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第23話 棺の中。罪との再会①



闇世への帰標ベスターフン・ニヒツ!」

祝福の光雨リヒトリーゲン・ジーゲン!」


 使徒は散らばって、グラシャ=ラボラスに攻撃を仕掛けた。だが、ライオンほどもある身体の大きさのくせに俊敏に動き回られ、全く命中どころか掠りもしない。

 しかも翼があるため、空中に間合いを取られるとグラシャ=ラボラスの方が有利となり、使徒は翼から無数に飛んで来る刃と化した羽根の防御に気を取られてしまう。


「使徒の力だけじゃダメだ!」

「それなら任せて下さい! シモン!」


 ヨハネとシモンはハーツヴンデ〈苛念ゲクイエルト〉と〈恐怯フルヒト〉を具現化させる。


天の罰雷ドンナー・ヒンメル!」


冀う縁の残心、皓々拓くエントゥウィクレン・ゼルプスト!」


 ユダの援護で、ヨハネは空中のグラシャ=ラボラスに稲妻を帯びた光線を放つ。が、グラシャ=ラボラスはどちらの攻撃もひらりとかわす。


泡沫覆う惣闇、星芒射すホフノン・リヒトシャイネン!」


 間髪を入れず、駅入口の屋根の上に移動したシモンがいくつもの光の矢を放った。しかしそれも翼を掠りもせずに巧みにかわされ、羽根の刃をお見舞いされる。

 防御フェアヴァイガンで直撃は免れるが、ガラスの屋根が割れてシモンは足元を失う。


「うわぁ……っ!?」

「シモン!」


 ヤコブが落下するシモンを咄嗟に抱き留めた。


「大丈夫か?」

防御フェアヴァイガン!」


 シモンにかっこいいところを見せたヤコブだが、背後からの攻撃をシモンに防御され助け返されてしまった。


「油断禁物だよ、ヤコブ」

「こらそこ! イチャイチャするな!」

「何だよヨハネ。嫉妬かぁ?」

「見せつけてる暇があったら集中しろって話だよ!」


 確かに、敵に隙きを与えている余裕は今回ばかりは一切なさそうだ。それに、囚われたペトロの安否が不明なのも非常に気掛かりだ。


祝福の光雨リヒトリーゲン・ジーゲン!」


 一人焦りを滲ませるユダはグラシャ=ラボラスを狙い続け、同時にその目的を探った。


「ちょっと訊いていいかい。お前は『死徒』の仲間なのか?」

「仲間という認識では無い。今だけ契約をしているだけだ」

「それじゃあ、あの黒い箱は何だ。あの中はどうなっている? 閉じ込めた仲間に何をしているんだ?」


 襲い掛かる羽根の刃を防御フェアヴァイガンで防ぐ。


「あれは『死徒』の能力だ。悪夢を見せる棺らしい」

「悪夢を見せる棺?」

「あれに囚われた者は、己の内に有る最大のトラウマを否応無しに体験させられる。追い詰められるとやがて病み、極限状態を迎え、最終的には精神の死を迎える。と言っていた」

「精神の死……」

「じゃあ。ペトロは今、あの中で自分のトラウマを……」


 棺の方を見遣り想像するヨハネたちは、自分のことのようにゾッとする。


「棺って、嫌な言い方」

「心を壊すとか、悪趣味なやり方だぜ」


 一刻でも早くペトロを救出したいユダは、解放する方法を問い質す。


「あれはどうしたら壊せる!?」


 しかし、その焦燥感を炙る答えが返ってくる。


「壊す事は不可能。先程のように、外側からの干渉は拒絶される。内側からの負荷でしか破壊する事は出来無い。故に、囚われた者が己の力で脱するしか術は無い。そう聞いている」

「そんな……」

「あの箱が消えることはないのか!」

「其れは、術者が消滅するか、囚われた者が精神の死を迎えた時だ」


 外からは成す術はないと断言され、ユダは苛立ち歯を噛む。


「外にいるオレたちには、何もできないのかよ」


 ペトロ救出に、ヤコブたちは諦念を抱きかける。だがユダは、焦燥感に駆られながらも、自分に言い聞かせるように気を確かに持たせる。


「私は絶望はしない。きっとペトロくんは大丈夫だ。私は彼を信じる!」

(強くなりたいと言っていた。自分のために使徒になったと。その意志の強さを、彼を、私は信じる!)

赫灼の浄泉クヴェレ・ブレンデン!」


 不安と恐れを弾き飛ばすようにユダは攻撃する。グラシャ=ラボラスは、直下から湧き出た光の泉も巧みな翼遣いで避ける。


「そうですね。僕たちは、ペトロを信じるしかありません」

「本当は、あのフィリポってやつを倒したいけどな」

「しょうがないから、目の前の敵を相手するしかないね」


 一同は仲間の安否の不安を無理やりに打ち消し、立ちはだかる敵を倒すことが今の自分たちのやるべきことだと自身に言い聞かせる。

 本心は、ハーツヴンデが壊れても使徒の力を使い果たしても助け出したいユダも、妨げになる思いを振り切るように立ち向かった。


(ペトロくん。きみを信じてる。だからどうか、自分の過去に負けないでくれ……!)




