目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第29話 裏切り者



 再び棺に囚われたペトロはまた、自爆テロ事件当日のクリスマスマーケットの夜にいた。

 前回と同じ天の川のようなイルミネーションの景色に、楽しげな声や音楽、きらめくクリスマスツリーなど、全く同じ幻覚だった。

 気構えて挑んだペトロだったが、変わらない芸当に気も緩んでしまった。


(この前と同じ景色だ)

「同じものを見せたって無駄だぞ」

「無駄だ?」


 フィリポの姿は見えないが、声だけは雑踏に紛れてどこからか聞こえて来る。


此処ここは、俺様のテリトリー内だと言う事を忘れたのか?」

「だからなんだよ。前回と同じ攻撃を繰り返すだけじゃないのか」

「俺様はそんな単細胞じゃねーよ、糞が! 前回はほんの小手調べだったから多少手を抜いたが、今回は比が違うんだよ!」

「比が違うって、どこが……」


 全く同じ幻覚だと思い気を緩めていたペトロだが、肌に前回とは違う感覚を知覚する。


「……空気が、冷たい……」

(この前は、気温を感じることはなかったのに)

「寒い……」


 ジャケットを着用しているが、冬の空気の冷たさを感じて身体がぶるっと震える。気温を意識すると白い息も出た。

 寒さを感じたと思えば、今度は、小屋で売っている食べ物の匂いもしてきた。


「食べ物の匂いまで……」

「此れが、本当の因蒙の棺ザーク・レミニスツェンツだ! 囚えた奴のトラウマを五感が研ぎ澄まされる細部まで再現し、まるで其の時に帰ったかのような体験をさせる。記憶と感情の完全再現。其れが此の術だ!」

「そんなことができる訳……」

「相互干渉」


「っ!?」フィリポの声が隣で聞こえ反射的に振り向いたが、買い物客がいるだけで姿はない。


「使徒の得意な奴だろ。此れは其の上位の術だ。俺様がテメェの記憶を覗いて作り上げた、だ」

「記憶を、覗いた?」

「相互干渉は、交信する事で可能となる。だが其れは、似た者同士でないと不可能だ。だから使徒は、トラウマを抱えた人間の深層に潜入出来る。だろ?」


 フィリポが何を言いたいのかわからず、ペトロは訝しい表情をする。


「何だよ其の阿保面あほづら! 分かれよ! つまり。気分は糞だが、俺様とテメェも似た者同士って事なんだよ!」

「そんな訳あるか!」

「しかも、細部まで再現できるって事はだ。どうやら俺様とテメェは、相性が良いみたいだな」

「っ!?」


 また耳元で囁かれ振り返るが、やはり姿はない。

 死徒と似たもの同士で、トラウマを細部まで再現可能とまで言われ、冗談じゃないと動揺するペトロは辺りを見回し、必死にフィリポを探す。


「なんで姿を現さない!? 一対一を望んでるなら出て来いよ!」

「何だ何だ。急に吠え出しやがって。そんなに不安か。そんなに怖いか!」

「怖くなんか……!」

「良いぜ、良いぜ! 段々と此の幻覚が現実に見えて来て、悪夢のループに迷い込む恐怖に怯える其の表情!」

「怖がってるわけないだろ。オレはもう大丈夫なんだ。こんなもの見せられても堪えられる!」


 そう言うペトロだが、顔色が変わり次第に過呼吸になってきていた。寒さではなく緊張で震え、身体に力が入り、無意識に握り拳を作る。

 フィリポが再現した空気が、匂いが、音や声が、ペトロの記憶と寸分のズレもなく重なり合う。


「我慢するなよ! 具合が悪そうだぜ!?」

「そんなこと……」

「『もう大丈夫』? んなの気の所為せいに決まってんだろ! 此処はテメェの罪の在り処だ! 所詮テメェの罪を許すのは、のうのうと生きてる人間だけなんだよ! 平和の甘い蜜だけを知る、此の世の真実を知らない愚物だけだ! テメェも一緒に、其奴等そいつらと蜜を舐めようなんて考えてねぇよなぁ? んな事、許す筈がねぇだろ。俺様達を舐め腐ってんじゃねぇ!」


 フィリポの非難が催眠術のように聞こえ、ペトロに呪を掛ける。精神を侵食し、罪から逃れられないようにペトロと幻覚の世界を鎖で繋ぐ。抗おうとするが、ペトロは呪を拒絶できない。


