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第21話 嬉しくない優しさ



 初めての『死徒』との戦いを終えた一同は、疲弊して帰宅した。負傷したユダはその場で応急処置をし、帰宅してからヨハネが治癒を施した。


「ありがとう。ヨハネくん」

「いいえ。完全に治せなくてすみません」


 ベッドに横になるユダに、ヨハネは申し訳なさそうに言う。

 使徒に治癒能力はあるが、あまり深い怪我だと完璧には治せない。傷が完全に塞がるまでは、派手な戦闘は控えた方が無難だ。


「ペトロの方も、治癒できればいいんですが……」


 ヨハネは憂心を抱いて目を伏せた。

 物理的な怪我は治せても、精神的な傷は癒せない。介抱されたペトロも、今はベッドルームで寝ている。


「まだ苦しそうだった?」

「そうですね。少し」

「そっか……」


 自身も負傷したというのに、ユダはペトロを案じて彼が寝るベッドルームの方を見遣る。

 仕切りの代わりに置いている棚は背板がないので、横になっていても立て掛けてある本の隙間からペトロのベッドルームのドアが見えた。

 他愛を覗わせるユダの眼差しを見てしまったヨハネは、彼が抱いている思いのかたちが何となく見えてしまった気がした。


「……案外ユダは、わかりやすいですよね」

「え?」

「ペトロのことが心配でならないって顔、してますよ」

「そうかな?」

「そうですよ」


 ユダは自身が秘めている思いを隠そうと装うが、見抜いているヨハネは微苦笑した。


「あの作戦、適当に言ってみただけですけど、ペトロに届いたのかもしれませんね。ユダの思いが」

「そうだといいな」

「きっとそうですよ。あの棺は内側からでないと壊せない。だからペトロが脱出できたのは、あなたの思いが届いたからですよ」


 まるで二人の関係を認めてしまっているようなことを言っているな。そんなことを思うヨハネは、ユダの思いが本当にペトロに届いたのだと根拠もなく信じていた。

 話していると、ドアが開く音がした。ベッドルームのドアが開いて、ペトロが起きて来た。壁に手を置きながら歩く身体をヨハネは気遣った。


「ペトロ。大丈夫か?」

「ヨハネ……。うん。だいぶ落ち着いた」


 そう言うが、まだ少し顔色が悪い。もう少し休めとヨハネは言うが、ペトロは大丈夫だと言い張る。

 自分の体調よりも気掛かりがあるのか、ペトロは部屋の中を見回した。


「ユダは?」

「ベッドに横になってる。治癒はしたけど、まだ無理はできない」


 ペトロはユダのベッドルームの方へ歩いた。

 悔しいが邪魔をするのは野暮だと、ヨハネは静かに部屋を出た。

 ユダは上体を起こしてペトロを迎えた。


「ユダ」

「ペトロくん。起きて大丈夫?」

「うん。平気。ユダこそ……」

「完治を待つだけだから、大丈夫だよ」


 怪我人がベッドに入りがら大丈夫と言っても説得力はないが、心配そうにするペトロを安心させるためにユダはいつものように微笑んだ。

 ベッドの横に来たペトロは、ヨハネが使っていた椅子に座った。


「顔色、あんまり良くないね」

「そう?」

「うん。全快するまで、無理しちゃダメだよ。バイトも休むこと」

「うん。わかった」


 どっちが重症なのか、これではわからない。けれどペトロは、自分を庇って怪我をしたユダの言うことを素直に聞いた。

 二人は無言になる。窓の外の中庭に西日が射していて、部屋の中は外より少し早めに暗くなり始めていた。

 しばらくして、ユダが少しためらいながら口を開いた。


「……あの中で何が行われたか、敵に少し聞いた……。トラウマを見せられてたの?」

「……」


 棺の中で起きたことを脳内に走らせたペトロは、俯いて口を結ぶ。


「ごめんね。辛いことを思い出させて……。だけど私は、このまま明日を迎えられない。いつものように、きみとこの部屋で過ごせない。何も知らないまま、きみとの時間を重ねられない」


 囚われていた棺から脱出した直後のペトロの様子は、断頭台から免れても死神に追われているかのようで、生還を喜んだ顔はしていなかった。ユダはその表情を目にして、ペトロの過去を知らずにいられなくなった。


「全部とは言わない。今のきみから話せることだけでいいから。少しでもいいから、私に教えてほしい。きみが抱える、心の傷を」


 ユダは、握られたペトロ手に右手を重ねた。ペトロの手は、微かに震えていた。

 ペトロはユダの顔を見た。ユダは真っ直ぐ見つめていて、真摯さと、心から思い遣る愛情をその眼差しに垣間見る。

 しかし、ためらいから目を逸らす。自分の口から記憶を言葉にするのを拒む。

 けれど、このままではいけないことを自覚してしまった。一人では無理だと。ユダに打ち明けたいと。

 ペトロは固く重い口を開くことを決意し、自身が遭遇した出来事を話し始めた。


「……『赤いクリスマス《ローテ・ヴァイナハテン》』……て、聞いたことある?」

「うん。記憶がなくなる前の世間の出来事を調べた時に」

「あの三年前のテロ事件で、母親と双子のきょうだいが、死んだんだ」


 ペトロの手が一層強く握られた。ユダは、震え続ける手から手を離さなかった。


「毎年行ってるクリスマスマーケットがあったんだけど、あの年は、別のマーケットに行ったんだ。弟たちの誕生日が近いから、今年は動物園行ってその帰りにマーケットに行こうって、オレが提案したんだ。そしたら、あんなことになって……」


