「お前は本当にバカだよな」
シモンの撮影に同行し、オーディション帰りのヤコブを拾って帰宅する車中で、ユダと二人きりになれたのに告白できなかったことをヨハネは運転しながら怒られた。
「改めてストレートに言うなよ……」
「お前には呆れるぜ。どんだけチャンスを逃してんだよ。100回超えてんじゃねぇのかよ」
「たぶんその20分の1くらいだと思うけど」
「それでも逃し過ぎだよ、ヨハネ」
「シモンまで……。僕だって自分に呆れてるよ。聞きたくないのに恋愛相談なんか聞いて、しかも感謝されてちょっと喜んじゃって。自分を殴ってやりたいくらいだ」
「よぉーし。じゃあ俺が代わりに殴ってやる。腹に力を入れて歯ぁ食いしばれ」
後部座席のヤコブは右手を握り本気の拳を作った。
「運転中にガチの腹パンはちょっと……」
「お前はそんくらいやんないと気合い入れ直せないだろが。それとも、このまま側で指咥え続けて目の前でイチャコラされて過激なものまで見てもいいのかよ」
「ぐふっ!」
昨夜に続いてまたお腹にストレートが一発入ったヨハネは思わず車を路肩に急停車し、顔を真っ赤にして声を裏返らせる。
「かっ……。過激なものって……!?」
「キスだよ、キス。お前にとっては過激なものだろ。何を想像してんだよ」
「しっ……してないっ!」
振り返って否定するが、絶対想像したのがまるわかりの動揺のしようだ。
「ヤコブ。ちょっとイジメ過ぎだよ。ボクたちは一応、ヨハネの味方でしょ」
「そーだけど。こいつがヘタレ過ぎんだよ。少しも好意をチラつかせないし。そんなやり方だからユダも気付かないんだぞ」
「わかってるよ、それくらい」
同じようなことを何度も言われて耳に蛸のヨハネは、若干反抗期的な物言いをする。それがちょっと気に障ったヤコブは、ヨハネのための意地悪を思い付いた。
「何だよ、その言い方。よしわかった。帰ってユダと顔合わせた瞬間に『今日もカッコイイですね』って言えよ?」
「はあ!? 急に無理!」
「ノルマだ、ノルマ! 今日から一日一回、必ずアプローチしろ! でないとお前は一生恋人ができないと思え!」
「独身人生まっしぐらってことだね」
ヨハネは真っ青になる。ユダに告白に近いことを言うなんて、そんなことをしたらヨハネの心臓が爆発してしまう。
しかし、一生独身を覚悟するか「カッコイイ」と言って心臓を犠牲にするか。一歩進めるかどうかが勝負どころだ。
同じころ。
今日は早めにデリバリーのアルバイトを切り上げたペトロも帰宅途中だった。
(買い物頼まれたから、スーパー寄ってかないと。ミッシュブロートと、小腹も空いてるから菓子パンも買って帰ろうかな)
電動キックボードを走らせるペトロはミッテ区のエーベルト通りを走り、ポツダム広場に差し掛かる。
この辺りは、全面ガラス張りなど近代的なデザインのオフィスビルが建ち並び、車やバスの交通量が非常に多い。地下にある鉄道駅への大きな入口もあるため、人の往来も多くある。
いつものように通過しようとしていたペトロだったが、ある気配を感じ取って停止した。
「……!?」
(何だ、この気配!? 悪魔? ……でも、それとは違う。悪魔も重い感じはするけど、これはそれよりも重く纏わり付いて嫌な感じだ)
ペトロは謎の気配の出処を探ろうと周囲を警戒する。だが人々は平然としていて、苦しんでいたり混乱の種は一見して見当たらない。
(この辺りなのは間違いない。何なんだ。どこから感じるんだ!?)
確かに感じる気配の元を見つけようと、必死に感覚を研ぎ澄ます。
すると突然、騒音の中からくっきりと二つの声が聞こえて来た。
「
「本当にな。能天気で何も考えてなさそうじゃないか。こんな奴等が存在するなんて、世も末だな」
「こんなのが蔓延ってやがるのか! 視界に入れるだけで俺様の神経を逆撫でやがる! あー、むかつくっ! 苛々する! ぶっ殺してぇっ!」
(何だ、この声! どこから……!?)
まるですぐ側にいるかのように耳に届く二つの声の主を、往来する人々の中から探す。
その時ふと、時計付き信号機のレプリカの前にいる人物が目に入った。所々破れが縫われたボロボロのロングコートの黒い軍服に、黒髪のツーブロックヘアをポニーテールにした青白い肌の、フィリポと呼ばれていた男だ。
最初からペトロを視界に入れていたその男は、鋭い眼光でペトロに向かって歩き出した。
「俺様の敵だろうがそうで無かろうが、糞ったれな奴等は全員ぶち殺してやるっ!」
「血の気が多いのは構わないが、
「!」
もう一つの声の主の出処もはっきりと聞き取れたペトロは振り向いた。
往来する人のあいだからも、ツーブロックと似たような出で立ちの男が近付いて来る。縫われたロングコートを肩掛けで着用し、同じく青白い肌で黒髪の三つ編みを垂らしているマタイと呼ばれる男が、飄々とした雰囲気で歩いて来る。
(この重い気配、こいつらからだ!)
