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第16話 膿



 一日だけ学校を休んだシモンは、二日後に登校した。学校の校門までは、ヤコブが心配して送ってくれた。


「本当に大丈夫か?」

「うん。授業くらい受けられるよ」

「マジで無理だと思ったらサボれよ?」

「せめて早退って言って。そしたら連絡するね」


「行って来ます」と、シモンは笑顔で手を振ってヤコブと別れた。

 教室に入ると、クラスメイトたちが気付いて声を掛けてくれた。


「シモンくんだ。おはよう!」

「今日は、学校来られたんだね」

「昨日休んだから心配したぞ。一昨日の戦い、激戦だったんだろ?」

「オレもそれ聞いた。もしかして、怪我したのか?」


 アレクサンダー広場で戦闘があったことは、その日のうちにSNSで拡散されていた。前回のポツダム広場での戦闘もそうだが、田舎ばりに話が広まるのが早い。


「そんな感じ。でも、もう大丈夫だよ。心配してくれてありがと」


 きっと、使徒が疲弊した様子も知っていてクラスメイトたちは気遣ったのだろうが、もう心配はいらないとシモンは笑顔でいつも通りに振る舞った。

 授業もいつも通りに受けられた。教師からは宿題を渡され、休み時間には友達に昨日の授業内容を教えてもらった。

 午後になり、社会の授業が始まる。


「今日は、世界情勢についてみんなで議論をしていこう。テーマは『戦争が起こる理由』だ」


 教師は、昔起きた大戦やそれ以前の戦争、近年の紛争を取り上げてそれぞれの発端を上げていき、ではなぜ平和的解決の道を選ばなかったのかをクラス全員で考える授業だ。

 生徒たちは自発的に挙手し、それぞれ意見を堂々と述べていく。生徒同士で議論になると、教師が一度両者のあいだに入り、ディベート形式を取りながら授業は進んでいく。

 生徒同士の議論が進む中、シモンの隣の女子が声を掛けてきた。


「シモンくん。どうしたの?」

「え?」

「いつもなら積極的に発言するのに、全然手を挙げてないから」


 いつもと違う様子に見えて、心配してくれたようだ。けれどシモンは、「何でもないよ」と事も無げに返した。

 普段のシモンは、議論が紛糾する状況でも自身の意見を積極的に発言している。しかし今日は、一向に手を挙げようとしない。

 議論のテーマが悪かった。タデウスのせいでトラウマが甦りやすくなっていて、それどころではないのだ。

 シモンが見たトラウマは、タデウスの術が中途半端だったおかげで記憶との差異はあったものの、リアルさはぼぼ完璧だった。爆音と銃声が鳴り響く街の中を逃げたことも。日々街の姿が変わっていくことも。避難所が空爆にあったことも。

 六歳のシモンの心に開けられた銃創を塞いでいたかさぶたが取れ、膿んでいた。その膿はドロドロと溢れ、鉄臭いものがジワリと出始めていた。

 今日に限ってなぜこんなテーマにしたのかと、決めた教師を恨めしく思う。参加したくないのなら教室を出てしまえばいいが、逃げてもどうしようとないことはわかっていた。

 けれど、クラスメイトの議論の声なんて一つも耳に入ってこなかった。シモンは過呼吸になりかけるのを懸命に抑え、自分自身を落ち着かせようとするので精一杯だった。

 結局、その授業は始終集中ができず、一度も挙手することなく終わった。


「おーい、シモン。大丈夫かー?」

「……えっ?」


 授業が終わって放心していたシモンは、友達に呼ばれて我に返った。


「本当に大丈夫か? 珍しく発言もしてなかったし」

「顔色も悪いよ?」

「怪我が傷むのか?」

「ううん。大丈夫だよ。何でもない、何でもない」


 シモンは笑顔を見せ、平常を装った。こんなことで、心が折れている場合じゃないと。


「ならいいけど。このあと、いつものメンバーで図書館で社会の宿題やるけど。シモンも来れる?」

「うん。行くよ」


 いつものメンバーとは、同じ地域内に住んでいる五人のことだ。宿題を一緒にやったり、休日に遊ぶこともある。

 シモンたちは一緒に学校を出て、いつも使う中央図書館に行った。この辺りでは一番大きな州立図書館で、建物が大きいぶん蔵書数も多く、読書机や勉強机の数も多い。窓が大きく開放感もあり、敷地内にはカフェも併設されていて、多くの利用者がある。

