シェオル界の城の広間に、死徒たちが顔を合わせていた。
その視線の中心はタデウスだ。フィリポに続いて、使徒を堕とすことができなかった件を詰責されていた。
「もう少しやる気を出したらどうなの、タデウス。貴方、恥だと思わないの?」
「そうだよ。やる気が無いからって棺も中途半端にしたから、全体的に中途半端に終わったんだよ?」
「だってー。怠いし、面倒臭いし、疲れたんだもんー。そもそも、行く気無かったしー」
マティアとトマスに追及されても反省の色なく、テーブルにだらりと伏せている。この会議が始まる前からこの調子だ。
「お前等、こんなやる気の無ぇ怠け糞野郎に本気で期待してたのかよ! 馬鹿じゃねーの!? 俺はこんな奴に出来る筈がねぇって最初から思ってたけどな!」
フィリポはふんぞり返って言うが、タデウスも無気力なまま言われっぱなしではない。
「君だって、皆の期待を裏切ったじゃん。しかも、負け犬だし」
フィリポはこめかみに血管を浮かび上がらせ、真っ赤な双眸で睨んだ。
「俺は負け犬じゃねえ! 戦略的撤退だ! やる気ゼロで使徒を見逃したテメェと一緒にするな!」
「五十歩百歩よ、フィリポ。不快だから、大きな顔をしないで貰えるかしら」
マティアは指で髪をくるくる巻き、枝毛の心配をしている。
彼女……いや。彼の言葉にもカチンときたフィリポは椅子を倒して立ち上がり、マティアの胸倉を両手で掴んだ。
「あら。レディに手を挙げるの?」
「何がレディだ、半端糞野郎! まだ何もしてねぇ奴がデカい顔すんじゃねーよ!」
「事実じゃないの。それに。率先して行ったくせに敗走した方が、より恥だと思うけど?」
「テメ……!」
「あら。やる気?」
マティアは、胸倉を掴むフィリポの手首を力強く掴み返す。
「二人がケンカしても、しょうが無いよぉ」
また別のケンカが始まりそうになり、トマスはオロオロし始める。
「
タデウスはすっかり、やる気ゼロになってしまっているようだ。問責も無駄だと悟るバルトロマイは呆れ顔で腕を組み、いつも以上に無口になっている。
マタイも腕を組んで悩んだ。使徒も排除したいが、このタデウスを動かすのはかなり面倒臭い。しかし、一人だけ甘やかすつもりは微塵もない。自分たちの願いを叶えるためにも、使徒と戦ってもらわなければならない。
「そう言うなタデウス。もう少し
「そんなに使徒を排除したいなら、他の誰かが行けば良いじゃんー」
「だが、あの使徒との相性はお前が一番良いんだ。全開ではない術で
「じゃあ。別の誰かを行かせて、違う使徒を狙いなよー」
「お前が狙った使徒は、一度大きなダメージを受けている。タイムラグが発生すればダメージは回復し、一からやり直しだ。今追い打ちを掛ければ、確実に堕ちる」
「だからぼくに行けって言うの? やだー。だーるーいー」
タデウスは、また駄々をこね始めた。ダラダラし過ぎて半個体化して、椅子からヌルッと滑り落ちそうだ。
「
「そーだけどー……」
「タデウス。俺達の目的を忘れた訳ではないだろう」
「『人類平等』……」
どれだけやる気がなくても死徒であるタデウスは、その目的だけは放棄していない。
「そうだ。其れが俺達の目的で、存在理由の筈だ。目的を果たさなければ、俺達が存在する意味は無くなる。俺達の存在を知らしめなければ、目的は果たされない。お前は“痛み”を。フィリポは“怒り”を。バルトロマイは“憎しみ”を。トマスは“苦しみ”を。マティアは“嫉妬”を。そして俺は“怨み”を、人間に思い知らせるんだ」
「
「そうだ。でなければ、俺達は無念の
「……それは、嫌だな」
