「
「
使徒はグラシャ=ラボラスに攻撃を放つが、トラほどもある身体の大きさのくせに俊敏に動き回られ、全く命中しない。
さらに翼があるため、空中に間合いを取られるとグラシャ=ラボラスの方が有利となり、使徒は翼から無数に飛んで来る刃と化した羽根の防御に気を取られてしまう。
「使徒の力だけじゃダメだ!」
「それなら任せて下さい! シモン!」
ヨハネとシモンはハーツヴンデ〈
「
「
ユダの援護でヨハネは空中のグラシャ=ラボラスに稲妻を帯びた光線を放つ。が、グラシャ=ラボラスはどちらの攻撃もひらりとかわす。
「
間髪を入れず、駅入口の屋根の上に立つシモンがいくつもの光の矢を放った。しかしそれも、翼を掠りもせずに巧みにかわされ、羽根の刃をお見舞いされる。
直撃は免れるが、ガラスの屋根が割れてシモンは足元を失う。
「ぅわあ……っ!?」
「シモン!」
ヤコブが落下するシモンを咄嗟に抱き留めた。
「大丈夫か?」
シモンを気遣うヤコブだが。
「
背後からの攻撃を助けられたシモンが防御した。
「油断禁物だよ、ヤコブ」
「こらそこ! イチャイチャするな!」
「何だよヨハネ。嫉妬かぁ?」
「見せつけてる暇があったら集中しろって話だよ!」
確かに、敵に隙きを与えている余裕は今回ばかりは一切なさそうだ。それに、囚われたペトロの安否が不明なのも非常に気掛かりだ。
「
一人焦りを滲ませるユダはグラシャ=ラボラスを狙い続け、同時にその目的を探った。
「ちょっと訊いていいかな! お前は『死徒』の仲間なのか!?」
「仲間という認識では無い。今だけ契約をしているだけだ」
「あの黒い箱は何だ! あの中はどうなっている!? 中にいる仲間に何をしているんだ!?」
「あれは『死徒』の能力。悪夢を見せる棺らしい」
「悪夢を見せる棺?」
「あれに囚われた者は、己の内にある最大のトラウマを否応なしに体験させられる。追い詰められるとやがて病み、極限状態を迎え、最終的には精神の死を迎える。と言っていた」
「じゃあペトロは今、あの中で過去のトラウマを……」
想像しただけでゾッとし、自分のことのようにヨハネたちは棺の方を見遣る。
「棺って、嫌な言い方」
「心が壊れてジ・エンド、ってことかよ。悪趣味なやり方だぜ」
「あれはどうしたら壊せる!?」
一刻でも早くペトロを救出したいユダは解放する方法を問い質した。しかし、その焦燥感を炙る答えが返ってくる。
「壊すことは不可能。先程のように、外側からの干渉は拒絶される。内側からの負荷でしか破壊する事はできない。故に、囚われた者が己の力で脱するしか術は無い。そう聞いている」
「そんな……」
「あの箱が消えることはないのか!」
「其れは術者が消滅するか、囚われた者が精神の死を迎えた時だ」
外からは成す術はないと断言され、ユダは苛立ち歯を噛む。
「外にいるオレたちには何もできないのかよ」
「無事を祈るしかできないなんて……」
ペトロ救出に諦念しかけるヤコブたちだが、焦燥感に駆られながらもユダは気を持ち直す。
「私は絶望はしない。きっとペトロくんは大丈夫だ。私は彼を信じる!」
(強くなりたいと言っていた。自分のために使徒になったと。その意志の強さを、彼を、私は信じる!)
「
不安と恐れを弾き飛ばすようにユダは攻撃する。グラシャ=ラボラスは直下から湧き出た光の泉も巧みな翼遣いで避ける。
「そうですね。僕たちは、ペトロを信じるしかありません」
「本当はあのフィリポってやつを倒したいけどな」
「しょうがないから、目の前の敵を相手するしかないね」
使徒は仲間の安否の不安を無理やりに打ち消し、立ちはだかる敵を倒すのが今の自分たちのやるべきことだと自身に言い聞かせる。
本心は、ハーツヴンデが壊れても使徒の力を使い果たしても助け出したいユダも、妨げになる思いを振り切るように立ち向かった。
(ペトロくん。きみを信じてる。だからどうか、自分の過去に負けないでくれ……!)