 ペトロの目に涙が浮かんでくる。


「……ごめん」

「何でユダが謝るんだよ」

「何でだろう。わからないけど、謝りたくなった」

「変なの」


 謝る必要のないユダのことを笑いたいのに、ペトロはちゃんと笑えない。


「自爆テロの主犯は逮捕されたし、整理はついてる。だから誰も恨んでないよ。恨んてるとしたら、あの時の自分だ。頑張れば助けに行けた距離で苦しむ家族に何もできなかった、無力な自分だよ……。なんであのクリスマスマーケットに行ったんだろう。オレが行こうって言わなければ、みんな死なずにすんだのかな……」

「ペトロくん……」

「前に動物園に行った時に弟と妹がすごく喜んでたから、また連れて行ってあげたかったんだ。そのあとにクリスマスマーケットで誕生日プレゼントを買ってあげようって、母さんと二人でサプライズを計画して……。そしたら、テロ事件に巻き込まれて……。別行動でプレゼントを選んでたオレは、家族が乗ってたメリーゴーラウンドが燃えてるのを、見てるしかなくて……」


 ペトロの目から一筋の涙が流れた。ユダは触れていた手を離し、ペトロの肩を抱き寄せた。ユダの温もりが伝わってきた途端、もっと涙が溢れてきた。


「無力な自分が嫌だった。泣くしかできない自分が惨めで悔しかった。自分だけ生きてるのが辛かった。それでまた泣きそうになるのを我慢して、これからは強くいようって思った。それが家族のためにもなると思ったから。一人で強く生きて、自分のせいで生きられなくなった家族に示そうと思ったんだ」


 助けられなかったことを罪深く思い、自分だけが助かってしまったこともまた後ろめたく感じていた。家族を喪ったのは自分のせいだと責め続け、助かったことを自戒とし、償いの意志を家族に示そうとしていた。


「そっか……。辛くても苦しくても、ずっと一人で堪えてきたんだね。偉いね。頑張って来たんだね」 

「……あっ!」


 頭の上からユダの声がして、寄り掛かっていたことにハッと気付いたペトロは、慌てて離れて涙を拭った。我に返り、なんて状況になっていたんだと唐突に恥ずかしくなり、妙にドキドキする自分に戸惑う。

 するとユダは、ペトロに尋ねる。


「これからも、一人で堪えながら生きて行くつもりなの?」

「え?」

「家族を救えなかった罪悪感を背負って、強く歩いて行こうとしてるの?」

「それは……」

「もう、頑張らなくてもいいよ」

「えっ……」


「頑張らなくてもいい」。ユダからの思いもよらない一言に、決意を否定されて酷いと思うのと同時に、安堵する自分がいた。


「きみが罪を背負って生きて行く覚悟ができていると言うなら、それは否定しない。だけど、いつかは限界がくる。その時、周りに誰もいなかったら? 一度倒れたら、立ち上がることができなくなるかもしれないよ」

「……」

「だから、きみを支えたい。頑張り過ぎて倒れそうになっても、私が側にいてあげたいんだ」


 その言葉が染み込むように、胸がじわりと温かくなった。

 心が求めていても手を出してはいけないと思っていたものを、ユダは無償で与えてくれようとしている。その深く、温かく包み込んでくれるような優しさは、懐かしくもあった。

 いつも彼から与えられるものはどれももったいなくて、受け取るのを躊躇した。けれど、もう今はそのプレゼントに手を伸ばしていいのだろうかと、願望を覆っていた氷がまた溶け始めた。


「でも……。重くないか?」

「そんなことないよ。私自身がすでに重いし。きみのためなら何も惜しまないよ。いくらでも時間をあげるし、いつまでも側にいるし、何度だってきみの代わりに傷付いてあげる」

「……傷付く……?」

「きみはもう十分傷付いてる。だから、きみが心以外にも傷を負うくらいなら、私が代わりに受けても構わない。きみを守れるなら、この身体が何度傷付いて血を流してもいい」


 ユダがそう言った途端、ペトロの表情が悲憤するものに変わった。


「そんなの全然嬉しくないっ!」

「ペトロくん……」

「もう目の前で誰かが酷い目に遭うのは嫌だ! いなくなったりするのは嫌だ! 守られる代わりに誰かが傷付くなら、オレが傷付いた方がよっぽどマシだ! そんなこと言うなら守らなくていいっ!」


 ペトロはまた涙目になり、ユダの腕を掴んで訴える。


「お前が守るのは、周りの人たちとお前自身だろ! そんな大切なことを間違えてどうするんだよ! 記憶がないからって自分のことをいい加減に考えるな!」


 ペトロは俯き啜り泣く。

 また彼の心情を慮ることなく軽はずみなことを言ってしまったと、泣かせてしまったユダは胸を痛める。

 記憶がないからといって自己犠牲を厭わない訳ではないし、そこに美徳を見出すほどのエゴイストでもない。ひたすらにペトロのためになることを望んでいた。そして彼を、自分を形成するピースの一つのように思っている。それだけだった。


「オレは、お前のおかげで助かったんだ。オレを支えてくれるんだろ? お前がいなくなったら、誰が支えてくれるんだよ」

「……うん。そうだね。ごめんね……」


 ユダはそっと頭を撫でた。

 記憶がなくて不完全だけれど、この気持ちだけは今の自分から生まれた『自分』の感情だ。この感情を与えてくれた彼に、少しでも返したかった。大切にしたかった。


「ありがとう」




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