目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第8話 街を食べるブラックホール



「シモン!?」


 目を見開いたヤコブはすぐさま駆け寄り、シモンを抱き起こす。

 シモンは冷や汗をかき、苦しそうにしていた。潜入インフィルトラツィオンでこんな症状は見たことがないが、相互干渉で精神的負荷がいつも以上に掛かったことが窺えた。


「シモン、大丈夫か? シモン!」


 ヤコブはシモンの名前を懸命に呼んだ。その声に反応してシモンは目を開ける。


「ヤコブ……。ごめん。失敗しちゃった……」

「何があった?」

「ボク、何も言えなくて……。そしたら、相手の感情に襲われるように動けなくなって……。ボクが救わなきゃってわかってるのに、何もできなかった」


 悔やむシモンはヤコブの袖を掴んだ。ヤコブは頭をそっと撫で、無念の思いを掬い取った。


「もしかしてあいつは、進化するために逃げ回ってたんですかね」

「そうかもしれない。進化するため、というか、進化できる時を待っていたのかも」

「どういうことだよ、ユダ」

「通常、悪魔は鎖を繋いだ人間の負のエネルギーをもらってる。だけどやつは、シモンくんからも供給を得ようとしたのかもしれない」

「まさか、そんなことが……!」

「あり得ないよね。でも、潜入インフィルトラツィオンして倒れるなんてことは今までなかった。例え自分に似た境遇の人だったとしても」

「まさか。憑依された人間とシモンが相互干渉で繋がったことで、悪魔はシモンからも負のエネルギーをもらうことができたって言うのかよ!?」


 ヤコブが顔をしかめて言うと、考えられなくはないとユダは可能性を示唆した。


「ボクが何もできなかったせい?」

「やつが、ただのチキン野郎じゃなかったってだけだ」


 救えなかった責任を感じるシモンに、気にするな大丈夫だとヤコブは優しく声を掛ける。


「ユダ。シモンは休ませる」

「わかった。ヤコブくんが介抱してあげて」


 この状態では戦闘も不可能だと判断し、シモンは戦線離脱させることにした。


「じゃあ。もう一度、潜入インフィルトラツィオンしなきゃだよな」

「今度は僕が潜入します」

「……いや。ヨハネくんはやめておいた方がいいかも」


 深層潜入に手を挙げたヨハネだが、なぜかユダは止めた。


「どうしてですか」

「やつがまた負のエネルギーを吸い取ろうとするかもしれない。憑依された男性との相性は関係するかはわからないけど、ここはペトロくんが適任だと思う」


 危険を孕んだ事態の中で白羽の矢が立てられたペトロは、その理由をすぐに理解した。


「オレが、死徒と戦ってトラウマに耐性ができたからか」


 憤怒のフィリポフィリポ・デア・ツォルンとの戦いでトラウマに対する恐れや不安が軽減されたペトロなら、過重な精神的負荷にも堪えうるとユダは考えたのだ。


「行ってくれる?」


 ユダが信頼の眼差しで尋ねると、ペトロは強く頷く。


「わかった。オレが行く」


 しかしそれに納得しなかったのは、シモンだった。シモンは無理をして立ち上がろうとする。


「ボクなら大丈夫だよ」

「傍から見て大丈夫じゃなさそうだから言ってんだよ。自分でもわかるだろ」

「でも……」