棺の中に囚われたペトロは、ひとまず無事だった。しかし、自分の周囲に広がる信じられない光景に呆然と立ち尽くしていた。
「……こ……ここは……」
着ているものはデリバリーのジャケットではなく、昔来ていたものと似たダウンジャケットだ。吐く息も白く、昼間ではなくきらめく夜の中にいた。
ペトロが立っていたのは、夜のクリスマスマーケットだった。クリスマスを演出する生演奏の音楽が広場に流れ、ツリーのオーナメントやスノードームやグリューワインを売る木造の小屋が両脇に並んでいる。見上げれば天の川のようなイルミネーションが輝いていて、まるで星の中にいるようだ。
大小のクリスマスツリーも華やかに飾り付けられ、巨大なクリスマスピラミッドやメリーゴーラウンドも、訪れる人々を歓迎している。ここにいる家族連れやカップルなどの全ての人が、このイベントを楽しんでいた。
「お母さん、姉ちゃん! 早く!」
一番楽しみにしているのが子供だ。まだ小学生の幼い男の子が、ペトロの横を元気よく走り抜けた。その子を追って、同い年の女の子と母親が通り過ぎる。
「待ってよー!」
「迷子になるわよ」
その三人の声と顔に、ペトロの心臓は一瞬停止し、顔色が変わる。
「ここは……。あの日の……」
ペトロがいるのは、彼の愛する家族を喪った日のクリスマスマーケットだった。
雪が降りそうな曇天も、聞こえて来る音楽も、今着ているものも、全てがその日と同じだった。鮮明に刻まれた記憶と寸分違わないから、間違いなかった。
自分がその記憶と同じ場所にいるなど受け入れ難いペトロの中に、次第に怖気が生まれてくる。
すると、立ち尽くしていたその手を、戻って来たペトロの双子のきょうだいが掴んだ。
「えっ?」
「お兄ちゃん、何してるの!」
「早く行こ!」
「えっ!?」
全て幻覚だと思っていたペトロは喫驚し戸惑う。
(何で触れられてるんだ。これは幻覚じゃないのか!?)
「お母さん! ゲブランテ・マンデルン食べたい!」
「わたしもー!」
(一体どうなってるんだ!?)
幻覚のはずが現実のように思えてきて、ペトロは自分が現在にいるのか過去にいるのかわからなくなる。
「ペトロは?」
「え?」
「あなたも好きでしょ? 甘いアーモンド」
尋ねる母親は優しく微笑みかけた。
数年ぶりに見たその顔が懐かしくて愛おしくて、ペトロは感無量になる。その瞬間、幻覚と現実の堺がなくなり、目の前の家族は生きている家族だと思い始める。
(そういえば、
ペトロは一緒にお店を見て回り、オーナメントの店に入って好きなものを一つずつ選んだり、甘いホットチョコレートを飲んだりして、家族でクリスマスマーケットを楽しんだ。
双子のきょうだいへの誕生日プレゼントもこっそり買った。
(あれ? 前にも同じものを買った気がする……)
少し違和感を感じるも気にせず、家族と別行動をしていたペトロは合流した。
「ねえ! メリーゴーラウンド乗りたい!」
元気な双子は母親の手を引いて、メリーゴーラウンドの方へと走り出した。
ところが、「メリーゴーラウンド」と聞いたペトロはその名前が厭わしく感じ、そこから動かなかった。
「……ダメだ」
脳裏に
「ダメだ! メリーゴーラウンドは……!」
「危ないから走らないで」
だが、双子のきょうだいを追い掛けて母親がそのあとを駆け出した。
「母さんも行かないで! 危険なんだ!」
静止させてもその声はなぜか届かず、これから起こることを知らない家族はメリーゴーラウンドへ近付いた。ペトロは追い掛けようとするが、人混みに遮られ家族と離ればなれになってしまった。
「ダメだ! 戻って来て! そっちはダメなんだ! メリーゴーラウンドに乗ったら……!」