「兄ちゃん」

「っ!?」


 突然手を握られたペトロは、ビクッと肩を跳ねた。

 握ってきたのは、当時の姿のままの幼い弟だった。


「兄ちゃん。楽しい?」


 弟は、無邪気な笑顔でペトロを見上げていた。側には、妹と母親もいた。

 生前と変わらない姿だが、ペトロは怯えた目で家族を見た。


「どうしたの。ペトロ?」

「大丈夫? お兄ちゃん」

「いや……」

「もっといろいろ食べようよ。次は、レープクーヘン食べたい!」

「わたしは、一緒にあれに乗りたい!」


 妹は短い腕を伸ばし、メリーゴーラウンドの方を指差した。


「行こうよ。お兄ちゃん!」


 小さく温かい手を握られ引っ張られるが、ペトロは顔をしかめてその手を払った。


「乗らない」

「乗らないの? 楽しいよ?」

「乗らない」

「どうしたの、兄ちゃん。顔怖いよ。そういえば……。なんで兄ちゃんは、にいるの?」


 弟は、大きな青い瞳を真っすぐに向けて訊いた。妹も、同じ青い目をペトロに向ける。


「そっか。メリーゴーラウンドに乗らなかったからだ」

「メリーゴーラウンドに乗らなかったから、まだそっち側にいるんだね」

「どうしてメリーゴーラウンドに乗りたくないの?」

「どうして乗るのを怖がってるの?」

「乗れば、また一緒に暮らせるのに」

「乗ってに来てよ」


 双子のきょうだいは無表情の同じ顔で、同じ青い瞳をまばたきもせずに、面責するようにペトロを凝視する。


「いや……。オレは……」

「乗らないの?」

「乗りたくないの?」

「どうして?」

「どうして。お兄ちゃん?」

「それは……」


 感情の見えない、ガラス玉のような四つの眼球が問う。ペトロに贖罪を求めるように。

 すると、母親が口を開いた。


「あなたは、私たちのことを忘れようとしているのね」


 表情のない顔に付いたペトロに似た碧眼を向けて、面責した。


「ちが……!」

「私たちのことなんて忘れた方が、楽しく生きられるものね」

「何言ってるんだよ! 忘れるわけないだろ!」


 罪を鷲掴みされるペトロは激しく動揺する。すでに判別能力を失い、目の前の家族は本物だと錯覚していた。その言葉も本物だと。

 気付けば、母親ときょうだいの顔は黒く塗り潰されていた。


「いいのよ。時が過ぎるとともに、記憶からも存在を消される。そうやって過去の記憶と一緒に葬られるのが、死者私たちなんだから」

「そんなことない! オレはみんなのことを消し去ったりは……!」

「本当に?」

「本当だよ! 家族なのに忘れるなんて……!」

「嘘」


 母親と双子のきょうだいが、声を揃えて咎めた。

 すると。そのきれいだった姿は、焼けただれた腕や足が剥き出しになり、焼けてなくなった髪と、目も当てられない顔に変貌した。


「あなたは忘れようとしてる。忘れたがってるのよ。新しい幸せを得て、新しい記憶を作って、私たちのことを埋もれさせようとしてる。辛いことを全て、なかったことにしようとしてるの」

「なかったことになんて、そんなこと……」


 動揺するペトロは何度も首を横に振る。見えないはずの家族の表情が、その目に映る。罪悪感から脳が勝手に情報処理をして見せる、嘘か本当かわからない表情が。


「辛いことを全部なかったことにできるんだから、兄ちゃんは幸せだね。ぼくたちは、そんなことしたくてもできないのに」

「お兄ちゃんはいいね。これから、幸せになれる人生を選べるんだから。だけど、生きてるだけで満足できないなんて、贅沢だね」

「違う! オレは、そんなこと思って……」

「裏切り者」

「っ……!」


 家族に非難されたペトロは追い詰められ、ついに膝を突いた。背中を丸めて涙を浮かべ、息苦しそうに呼吸する。

 いつしか雑踏が消え、煌めいていた星々も夜陰の闇に飲み込まれた。そして、深閑の世界に息もなく潜んでいた顔のない人が一人、また一人と現れペトロを囲んだ。


「裏切り者」

「裏切り者」

「うらぎりもの」

「裏切り者」

「ウラギリモノ」

「裏切り者」


 ペトロは蹲り、頭を抱え、何度も首を振る。


「違う……。違う……。ちがう……」


 催眠術のような呪の言葉が、絶え間なく降り注ぐ。まるで、首を絞められるようだった。

 まさにここは、絞首台のような世界だ。

 責め苛まれるペトロの傍らに、ようやくフィリポが姿を現した。


「家族の事すら記憶から捨て去ろうとするなんざ、本当に糞野郎だな! しかもテメェだけ幸せになろうだなんて、死んだ家族になんて酷ぇ仕打ちしやがるんだ! そんな野郎、救う価値もねぇ!」

「ちがう……。ちがう……」

「そんなにテメェの罪を無かった事にしたいのか。正直に言ってみろ。俺様達に許されてぇか?」

「……許されたい……」


 ペトロは震える声で懇願した。


「そうか! よく正直に言ったな! じゃあ、許してやるよ。特別な罰を受けた後にな」


 フィリポがそう言うと、ペトロの前に猛火に包まれたクリスマスピラミッドが現れた。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?