 棺の中に囚われたペトロは、ひとまず無事だった。

 しかし。目を開き、自分の周囲に広がる光景を目にすると、呆然と立ち尽くした。


「……こ……ここは……」


 着ているものはデリバリーの制服のジャケットではなく、昔来ていたものと似た青いダウンジャケットだ。吐く息も白く、昼間ではなくきらめく夜の中にいた。しかし、不思議と寒さや匂いは感じない。

 ペトロが立っているのは、夜のクリスマスマーケットだった。

 雰囲気を演出する生演奏の音楽が広場に流れ、ツリーのオーナメントやスノードーム、グリューワインや軽食を売る木造の小屋が両脇に並んでいる。見上げれば、天の川のようなイルミネーションが輝いていて、まるで星の中にいるようだ。

 大小のクリスマスツリーも華やかに飾り付けられ、巨大なクリスマスピラミッドを背景に写真を撮ったり、子供たちはメリーゴーラウンドに乗ってはしゃいでいる。

 ここにいる全ての人が、待ちに待ったイベントを楽しんでいた。


「お母さん、姉ちゃん! 早く!」


 ライトブラウンの髪で緑色のダウンジャケットを着た七歳の男の子が、ペトロの横を元気よく走り抜けた。そのあとを追って、同い年で同じ髪色のピンク色のダウンジャケットの女の子と、ライトグレーのコートを着た長い金髪の母親が通り過ぎる。


「待ってよー!」

「迷子になるわよ」


 その三人の声と顔に顔色を変えたペトロの心臓は、一瞬止まった。

 もうこの世にいないはずの、双子のきょうだいと母親だったからだ。


「ここは……。あの日の……」


 ペトロがいるのは、忘れもしないあの日のクリスマスマーケットだった。

 雪が降りそうな曇天も、聞こえて来る音楽も、今着ているものも、全てがその日と同じだった。鮮明に刻まれた記憶と寸分違わないから、間違いなかった。

 その記憶と同じ場所にいることが受け入れ難いペトロの中に、次第に怖気が生まれてくる。

 すると、立ち尽くしていたその手を、戻って来たきょうだいが掴んだ。


「えっ?」

「お兄ちゃん、何してるの!」

「早く行こ!」

「えっ!?」

(何で触れられてるんだ。これは幻覚じゃないのか!?)


 全て幻覚だと思っていたペトロは、喫驚し困惑する。


「お母さん! ゲブランテ・マンデルン食べたい!」

「わたしもー!」

(一体どうなってるんだ!?)


 幻覚のはずなのに、現実のように思えてきてしまうペトロ。自分が生きている本当の時間が、曖昧になり始める。


「ペトロは?」

「え?」

「あなたも好きでしょ? 甘いアーモンド」


 尋ねる母親は、優しく微笑んだ。

 数年ぶりに見たその顔が、懐かしくて愛おしくて、ペトロは感無量になる。

 その瞬間、幻覚と現実の堺がなくなり、目の前の家族は生きている家族だと思い始める。


(そういえば、 さっきまで、大事なことをしようとしてた気が……)

「うん。食べたい」


 ペトロはきょうだいたちとゲブランテ・マンデルンを食べ、家族四人でお店を見て回った。

 オーナメントの店に入って好きなものを一つずつ選んだり、甘いホットチョコレートを飲んだりして、家族でクリスマスマーケットを楽しんだ。

 途中で別行動をして、こっそり双子のきょうだいへの誕生日プレゼントも買った。


(あれ? 前にも同じものを買った気がする……)


