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第4話 憂鬱なビール



 夕食後。リビングルームに残ったユダとヨハネとヤコブの三人は、ビールを注いだグラスを触れ合わせた。


「今日も一日お疲れしたー」


 それぞれ好みのビールは違い、ユダとヨハネは地ビールのベルリナーピルスナー、ヤコブはベックスというピルスナービールだ。おつまみには、スライスしたソーセージを用意した。


「この三人で飲むの久し振りだね。この前はヨハネくんと二人で飲んだけど」

「なんだ。呼んでくれよ水臭いな。じゃあハブられた分、普段できない話しようぜ」

「どんな話するの?」

「そーだなぁ……。ユダの近況とか」

「私の? 大して話題にすることは……」

「ペトロとはどうなんだよ?」

「え?」

「お前、ペトロのこと好きなんだろ?」


 ヤコブはズバッと話を切り出した。横で大事そうにグラスを持ちながら飲んでいる緊張ぎみのヨハネは、その思い切りのよさに心臓をバクバクさせる。


「あれ。バレてた?」


 ユダは苦笑いするが、一切隠さず肯定した。


「バレバレだっての。お前、普段は笑顔で誤魔化してるけど、結構わかりやすいからな」

「この前ヨハネくんにも言われたけど、そんなにわかりやすい?」

「滲み出るどころか顔に書いてあるよ。な、ヨハネ」

「え? ……あ。うん」


 ヨハネはこの場はヤコブに任せることにした。いざ聞き出そうとすると、緊張やら憂鬱やら現実逃避やらで口を開かなそうなので真相を知りたい本人は聞き役に回るのが適切だと、ヨハネの取り扱いに慣れたヤコブの判断だ。

 ヤコブは前のめりになって質問を始める。


「で。今どんな感じなんだよ。告ったのか?」

「うん。まぁ」

「じゃあ付き合ってんの?」

「ううん。返事待ち」

「あいつ保留にしてるのか。てことは。あいつもお前のこと気になってるってこと?」

「かな。どうだろう」


 二人の現状を知りたいとは思うが、ヨハネにとってこの席は非常に耐え難い。ユダがペトロに告白したという事実が初っ端から明らかにされて、敗北に背後から抱き締められている気分だ。


「でも、それキツくね? 返事待ちなのに同室って、もどかしくて感情のやり場に困るだろ」

「それはあるよ。本当は毎日心境の変化を訊きたいし、ベッドルーム覗きたいのも我慢してる」

「じゃあ、まだ全然手を出してないのか。でも、ハグくらいしただろ」

「それもしてないよ」


 ユダはこの場は余計な事実は口を噤んだ方がいいと考えて、ハグしたことはわざと隠した。


「頑張ってんな、お前。でもさ。もしも、キスできそうな雰囲気になったらどうする? 流れでしちゃわないか?」

「しないよ。ペトロくんの返事を聞くまでは何もしないって決めてるから」


 ユダは大人の余裕を醸し出しながらグラスを傾ける。


「本当かよ。お前だって男だろ。もしも好きなやつと密着状態になったら理性ぶっ飛んで、あれやこれやしたくなるだろ」

「ヤコブくん、私を煽ってるの?」

「普通の男ならって話だよ。オレだって、シモンの年齢とか考えて何もしてないだけでギリギリなんだぜ? でもペトロは成人してるんだから、手を出したところで誰も何も言わないだろ」

「ヤコブくん。成人してるとかしてないの話じゃないんだよ」


 ユダは飲み口から滴る水滴を親指で拭い、グラスの縁を撫でる。その誠実な眼差しは、ここにいないペトロを見つめている。


「この前の戦いを経て、ペトロくんは変わった。私にも心を開いてくれて、頼ってくれるようになった。だけどまだ、彼は戦ってるんだ。過去から持って来た罪悪感と。自分が掴もうとしているものが本当に正しいのか、悩み続けているんだ。だから返事を保留にしてる」

「確か、家族を喪ったんだよな。棺の中でトラウマと戦ったとは言ってたけど、克服した訳じゃないのか」

「だから私は待ってるんだ。彼が真っ直ぐに自分の人生を歩む選択ができるまで。本当は触れたい。だけど、私の欲望のままに触れてしまったら、彼の意志を捻じ曲げることになる。例えペトロくんの心の中に私と同じ気持ちが芽生えていたとしても、私の気持ちで動かしてはいけないと思うから」


 ペトロが一人で強くいようとしたことも、罪悪感で涙したことも、大切な家族を思ってのことだと知った。選択を迷っている背景にも、家族の存在がある。ペトロが今一番優先したいのは家族への“証明”だ。それが十分だと思うまで自分が介入して気持ちの舵取りをしてはいけないと、ユダは心に留めていた。

 そのユダの心構えに、ヤコブは頬杖を突いて溜め息を漏らす。


「ユダって本当に紳士だな。そんな男に好きになってもらったペトロは幸せ者だよ。オレだったら心も身体も許してるわ。優しくしてくれそうだし」

「優しくできるかどうかはわからないけどね」

「お。意外と容赦ないタイプか?」

「片思い期間長いから」

「そういえば。使徒として戦い始めて一ヶ月後くらいからか。ギャラリーを見回して誰かを探してたよな、お前。それからなんか、生き生きし始めた気がする」

(バレてる……。私って本当にわかりやすいんだ)