見た目からして異形の姿の悪魔とは一線を画していた。悪魔と似たような気配を持ち、けれどやつらとは違うと自ら主張しているような雰囲気を感じる。
「つーか。此奴一人だけじゃねぇよなぁ?」
「他にもいる筈だ。ほら。来た来た」
「ペトロ!」
ヨハネとヤコブとシモンが到着した。
「あと一人はー……」
「みんな!」
ユダも到着し使徒が全員揃ったところで、マタイが指で人数を数える。
「いち、にぃ、さん……。此れで揃ったんじゃないか?」
「何なんだ、こいつら」
「悪魔とは違う気配だよね。何者?」
「わかんない。急に現れたんだ」
一同が謎の敵二人の動向に警戒していると、黒ずくめの二人は突然周囲に向かって叫び出した。
「大変だー! 悪魔が現れたぞー!」
「早く逃げねぇと襲われるぞ!」
「!?」
二人の唐突な行動に、五人は言葉を失くす。
「悪魔!?」
「本当だ。使徒が集まってる!」
「やばい! みんな逃げろ!」
それを聞き、歩いていた周囲の人々は走り出し、鉄道駅のある地下に駆け込んだりして慌てて四方八方に逃げて行く。
敵の敵らしくない突拍子のない行動に、一同は唖然とする。
「何をそんなに驚いてるんだ。あんた等は
「おい、マタイ!」
「いいだろう。サービスだ」
「……
ユダが戦闘領域を展開し、付近にいた一般人は全て領域外に移動した。
「お前ら一体何者だ! 悪魔なのか!?」
ヤコブの問いに、まともに受け答えできないフィリポの代わりにマタイが答える。
「悪魔じゃ無いさ。ちゃんと人型をしてるだろう? 最初から自分の意志で喋る俺達は、悪魔とは区別された存在だ」
「悪魔じゃないとしたら、何なんだ!」
「俺達は、怨念さ」
「怨念?」
五人は眉を顰める。
「肉体が屍と化して魂が転生をし、其れでも強い思いだけが此の世に残り彷徨い続ける、数多の怨念の集合体。神の祝福を望まず、
「怨念の集合体……」
「此れだと名乗るのが不便だな。何か名前を考えるか。そうだな……」
マタイは腕を組み、呑気に即興で名乗るための名前を考え始めた。しかし、短気のフィリポは苛立っている。
「オイッ! そんな下らねぇ事は糞どうでもいいから早く殺らせろっ!」
「ちょっと待て。良い名前が思い付きそうだ……」
するとマタイはポンと手を打った。
「そうだ。此れが良い。お前達が『使徒』なら、俺達は死せる者───
「『死徒』……」
「俺は『死徒』の統括。名を『
「俺様は『
「つまり。私たちの敵、という解釈で間違いないかな?」
「そういう事だ」
自分たちを怨念の集合体だと言う『死徒』。唐突に未知の敵を前にした使徒。
戦闘領域内に緊張感が満ちていく。
「マタイ。挨拶も終わったんだしもうやっていいよな! ウズウズして仕方がねぇ!」
「ああ。後は好きにやってくれ。だが、他の者も使徒との対面を心待ちにして居る。其れは配慮してくれよ」
「出来たらなっ!」
挨拶だけをしに来たマタイは、自身の影の中にスゥッと姿を消した。
どうやら五対一の戦いになるようだ。使徒は、フィリポがどんな能力で挑んで来るのか身構える。
「さあ、やろうじゃねぇか! テメェ等の力がどんなものか、俺様に見せてみろ!」
フィリポは左手を前に出した。掌には
「先ずは相棒を紹介してやるよ! ───俺様と契約したゴエティア、現れやがれ!」
掌のシジルと同じ模様が地面にも現れると紫色の光を放ち、ゴエティアが召喚された。
背中には大きな鳥の羽を持ち、逞しい四肢と鋭い爪、狼犬のような頭をした灰色の毛に覆われた獣の姿の悪魔だ。
「此奴が俺様と契約したゴエティア、グラシャ=ラボラスだ!」
「喚んだか、主?」
獣の姿のゴエティアは言葉を理解していた。
「テメェの初仕事だ、グラシャ! 使徒の野郎共をぶち殺せ!」
「了解した。お前は何をする?」
「俺様は、
標的をすでに絞っていたフィリポはまばたきをする間もなくペトロの目の前に移動し、首を掴んだ。
「ぐっ!?」
「第一印象でテメェに決めてたぜ!」
その勢いのままペトロはユダたちから引き離される。
「ペトロくん!」
「精々楽しませてくれよなぁ!」
《因蒙の棺《ザーク・レミニスツェンツ》!》
フィリポが唱えると、テニスコートほどの広さがある黒い箱が現れ、ペトロはフィリポとともにその中に閉じ込められた。
「ペトロくんっ!」
「ペトロ!」
ユダたちはペトロを救出しようと使徒の力で箱を攻撃するが、力が相殺され傷一つ付かない。
すると、ペトロを浚ったフィリポの嘲笑う声が箱から響いてくる。
「無駄だ馬鹿共がっ! テメェ等に仲間を助け出す事は不可能だ! グラシャの相手でもしてやがれっ!」
「そういう事らしい。一興を共にしようではないか」
金色の双眸の獣の悪魔は、前脚で地面をガリッと一掻きした。