「シモン!?」
目を見開いたヤコブはすぐさま駆け寄り、シモンを抱き起こす。
シモンは冷や汗をかき、苦しそうにしていた。
「シモン、大丈夫か? シモン!」
ヤコブはシモンの名前を懸命に呼んだ。その声に反応してシモンは目を開ける。
「ヤコブ……。ごめん。失敗しちゃった……」
「何があった?」
「ボク、何も言えなくて……。そしたら、相手の感情に襲われるように動けなくなって……。ボクが救わなきゃってわかってるのに、何もできなかった」
悔やむシモンはヤコブの袖を掴んだ。ヤコブは頭をそっと撫で、無念の思いを掬い取った。
「もしかしてあいつは、進化するために逃げ回ってたんですかね」
「そうかもしれない。進化するため、というか、進化できる時を待っていたのかも」
「どういうことだよ、ユダ」
「通常、悪魔は鎖を繋いだ人間の負のエネルギーをもらってる。だけどやつは、シモンくんからも供給を得ようとしたのかもしれない」
「まさか、そんなことが……!」
「あり得ないよね。でも、
「まさか。憑依された人間とシモンが相互干渉で繋がったことで、悪魔はシモンからも負のエネルギーをもらうことができたって言うのかよ!?」
ヤコブが顔をしかめて言うと、考えられなくはないとユダは可能性を示唆した。
「ボクが何もできなかったせい?」
「やつが、ただのチキン野郎じゃなかったってだけだ」
救えなかった責任を感じるシモンに、気にするな大丈夫だとヤコブは優しく声を掛ける。
「ユダ。シモンは休ませる」
「わかった。ヤコブくんが介抱してあげて」
この状態では戦闘も不可能だと判断し、シモンは戦線離脱させることにした。
「じゃあ。もう一度、
「今度は僕が潜入します」
「……いや。ヨハネくんはやめておいた方がいいかも」
深層潜入に手を挙げたヨハネだが、なぜかユダは止めた。
「どうしてですか」
「やつがまた負のエネルギーを吸い取ろうとするかもしれない。憑依された男性との相性は関係するかはわからないけど、ここはペトロくんが適任だと思う」
危険を孕んだ事態の中で白羽の矢が立てられたペトロは、その理由をすぐに理解した。
「オレが、死徒と戦ってトラウマに耐性ができたからか」
「行ってくれる?」
ユダが信頼の眼差しで尋ねると、ペトロは強く頷く。
「わかった。オレが行く」
しかしそれに納得しなかったのは、シモンだった。シモンは無理をして立ち上がろうとする。
「ボクなら大丈夫だよ」
「傍から見て大丈夫じゃなさそうだから言ってんだよ。自分でもわかるだろ」
「でも……」
「シモン。無理しても悪循環になることは、オレがよく知ってる。だから大人しく、ヤコブの言うこと聞いとけ」
反面教師がここにいるだろとペトロは言い、再度男性への
「さて。私たちはやつの相手をするんだけど……」
「ウξッテヤ£。オマ∉ζチ、ソ⊄モノ∑……」
未だ建物の屋上にいる悪魔が地上に向かって手を開くと、使徒たちの目の前に渦を巻きながら直径2メートルほどの大きさの黒い玉が現れた。
「ケシζヤ£!」
そして悪魔は開いた手をグッと握った。
「散開!」
ユダの直感で四人はバラバラに退避する。ヤコブはシモンを抱えてその場を離れた。
四人が退避するのとほぼ同時に、黒い玉は一瞬で膨張し消えた。消滅したあとには、地面がきれいに半円形に削られていた。その直径はおよそ5メートルだ。
「なんだ今の!?」
「あれに触れたものは消えてしまうみたいだね」
「まるでブラックホールだ」
悪魔はブラックホールを連発する。使徒はあちこちに散らばって回避行動を続けながら、攻撃を開始する。
「
「
的は大きくなり狙いやすいはずだが、悪魔の逃げ足は小動物のごとくで、ヤコブを苛つかせたことが納得できた。悪魔の攻撃の手もハイスピードで、ブラックホールが出現するたびに地面や建物に穴が開いていく。
「街が穴だらけになっていくね」
「領域を開放すれば原状回復するとはいえ、このままだと僕たちの逃げ場がなくなりますよ」
「足場が悪いのは勘弁だな」
「私とヨハネくんで接近してみる。ヤコブくん、二人を頼める?」
「了解」
深層潜入中のペトロとシモンを任せ、ユダとヨハネは悪魔への接近を試みる。
「ヤコブ。ボクならもう大丈夫だよ。だから戦う」
「顔色悪いやつが何言ってんだ。ペトロも言ってただろ。無理して頑張ろうとすんな」
シモンのもどかしさはわからない訳ではない。しかし、無理して戦闘に加わり負傷する方が後々大きな後悔になる。