 ペトロを探していたことまでバレていた事実が判明したユダは、これからは容易に感情が読まれないように気を付けようと追加で心に留めた。


「確か、ユダが誰かを探してるって最初に気付いたのはヨハネだよな?」

「そうなんだ。付き合いが一番長いからバレちゃったのかな」

「そ……。そうですね……」


 敗北感に抱き締められて話の半分は聞けていないヨハネは、相槌もまともにできない。

 そんなヨハネにヤコブは小突き、何か伝えたそうに目配せしてくる。どうやら、聞き役に徹しようとしていたヨハネ自身から質問するきっかけを与えてくれているようだ。

 しかし、急にパスをされて戸惑い、口を一文字に結んで俯いた。二人きりだったら、とてもじゃないが訊くことはできない。けれど、ヤコブが気を利かせて作った機会を無駄にしたら、朝までダメ出しコースになってしまう。

 またバクバクと心臓が激しく鳴り始めた。ヨハネはそれに負けまいと、意を決して口を開いた。


「あの。ずっと訊きたかったんですけど……。どうしてペトロだったんですか?」


 だけど、目を見ては訊けなかった。


「どうして、か……。難しい質問だね」

「簡単だろ。好きになった理由だよ」

「それが、説明ができないんだよ」


 それは本当のようで、ユダは眉尻を少し下げる。


「ギャラリーの中でペトロくんが目に入ったのは偶然だった……。いや。違うかな。意識を向けずにはいられなかった……かも」

「惹き付けられたってことですか?」

「そうだけど、そうじゃないような。でも、それと似た感覚というか……。なぜかわからないけど、『』って思ったんだ」

「そういえば。名前は現れてるのか?」

「うん。薄っすらとだけど」


 その事実は、心臓が刺される幻聴をヨハネの脳に届けた。


「てことは。バンデになるって直感が働いたってことじゃね?」

「そうかもね。でもその時はまだ、彼を好きにはなってなかった。だけど、一目見た時から気になって仕方がなかった」

「それじゃあ。気持ちを確信したのは……」

「気持ちを確信できたのは最近だよ。たぶんだけど、告白する少し前かな。それまでは曖昧な感情だった。でも、心が動かされた瞬間は覚えてる。あの日……ペトロくんを使徒にスカウトした日。彼を助けたあの瞬間。初めて近付いて、間近で彼を見て『』って感じたんだ」

「心が動かされたってことは、一目惚れしたってことじゃないのかよ。なのに感情が曖昧だったって、おかしくね?」

「うーん。最初の気持ちと、気持ちを確信した瞬間は、違う感情だった気がするんだ」


 ユダはまた眉尻を下げた。

 最初にペトロを見た瞬間は理由もわからず目を奪われたのだが、何かの直感が働いたということ以外、その時の感情は今でも説明がつかない。


「とりあえず。よくわかんねぇけど好きになったってことか?」

「とりあえず、そういうことで」

「笑顔で誤魔化してねぇか?」

「自分でもよくわかってないの、記憶喪失の影響なのかな。でも、大切な存在になってることは確かだし、ペトロくんがいれば過去がない私の未来を作っていける気がしてる」


 すると、それまでまともに目を見て話せなかったヨハネは、ユダの目を見て尋ねた。


「バンデになったこととは、関係ないんですか?」

「名前が現れたタイミングはわからないけど、それはペトロくんへの思いとは関係ないと思ってる」

「それじゃあ。ユダの中では、ペトロは最初から大切で特別な存在なんですね」


 ヨハネは完全な敗北感に満たされてきて、ユダと顔を合わせるのも本当は辛かった。


「みんなのことも大切だよ。ヨハネくんもヤコブくんもシモンくんも、私のこれからを一緒に作ってくれる存在だと思ってる。でもペトロくんは、私の白紙の未来に色を付けてくれる存在だよ」

「僕は……僕たちでは、あなたの未来を作るには役不足なんですか?」

「そうは思ってないよ。ただ、私の中で特別になったのがペトロくんだっただけだよ」

「あなたがペトロを選んだのは、全部偶然だった。そういうことなんですね」


 走馬灯のようにこれまでの日々を振り返り、告白できたタイミングをどれだけ逃してきたかと、不甲斐なさ過ぎて涙が出そうだった。

 けれど、その辛さを中和してくれるのは、ユダの微笑みだった。


「ヨハネくんも、大切な存在だよ」

「え?」

「記憶喪失になってから初めて知り合ったきみのことは、とても心強い存在だと思ってる。事務所を立ち上げる時も副社長に手を挙げてくれて、私を献身的にサポートしてくれるヨハネくんがいてくれるから、私は安心してここにいられる。ありがとう」


 不甲斐なさ過ぎる自分を卑下してしまいそうだった心に、まるで湧き水が注がれたようだった。

 けれど、その微笑みと感謝は嬉しくもあり、切ない。喜び方を忘れてしまったかのように、ヨハネは一瞬戸惑ってしまった。

 仲間の中で一番最初に出会った自分が、なぜ一番大切な存在ではないのだろう。どうして彼の名前が自分に現れないのだろう。感謝をされたのに、そんな浅ましいことを考えてしまった。

 ヨハネは、そんな自分を隠して平静を装った。


「いいえ。あなたの力になるために、僕はいますから。これからも側で支えます」


 頑張って微笑んでそう答えるのが精一杯だった。

 想い人が好きな人と結ばれそうな運命だと知っても、口が滑っても恋を応援する気にはなれなかった。そこまで本気になっていたんだと、気付かされてしまったから。

 けれど。好きだったビールが、少しだけ嫌いになりそうな夜になった。




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