例ってことで」

「職権濫用?」

「まぁ、細かいことは気にしないで」

「気になるから!」


 ペトロの心に若干のモヤモヤを残しつつ、依頼のあった企業のオフィスが入るビルに到着した。エントランスでは、丸メガネを掛けたボブヘアの女性が立っていた。


「お待ちしていました。宣伝担当のフィッシャーと申します」

「初めまして。ノイベルトです」


 ユダはフィッシャーと握手して挨拶し、「彼がペトロです」とペトロを紹介した。


「ペトロ・ブリュールです。初めまして」

「初めまして」


 ペトロもフィッシャーと握手をして挨拶する。ペトロを見る彼女は目を輝かせて、とても何かをしゃべりたそうにしている。

 二人はエレベーターに乗りオフィスへ案内された。エレベーターが到着し扉が開くと、すぐ目の前に見たことのある有名企業のロゴが飛び込んで来た。


「この会社って、よく聞くメーカーの……」

「そう。私たちも時々飲んでるビールの製造と販売をしている企業だよ」


 二人は応接室に通され、もう一人の担当者の男性を交えて話が始められた。


「今回はオファーを引き受けて下さり、ありがとうございます」

「いいえ。あんな熱烈なファンレターのようなメールを頂いては、お断りするのも申し訳ないですし」


 依頼メールをファンレターと言われたフィッシャーは、「お恥ずかしいです」と気不味そうにする。


「先日、戦われている姿を初めてちゃんと見て、その時のペトロさんの表情にズキュン! と言うか、バスンッ! と胸にきて。その興奮が収まらなくてその勢いのまま……。送信したあとハッと我に返って、これはドン引きされて断られると思ってました」

「驚きはしましたが、その気持ちは私もわかります。うちのペトロに初めて声を掛けて下さって、ありがとうございます」

「それでですね。オファー快諾の返信も興奮してすっかり忘れてしまって今更なんですが、今回の依頼内容について説明させて下さい」

(この人どんだけ我を忘れるんだ……)


 若干フィッシャーの忘れっぷりが心配になるペトロだが、タブレットの企画書を見せられながら今回の仕事内容を聞いた。


「お気づきの通り、弊社はビールの製造販売を主とする事業を長年続けて参りました。そして今年、周年を迎えた区切りの年で、これを機に弊社の新たな顔を作りたいと考え、違う飲料の販売に着手する運びとなりました。それが、こちらの炭酸水です」


 両者が挟むデスクには、ラベリングがされたペットボトルが置かれている。新商品の炭酸水のサンプルだ。


「この国では炭酸水も好まれてよく飲まれています。なのでこの際、弊社もその中に飛び込んでやろうということになりまして。様々なメーカーの炭酸水を飲み比べて開発し、この度、商品として販売することになりました」


 それを聞いたユダは、「ですが」と先方に遠慮なく物申す。


「炭酸水を販売しているメーカーは結構ありますよね。そこに新規参入するそのチャレンジ精神は素晴らしいと思いますが、商品の目新しさや目立つ広告を打たなければ埋もれてしまうと考えますが」

「その通りです。私たちもどうやって新商品を消費者にアピールするか、散々悩みました。そこで出会ったのが、ペトロさんなんです」

「オレ、ですか?」


 フィッシャーから突然熱い視線が送られ、ペトロはちょっとタジタジになる。


「ペトロさんを一目見た時、『この人だ!』と私の直感が働いたんです。理由なんてありません。この人なら、消費者の目を奪えると直感で確信したんです」

(直感で確信……。何を言ってるんだろう、この人……)


 ペトロはただ困惑したが、ユダは冷静に話を続ける。


「フィッシャーさんのおっしゃることはわかります。ですが、彼はこれが初仕事なので、率直に言って確実に商品の購買に繋がる約束はできません。実を言うと私も、彼には隠れた実力があるんじゃないかと買っていますが、可能性は良くも悪くも未知数です」

「そこはご心配なく。結果による不当な契約解除などは致しませんし、大コケしたら、一人で突っ走ったわたしの代わりに上司に全責任がのしかかるだけですから」

(上司の人、巻き添え食らうのか……)


 顔も名前も知らないフィッシャーの上司に、同情を禁じ得ないペトロ。


「それに、今日お会いしてわかりました。ペトロさんの起用は直感ですが、確信は100%……いえ。200%してますから!」


 フィッシャーは拳を握って力説する。その目の輝きは、不確定な確信への自信の現れだった。


(未経験者に期待し過ぎじゃないか?)

「そうですか……。本当は私も思っていたんですよ。購買に繋がる約束はできないと言いましたが、私も彼の隠れた実力を信じています!」


 そしてユダも、不確定な確信を抱いていた。


(根拠がないけど本当にそれでいいのか!?)


 情熱の勢いで突っ走ろうとする似たもの同士のユダとフィッシャーに、ペトロは心の中で突っ込まずにはいられなかった。遠慮をしていなければ「冷静になれ!」と二人に言っているところだ。


「そんな感じなんですが。引き受けてくださいますか、ペトロさん」

(そんな感じなんですが、って……)


 起用理由を始め全てに納得はできていないペトロだが、その熱意には嘘はないようだし、ビームみたいな熱視線が痛くて、なんかもう後に引けない空気になっていた。


(まぁ。オレもやるって断言したしな……)

「大丈夫です。力になれるかわかりませんが、よろしくお願いします」


 こうして、不安要素しか残らない交渉を経て、ペトロは企業と初めての契約を交わした。




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