 少し違和感を感じるが、気のせいだと考え、家族と合流した。


「ねえ! メリーゴーラウンド乗りたい!」


 元気な双子は母親におねだりして、メリーゴーラウンドの方へと走り出した。

 ところが、「メリーゴーラウンド」と聞いたペトロはその名前が厭わしく感じ、足を止めた。


「……ダメだ」


 脳裏に、直後に起こる出来事が予言するようにフラッシュバックする。ペトロは顔色を変え、家族を引き止めようとした。


「ダメだ! そっちは……!」

「わかったから、走らないで」


 だが、母親も双子のきょうだいに手を引かれてメリーゴーラウンドの方へ歩いて行く。


「母さん行かないで! 危険なんだ!」


 静止させてもその声はなぜか届かず、これから起こることを知らない家族はメリーゴーラウンドへ近付いて行く。

 ペトロは追い掛けようとするが、人混みに遮られ家族と離ればなれになってしまった。


「ダメだ! 戻って来て! そっちはダメなんだ! メリーゴーラウンドに乗ったら……!」


 ペトロは、家族を止めようと叫び続けた。

 その時。道路を走っていたトラックが、道を外れて小屋に衝突した。突然突っ込んで来たトラックに人々は驚愕し、悲鳴が上がる。

 だが。“事故”はそれだけでは収まらなかった。トラックはそのままクリスマスマーケット会場内を走り、小屋を幾つも破壊し、人を何人も跳ね飛ばした。

 そして、最後にクリスマスピラミッドに衝突し、爆音を轟かせ炎を上げた。

 その瞬間、“事故”は“事件”となった。

 金切り声が、冬の冷たい空気を切り裂いた。

 突如襲われた震撼と驚怖で、会場にいた人々は逃げ惑う。トラックの破片が周辺に飛び散り、怪我を負う人もいた。

 その混乱の中、あの日と同じ出来事に遭遇したペトロは、愕然と立ち尽くす。


「…………」


 燃え上がるクリスマスピラミッドは、瞬く間に炎の柱となっていく。

 しばらくすると、メキメキッと嫌な音が聞こえ始めた。炎に包まれたクリスマスピラミッドが、隣のメリーゴーラウンドの方に倒れ始めた。

 そこにはまだ、逃げ遅れる家族がいた。


「ダメだ」


 それを知っているのに、ペトロはそこから一歩も動くことができない。気持ちは進みたくても、足がすくんでいた。


「ダメだ! やめてくれ!」


 惑乱する目で懇願するも、クリスマスピラミッドは刻一刻と限界に近付く。

 やがて、支柱が折れるバキバキッという大きな音が響いた。

 そして。大きく傾き。


「やめろぉーーーーーーーーーーっ!」


 メリーゴーラウンドの上に倒壊した。巻き込まれ潰されたメリーゴーラウンドにも炎が移り、猛炎が生み出された。


「あ……。ああぁ……」


 ペトロは絶望し、身体を震わせて膝から崩れ落ちた。

 炎はどんどん広がり、人々を楽しませていたものは次々と飲み込まれる。

 小屋は焼け落ち、イルミネーションは消え、クリスマスツリーも灰となり、全てを奪って辺りは真っ暗になった。

 ペトロは、下火に囲まれる。

 その中に、犠牲者たちが立っていた。巻き込まれた母親と幼い双子のきょうだいたちも、眉をひそめてペトロを見ている。

 本当は、そんな顔はしていない。家族の顔も、他の被害者たちの顔も、全員の顔が黒く塗り潰されていて、表情なんて見て取れるはずがなかった。

 しかし。ペトロには確かに、恨み顔が見えていた。その恐ろしい視線から逃れたくて、怯えて顔を伏せた。


「そんな顔で見ないで。オレを責めないで……。わかってるよ。同じ場所にいたオレだけが無事でいることが、許せないんだろ。すぐ側にいたのに助けなかったから、怒ってるんだろ。でも、無理だった。怖かったんだ。あの燃え盛る炎の中から、周りの人の叫び声に混ざって、微かにオレを呼ぶ声がした。その声を聞いた途端、全部わかっちゃったから。母さんたちが、あの炎の中にいるってことが……。だから、助けたくても、助けに行けなかった。身体が震えて、動かなくて。もうダメなんだって、諦めちゃったんだ。もしかしたら助けられたかもしれないのに。まだ生きてたのに。オレは……」

「テメェは糞野郎だな」


 暗闇から、姿が見えなかったフィリポが現れた。


「家族を見捨てて、自分の幸せだけを掴もうとする。そんな奴、誰が許すんだよ。見殺しにされた家族は、テメェだけが生きて幸せになる事を、怒りに満ちた目で咎めてるぞ」

「ご……。ごめんなさい……」

「謝罪で罪が許される程、此の世は優しく出来て無ぇんだよ。特にテメェは、目の前で家族を見捨てた。其の罪は重罪だ。生きていて良い筈が無ぇだろ!」


 眉間に深い皺を刻み、怒りに燃えるような赤い双眸が、ペトロを罪で突き刺す。

 家族からは表情で咎められ、フィリポからも、ほじくり出された罪悪感の核心を突き付けられた。

 罪責を問われ、自戒となった誓いで守られていたペトロの精神こころが、ひび割れていく。


「ごめんなさい……。助けるのを諦めてごめんなさい……。見捨ててごめんなさい……。オレだけ生きようとしてごめんなさい……。幸せになろうとしてごめんなさい……。ごめんなさい……。ごめんなさい……」


 ペトロは自責の言葉を繰り返す。しかし謝罪をすれば赦されるほど、優しくはない。


「テメェには生きる資格は無ぇ。幸せを求める事は、見殺しにした家族への裏切りだ!」


 フィリポは、自責の念で押し潰されそうなペトロに、追い打ちを掛ける言葉を耳元で囁いた。

 この空間を支配する彼の言葉は、偽りが含まれていたとしても全てが真実となる。そして、事実であると囚われた者に刷り込まれるのだ。




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