「シモン。無理しても悪循環になることは、オレがよく知ってる。だから大人しく、ヤコブの言うこと聞いとけ」


 反面教師がここにいるだろとペトロは言い、再度男性への潜入インフィルトラツィオンを開始した。


「さて。私たちはやつの相手をするんだけど……」

「ウξッテヤ£。オマ∉ζチ、ソ⊄モノ∑……」


 未だ建物の屋上にいる悪魔が地上に向かって手を開くと、使徒たちの目の前に渦を巻きながら直径2メートルほどの大きさの黒い玉が現れた。


「ケシζヤ£!」


 そして悪魔は開いた手をグッと握った。


「散開!」


 ユダの直感で四人はバラバラに退避する。ヤコブはシモンを抱えてその場を離れた。

 四人が退避するのとほぼ同時に、黒い玉は一瞬で膨張し消えた。消滅したあとには、地面がきれいに半円形に削られていた。その直径はおよそ5メートルだ。


「なんだ今の!?」

「あれに触れたものは消えてしまうみたいだね」

「まるでブラックホールだ」


 悪魔はブラックホールを連発する。使徒はあちこちに散らばって回避行動を続けながら、攻撃を開始する。


天の罰雷ドンナー・ヒンメル!」

祝福の光雨リヒトリーゲン・ジーゲン!」


 的は大きくなり狙いやすいはずだが、悪魔の逃げ足は小動物のごとくで、ヤコブを苛つかせたことが納得できた。悪魔の攻撃の手もハイスピードで、ブラックホールが出現するたびに地面や建物に穴が開いていく。


「街が穴だらけになっていくね」

「領域を開放すれば原状回復するとはいえ、このままだと僕たちの逃げ場がなくなりますよ」

「足場が悪いのは勘弁だな」

「私とヨハネくんで接近してみる。ヤコブくん、二人を頼める?」

「了解」


 深層潜入中のペトロとシモンを任せ、ユダとヨハネは悪魔への接近を試みる。


「ヤコブ。ボクならもう大丈夫だよ。だから戦う」

「顔色悪いやつが何言ってんだ。ペトロも言ってただろ。無理して頑張ろうとすんな」


 シモンのもどかしさはわからない訳ではない。しかし、無理して戦闘に加わり負傷する方が後々大きな後悔になる。

 悪魔に接近するユダとヨハネは、悪魔の両サイドに別れブラックホールを回避しながら攻撃する。


闇世への帰標ベスターフン・ニヒツ!」

祝福の光雨リヒトリーゲン・ジーゲン!」


 悪魔は全く別方向からの────しかも、視界から撃たれる光線と、頭上から降り注がれる弾丸を巧みに避け、反撃も忘れずにお見舞いする。地上のシモンたちも狙われるが、ヤコブが防御と反撃で応戦した。

 防御はブラックホールに触れても機能した。だが、悪魔からの距離は関係なく戦闘領域内ならどこでも出現した。


天の罰雷ドンナー・ヒンメル!」


 ユダとヨハネは一瞬の休みもなくブラックホール回避と攻撃を続け、ヨハネは隙きを見て悪魔の死角に身を隠した。

 ヨハネが姿を隠したため、悪魔は目の前をうろつくユダに攻撃を集中する。


御使いの抱擁ウムアームン・エンゲル!」

「℃%ェ#ッ!」


 回避不可能な光の爆発を食らい、悪魔は初めて悲鳴のような声を上げた。

 その背後から、姿を隠していたヨハネが現れる。


闇世への帰標ベスターフン・ニヒツ!」


 放たれた光線は悪魔を捉えると思われた。が、悪魔はユダからの攻撃でダメージを受けながら、早い逃げ足でそれをギリギリかわした。おかげで、標的を失った光線は危うくユダに命中しかけた。