悪魔に接近するユダとヨハネは、悪魔の両サイドに別れブラックホールを回避しながら攻撃する。
「
「
悪魔は全く別方向からの────しかも、視界から撃たれる光線と、頭上から降り注がれる弾丸を巧みに避け、反撃も忘れずにお見舞いする。地上のシモンたちも狙われるが、ヤコブが防御と反撃で応戦した。
防御はブラックホールに触れても機能した。だが、悪魔からの距離は関係なく戦闘領域内ならどこでも出現した。
「
ユダとヨハネは一瞬の休みもなくブラックホール回避と攻撃を続け、ヨハネは隙きを見て悪魔の死角に身を隠した。
ヨハネが姿を隠したため、悪魔は目の前をうろつくユダに攻撃を集中する。
「
「℃%ェ#ッ!」
回避不可能な光の爆発を食らい、悪魔は初めて悲鳴のような声を上げた。
その背後から、姿を隠していたヨハネが現れる。
「
放たれた光線は悪魔を捉えると思われた。が、悪魔はユダからの攻撃でダメージを受けながら、早い逃げ足でそれをギリギリかわした。おかげで、標的を失った光線は危うくユダに命中しかけた。
「すみませんっ!」
「大丈夫」
二人はブラックホールから一時逃れるために地上に降り、悪魔の死角へと隠れた。
「本当にすみませんでした」
「かわされたのは予想外だったね。それにしても、逃げ足が早いおかげで捉えられない。何か手を考えないと……」
「それなんですが、ユダ。
そう言ってヨハネは上を指差した。ユダは頭上の
「なるほど。やってみようか」
ヨハネの発案でユダは作戦を実行に移した。
二人はブラックホールに注意しながら、再び別方向から攻撃を開始する。
「
攻撃したユダは即時、悪魔の前から身を隠す。その背後からヨハネが攻撃を仕掛ける。
「
「ケ§テヤ£! キ∉ロ!」
ヨハネは出っ張った建物の窓枠や地下鉄の看板などを足場にし、縦横無尽に回避行動をしながら攻撃を続ける。ヨハネしか見えていない悪魔も、執拗なまでに狙い続ける。
しばらく攻撃と回避を続けていたヨハネは、交差点が見下ろせる建物の上でわざと足を止めた。
「ほら、ここだ!」
「キエζッ!」
斜め向かいの屋上に悪魔が立ち、ヨハネを狙ってブラックホールを出現させようとした。その時。
「
「&◇€ゥッ!」
溢れんばかりの光の泉が足元から放出され、食らった悪魔は一瞬足止めされる。
その一瞬を狙ったユダが、大鎌のハーツヴンデ〈
「はあっ!」
しかしユダが斬ったのは、建物の角だった。悪魔が立っていた場所は三角錐状に斬られ、足元が崩れた悪魔は落下していく。
「
ヨハネも長槍のハーツヴンデ〈
「はっ!」
ところが、斬ったのは悪魔ではなく、トラムの架線だ。
落下した悪魔は切り口から電流を放出する架線に触れ、感電する。
「ギャ@¿ア℃&オッ!」稲妻は身体中を走り、悪魔は地面に落下した。
「
「ガ$%ァ#ッ!」
そこへ追い打ちをかけたのはシモンだった。そしてすかさずユダが
「シモン、お前」
「仕返しくらい、いいでしょ?」
「……ったく」
無理をするなと念を押したのに、精神的ダメージを受けても失われなかったシモンの負けん気を、ヤコブは呆れながら褒めた。
「%&ゥ……。グ$%ァッ!」
悪魔が苦しみの呻き声を上げた。その直後、救済に成功したペトロが無事に帰還した。
「もう大丈夫だ!」
「よっしゃ! トドメは俺にやらせろ!」
ヨハネが〈
「これはシモンの代わりだ! 天よ、濁りし魂に導きの光を!」
「グ♀&ア@◇ァ……ッ!」
ヤコブに斬られた悪魔は断末魔を上げ、黒い塵となり消えていった。
「ヨハネくん、ありがとう。助かったよ」
「いいえ。進化した悪魔にはどうなんだろうと思ったんですが、通用するかは一か八かでした」
「たぶん力を得た個体は、実体に近い存在になるんだ。私も、この前のグラシャ=ラボラスとの戦いでやつに傷を負わせた時、いつもと違う感覚があった。ヨハネくんが言ってくれなければ状況は変わってなかったよ。きみのおかげだ」
「いえ。そんな……」
面と向かって感謝されたヨハネは、気恥ずかしくなって目を逸らした。今回の戦いで一番ユダの役に立てたのなら本望だ。
「おい、ユダ。シモンも頑張ったんだから、少しくらい労ってやってくれよ」
「シモンくんも、ありがとう。大丈夫?」
「みんなごめんね。迷惑掛けて」
「気にすることないって」
「シモンくんの過去と似た境遇の人だったんだよね。辛かったはずなのに、もう一度救おうとしたその心意気は誇りに思うよ」
シモンの失敗で
だが、不完全燃焼のシモンの表情は晴れなかった。