ペトロは家族を止めようと叫び続けた。
その時。走って来たトラックが道路を外れて小屋に衝突し、突然の破壊音に悲鳴がこだました。だが“事故”はそれだけで収まらず、トラックはそのままクリスマスマーケット会場に突っ込み、小屋を幾つも破壊し、人を何人も跳ね飛ばしながらクリスマスピラミッドに衝突し、爆音を轟かせ炎を上げた。
その瞬間、“事故”は“事件”となった。
「キャーーーーーッ!!!」
トラックの破片が周辺に飛び散り、クリスマスピラミッドは炎の柱のように燃え上がる。会場にいた人々は突如起きた出来事に震撼し逃げ惑い、あるいは一目散に逃げ出した。
その人々の中、あの日と同じ出来事を目にしたペトロは愕然として立ち尽くす。
「…………」
しばらくすると、メキメキッと嫌な音が聞こえ始めた。炎に包まれたクリスマスピラミッドが、隣のメリーゴーラウンドの方に倒れ始めた。
そこには。
「ダメだ」
ペトロはそこから一歩も動くことができない。気持ちは進みたくても、足がすくんでいた。
「ダメだ! やめてくれ!」
クリスマスピラミッドは一秒ごとに倒壊の限界に近付き、やがて支柱が折れるバキバキッという大きな音が響く。
そして。
「やめろぉーーーーーーーーーーっ!」
メリーゴーラウンドの上に倒れた。巻き込まれ潰されたメリーゴーラウンドにも炎が移り、猛炎が生み出された。
「あ……。ああぁ…………」
絶望するペトロは、身体を震わせて膝から崩れ落ちた。
炎はどんどん広がり、人々を楽しませていたものは次々と飲み込まれ、ペトロの周りは火の海となった。小屋は焼け落ち、イルミネーションは消え、クリスマスツリーも灰となり、全てを奪って辺りは真っ暗になった。
ペトロは下火に囲まれる。
残った炎の中に、犠牲者たちが立っていた。巻き込まれたペトロの母親と幼い双子のきょうだいたちも、眉をひそめてこっちを見ている。
その恐ろしい視線から逃れたくて、ペトロは怯えて顔を伏せた。
「そんな顔で見ないで。オレを責めないで……。わかってるよ。同じ場所にいたオレだけが無事でいることが、許せないんだろ。すぐ側にいたのに助けなかったから怒ってるんだろ。でも、無理だった。怖かったんだ。あの燃え盛る炎の中から、周りの人の叫び声に混ざって、微かにオレを呼ぶ声がした。その声を聞いた途端、全部わかっちゃったから。みんなが今、あの炎の中にいるってことが……。だから、助けたくても、助けに行けなかった。身体が震えて、動かなくて。もうダメなんだって、諦めちゃったんだ。もしかしたら助けられたかもしれないのに。まだ生きてたのに。オレは……見捨てた……」
「テメェは糞野郎だな」
暗闇からフィリポが姿を現した。
「家族を見捨てて自分の幸せだけを掴もうとする。そんな奴、誰が許す? 見殺しにされた家族は、テメェだけが生きて幸せになる事を怒りに満ちた目で咎めてるぞ」
「ご……ごめんなさい……」
「謝罪で罪が許される程、此の世は優しくできてねぇんだよ。特にテメェは、目の前で家族を見捨てた。其の罪は重罪だ。生きていて良い筈がねぇだろ!」
家族からは表情で咎められ、フィリポからもほじくり出された罪悪感の核心を見抜かれて突き付けられ、罪責を問われ、自戒となった誓いで守られていた
「ごめんなさい……。助けるのを諦めてごめんなさい……。見捨ててごめんなさい……。オレだけ生きようとしてごめんなさい……。幸せになろうとしてごめんなさい……。ごめんなさい……。ごめんなさい……」
ペトロは自責の言葉を繰り返す。しかし、
この空間を支配するフィリポは、自責の念で押し潰されそうなペトロに、耳元で囁く。
「テメェには生きる資格はねぇ。幸せを求める事は、見殺しにした家族への裏切りだ!」