「すみませんっ!」

「大丈夫」


 二人はブラックホールから一時逃れるために地上に降り、悪魔の死角へと隠れた。


「本当にすみませんでした」

「かわされたのは予想外だったね。それにしても、逃げ足が早いおかげで捉えられない。何か手を考えないと……」

「それなんですが、ユダ。は使えないでしょうか」


 そう言ってヨハネは上を指差した。ユダは頭上のを見て、ハッと気付く。


「なるほど。やってみようか」


 ヨハネの発案でユダは作戦を実行に移した。

 二人はブラックホールに注意しながら、再び別方向から攻撃を開始する。


天の罰雷ドンナー・ヒンメル!」


 攻撃したユダは即時、悪魔の前から身を隠す。その背後からヨハネが攻撃を仕掛ける。


祝福の光雨リヒトリーゲン・ジーゲン!」

「ケ§テヤ£! キ∉ロ!」


 ヨハネは出っ張った建物の窓枠や地下鉄の看板などを足場にし、縦横無尽に回避行動をしながら攻撃を続ける。ヨハネしか見えていない悪魔も、執拗なまでに狙い続ける。

 しばらく攻撃と回避を続けていたヨハネは、交差点が見下ろせる建物の上でわざと足を止めた。


「ほら、ここだ!」

「キエζッ!」


 斜め向かいの屋上に悪魔が立ち、ヨハネを狙ってブラックホールを出現させようとした。その時。


赫灼の浄泉クヴェレ・ブレンデン!」

「&◇€ゥッ!」


 溢れんばかりの光の泉が足元から放出され、食らった悪魔は一瞬足止めされる。

 その一瞬を狙ったユダが、大鎌のハーツヴンデ〈悔責バイヒテ〉を手にして地上から斬り掛かる。


「はあっ!」


 しかしユダが斬ったのは、建物の角だった。悪魔が立っていた場所は三角錐状に斬られ、足元が崩れた悪魔は落下していく。


心具象出ヴァッフェ・ダーシュテーレン────〈苛念ゲクイエルト〉!」


 ヨハネも長槍のハーツヴンデ〈苛念ゲクイエルト〉を出し、落下する悪魔の方へ向かっていく。


「はっ!」


 ところが、斬ったのは悪魔ではなく、トラムの架線だ。

 落下した悪魔は切り口から電流を放出する架線に触れ、感電する。

「ギャ@¿ア℃&オッ!」稲妻は身体中を走り、悪魔は地面に落下した。


赫灼の浄泉クヴェレ・ブレンデン!」

「ガ$%ァ#ッ!」


 そこへ追い打ちをかけたのはシモンだった。そしてすかさずユダが十字の楔カイル・クロイツェスで拘束し、悪魔は沈黙した。


「シモン、お前」

「仕返しくらい、いいでしょ?」

「……ったく」


 無理をするなと念を押したのに、精神的ダメージを受けても失われなかったシモンの負けん気を、ヤコブは呆れながら褒めた。


「%&ゥ……。グ$%ァッ!」


 悪魔が苦しみの呻き声を上げた。その直後、救済に成功したペトロが無事に帰還した。


「もう大丈夫だ!」

「よっしゃ! トドメは俺にやらせろ!」


 ヨハネが〈苛念ゲクイエルト〉で鎖を断ち切ったあと、ヤコブは斧のハーツヴンデ〈悔謝ラウエ〉を具現化させ悪魔に突っ込んで行く。


「これはシモンの代わりだ! 天よ、濁りし魂に導きの光を!」

「グ♀&ア@◇ァ……ッ!」


 ヤコブに斬られた悪魔は断末魔を上げ、黒い塵となり消えていった。


「ヨハネくん、ありがとう。助かったよ」

「いいえ。進化した悪魔にはどうなんだろうと思ったんですが、通用するかは一か八かでした」

「たぶん力を得た個体は、実体に近い存在になるんだ。私も、この前のグラシャ=ラボラスとの戦いでやつに傷を負わせた時、いつもと違う感覚があった。ヨハネくんが言ってくれなければ状況は変わってなかったよ。きみのおかげだ」

「いえ。そんな……」


 面と向かって感謝されたヨハネは、気恥ずかしくなって目を逸らした。今回の戦いで一番ユダの役に立てたのなら本望だ。


「おい、ユダ。シモンも頑張ったんだから、少しくらい労ってやってくれよ」

「シモンくんも、ありがとう。大丈夫?」

「みんなごめんね。迷惑掛けて」

「気にすることないって」

「シモンくんの過去と似た境遇の人だったんだよね。辛かったはずなのに、もう一度救おうとしたその心意気は誇りに思うよ」


 シモンの失敗で祓魔エクソルツィエレンに手こずってしまったが、誰も責めなかった。深層潜入は毎回完璧にできるのは当然とは考えていないから、こんなのはちょっとした失敗だと寛容なのだ。

 だが、不完全燃焼のシモンの表情は晴れなかった。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?