「少しはやる気が出てきたか?」
ずっとテーブルに伏せ半個体になりかけていたタデウスは、溜め息を吐きながらだるそうにゆっくりと立ち上がる。
「分かったよ。もう一度だけなら、行ってあげる」
「できれば、今度は本気でやってほしいんだが」
「そーだねー。其れは、使徒と戦う
そう言いつつも、緑色の双眸には精気が再び溢れていた。
学校帰りのシモンが乗り換え駅の改札を出ると、迎えに来たヤコブが待っていた。シモンはなぜか、意外そうな顔をした。
「本当に待ってたんだ」
「連絡したの俺からなんだから、待ってるの当たり前だろ」
「バイトは? ボクなら、もう大丈夫だって言ったのに」
「ちゃんと終わらせてから来た。お節介か?」
「そんなことないよ。ちょっとお節介かなって思うけど、嬉しい」
「思ってんじゃん」
ヤコブがお疲れさまの頭ポンポンをして、シモンは並んで歩き始めた。
小腹が空いたので、駅構内のドーナツ屋に立ち寄って一つずつテイクアウトし、歩きながら食べた。
「そういえば。三日間くらいずっと本読んでたよな。宿題だったのか?」
「ううん。気になって、図書館で借りたんだ。国の文学賞を取った小説なんだけど、ヤコブは読んだこと……ある?」
「絶対読んだことなさそうだな、っていう間を空けるな。読んだことないけど」
ヤコブも本はマンガなら読むが、文学にはほぼ触れたことはない。文字がぎっしり詰まったページを開くと、圧倒されてすぐに閉じてしまうのだ。
なので、本当は興味はないのだが、シモンがあまりにも集中して読んでいたので、どんな話なのか訊いた。
「差別を受ける人種で生まれた主人公が、戦争の中でも希望を求めて生きる物語だよ。タイトルは知ってたけど、ちゃんと読んだことなかったんだ。今、あの本に出会えてよかったかも」
「よかったって?」
「ボクに必要なものが、あの中にあった気がするんだ」
駅を利用する人々が往来する喧騒の中、二人はアレクサンダー広場に足を踏み入れた。
その瞬間だった。
「!?」
辺りの空気が、別の世界に迷い込んだようにがらりと変わった。周囲を歩いていた多くの人も、走っていたトラムも車も消え、いつかのような静寂の黒い世界となった。
「ヤコブ。これ……」
「ああ。お出ましだ」
無人となった広場のど真ん中に、葉巻を咥えたガープが降って来たように重厚な音を立てて着地した。そのターキーレッグような肩には、無気力なタデウスがだらりと乗っている。
「やっと来たー。
(何なんだ、やつのあの体勢は。スポーツしたあとのタオルか?)
(オシャレな人が冬に付けてる、特に役に立ってないファーみたい……)
二人は待ち伏せされたことよりも、タデウスのウエルカム惰気ポーズがめちゃくちゃ気になった。
ちなみに。タデウスは「やっと来た」と言ったが、待っていたのはほんの五分ほどだ。
「本当は、また来る積もりは無かったんだけどさー。矢張(やっぱ)り、やらなきゃ駄目みたいなんだよねー。でも、怠いし、面倒臭いし、帰りたいー」
「帰るなら帰ってもいいぜ。その場合、俺たちの不戦勝になるけどな」
ドーナツを食べ終わったヤコブは、親指で口の端を拭った。シモンも、ペロッと口の周りを舐める。
「ぼくも別に、勝ちに拘ってる訳じゃないけどさー。何だかんだで、結局はやらなきゃならないんだよねー」
そこへ、至急駆け付けたユダたちも合流した。
「あの格好……」
「今回も、やる気なさそうだね」
そして二人と同じく、タデウスの体勢に釘付けになり呆れた。
「前回も怠そうだったよな。面倒くせぇなら戦わなきゃいいだろ」