 五人は空いていたテーブル席を見つけ、タブレット端末を開き宿題を始めた。


「それで……。宿題ってなんだっけ?」


 授業内容を全く聞いていなかったシモンが訊くと、友人たちは心配の表情を向けた。


「そこから!?」

「本当に、今日はどうしちゃったんだよ」

「具合悪いなら、帰った方がいいよ?」

「大丈夫。聞き取り忘れただけだから……」

「宿題は、『国家間や宗教間の軋轢を平和的解決に導く方法』だよ」

「じゃあ、始めるか」


 友人たちは、授業でやっていたように議論を始めた。「話し合いが結論まで達していないせい」「結論が平等に考えられていない」など、自分の意見を遠慮なく出し合った。

 ところが、シモンはここでも発言ができず沈黙を続け、聞き役にも回れなかった。


「シモンはどう思う?」

「えっ?」


 俯いていると突然、一人が意見を求めてきた。


「シモンくんの意見聞かせてよ」

「えっ……。えっ、と……」


 四人の視線が集中する。いつもの歯に衣着せぬ物言いを聞かせてほしいと、期待していた。

 この場にいることを、シモンは後悔した。意見を求められても、思考の歯車が止まっている今は、まともなことが言える気がしない。

 期待の眼差しがプレッシャーに感じるのは、初めてだ。こんなに口を開きたくないと思ったことはない。逃れたい気持ちと、逃げてはいけない気持ちが拮抗する。だが、後者を優先するのが重要だと理解している。

 シモンは上手く言葉を紡げるように、懸命に歯車を動かした。


「そう……だね……。たぶん……最悪の手段を、想定してないんだと思う……。ううん、違う。最悪の手段を最初から想定してるから、いろんな選択を諦めてるんだと思う。交渉が上手くいかなかったら、戦争すればいい。勝って相手をねじ伏せればいい。そう考えてる気がする。だから、平和的解決に導く方法は、大人たちが自分で潰しちゃってるんだよ」


 意外だった。

 自分の口からそんな言葉が出るとは、シモンは思わなかった。

 当事者になって、心に深い傷を負って、自分こそがそんなことを繰り返してはいけないと思っていたはずなのに。もう二度とあんな凄惨な出来事を経験したくないから、使徒をやっているのに。

 まるで、戦争根絶を諦めてしまっているような言い方に、自分で悲しくなってしまった。


「……ごめん。やっぱり、今日は帰るね」


 友人たちに一言謝罪すると、シモンは荷物を持って図書館の出口に足を向けた。


「ダメだ。こんなこと考えちゃ。ボクが諦めたらいけないのに……」

(こんなマイナス思考になってるのも、過去を見せられたせいなのかな。それとも……)


 戦争根絶なんて綺麗事なんだろうか。さっき口にしたことが、自分の本心なんだろうか。シモンは、自分の気持ちを疑った。

 戦争をする大人の考えはわからない。政治的な戦略も理解には及ばない。戦争をする大人が掲げる正義は、シモンには疑念だらけだった。信じようとしていた社会に、また強い不信感を抱きそうだった。

 出口に向かって通路を歩いていた時、司書おすすめの本を集めたコーナーを通り掛かった。シモンの目に、ある一冊の本が留まった。


「この本、知ってる」

(確か。国の文学賞を獲った小説だ)


 その小説はタイトルは聞いたことはあったが、普段はそんなに文学に触れていないので読んだことはなかった。シモンは、なぜかその小説が気になり、借りることにした。

 その小説は、ある人種に生まれた作者の実体験を元に描かれた、第二次世界大戦中の話だった。帰ってから読み始めたシモンは、通学中や帰宅途中、昼休みや寝る前などに没頭するように読んだ。そして、読書慣れをしていないのに、三日ほどで読み終えてしまった。

 最初から決まっていた主人公の運命は悲しいもので、その最後も悲劇で終わっていた。けれど読後は、それほど悲しくはなかった。主人公が最後まで希望を抱き、希望を求め続けていたその生き様が、シモンはとても共感できた。

 物語の主人公に、自分に似たようなものを感じた。




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