「そう出来るなら、そうしたいんだけどねー。でも、無理なんだよ。ぼく達は、人類を平等にしたいから」
タデウスはガープの肩を借り、前方宙返りをしてスタッと着地した。
「だから今回は、先を越される前にテリトリーも展開して、やる気も出来るだけ出そうと思ってるんだ。此の前みたいに、中途半端にはしないよ」
無気力だったタデウスの緑色の双眸に、精気が宿った。
やる気スイッチが入った途端、タデウスの影がまばたきの速度で地を這い、シモンを捕まえた。
「!?」
「シモン!」
ヤコブはシモンに手を伸ばす。だが。
「
二人の手は届かず、黒い帯はシモンの身体にグルグルと巻き付き、シモンはミイラ状態となって空中に固定された。
「シモンッ!」
「じゃあ、ガープ。
タデウスは、足元の影の中に消えて行った。
「どうやら今回の主は、本当にやる気が有るようだ」
「みんな気を付けて。きっとまた力が使えなくなる」
再びガープとの戦闘になるユダたちは、前回を踏まえて気を引き締める。
「そう構えんでも良い。前回は少々楽しませて貰ったからのう。今回は、儂の力を教えてやろう」
「いいのか。敵に能力を教えて」
「問題無い。知った所で、お主等が儂との戦いに有利になる訳では無い」
悠々と構えるガープは、追加で三本の葉巻を咥えた。
「儂は、四つの王の能力を持っておる。一つは前回も使った、敵を無知にする“知恵の王”の力。二つ目は、あらゆる武器を自在に操る“武の王”の力。三つ目は、炎や水を操る“魔術の王”の力。そして四つ目は、敵を混乱させる“欺瞞の王”の力だ」
ガープは、能力を明かしながら合計四本の葉巻を吸う。そのうち、それぞれ色の違う煙が発生し、ガープはその煙を一気に吸い込んだ。
「今回は儂の眷属は喚ばぬ。其の代わりに、儂と共に楽しもうぞ」
「それは、ご親切にどうも!」
能力を使われる前に、四人は先制攻撃を仕掛ける。
ヤコブは攻撃を放とうとする。「
「何でだ!?」
「……まさか!」
「言っただろう。『そう構えんでも良い』と。お主等が我が主のテリトリーに足を踏み入れた其の瞬間から、使徒の力は使えなくなっている」
「……そうか。葉巻は、そういう使い方をしているのか」
ユダは、ガープの能力の発動条件に気付いた。
「発動条件?」
「ガープはこの前の戦いで、葉巻の煙で眷属を喚び出していた。だけどあの葉巻は、能力の発動もできるんだ」
「あれって、ただのおっさんの嗜みじゃなかったのか」
「一応、葉巻は儂の趣味でもある」
ガープは、携えていた剣を手にした。その身幅は20センチはあり、剣身は1メートルを軽く超える、グレートソードランクの剣だ。
筋肉隆々のガープらしい見たこともない大剣に気後れするも、四人もそれぞれハーツヴンデを具現化させた。
「さて。人間のお主等が
ガープは踏み切った。力強い蹴りでコンクリートを剥がしながら、真っ直ぐヤコブに突っ込んで来る。
「っ!?」
ヤコブは〈
「がはっ!」
「ヤコブ!」
「余所見をしている余裕は無いぞ!」
ガープは次はヨハネを狙い、大剣を振りかぶった。ヨハネは〈
「ぐあっ!」
「ヨハネ!」
「力の差があり過ぎる……」
(私たちに気付かれずに能力を発動させることもだけど、あの大剣を扱う身体能力はすごい。能力だとしても、技量のあるガープだからあれを扱えるんだ)
僅か十数秒のあいだに圧倒的な力の差を見せ付けられ、その気迫に圧されたユダとペトロは本能的に一歩後退する。
「さあ、どうした。遠慮せず掛かって来るが良い。主が囚えた仲間と共に、敗北を認めても良いがな」
ガープは使徒との戦いを、まるで武道の稽古のように楽しんでいた。