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第22話 3等星



 シモンは、敵である反勢力を〈恐怯フルヒト〉で射殺そうとする。この凄惨な現実を自らの手で終わらせ、痛みから解放されようと。


「さあ。君の報復で、の希望の無い世界を終わらせて」

「終わらせる……」

(ボクがあの人たちを殺せば。この原因をなくせば。ボクは解放される。みんな解放される)


 シモンは、前方に展開する武装した男たちに光の矢の矛先を向け、狙いを定める。

 自分を苦しめ続けていたものを消し去れば、平和な日常が戻って来る。明日からは、心健やかな日々を過ごせる。何にも怯えず、不安にも駆られず、死を待つ必要がない、なんでもない日々を。この世界を変革できる力を持っている自分が、取り戻すんだと。

 その時だった。シモンは、弦を引いていた右腕が熱く感じた。


 ───あいつは、過去の自分に負けるような弱いやつじゃない!


 シモンは弦から手を離した。

 光の矢は放たれた。だが敵には向かわず、中空で静止していたロケット弾を破壊した。爆薬を仕込まれていた弾は、爆音とともに粉々に四散する。


「え?」


 思っていた行動と反していたタデウスは一驚する。


(ありがとう。ヤコブ)


 シモンは正気を取り戻した。聞こえた気がしたヤコブの声は、ただの空耳だったのかもしれない。けれど、繋がった心を通じて思いが伝わって来て、信じて待ってくれているヤコブを裏切る結果にはしたくなかった。


「どうして? 何で報復しないの?」


 訳がわからないタデウスは、呆然としながら尋ねた。


「あの人たちに報復すれば、ボクたちと同じ痛みを教えられる。報復は一番簡単で、単純な方法だよ。だけど、欠点がある」

「欠点?」

「それは、自分の痛みが消えないことだよ。それどころか、余計な痛みが増えるだけ。だかららこんな方法じゃ、ボクは解放されない」

「だけど、報復が一番簡単で単純な方法なのは分かるんでしょ? 君がやらないと、君が此の世界にられるよ? 君が見て来た死体も、君が代わりに報復してくれる事を望んでるよ? ほら!」


 周りに群がる死体が、「報復、報復、解放、解放」と呪文を唱えるように呟いている。その呪文は、シモンの心の深奥でも密かに唱え続けられている。だからシモンには、彼らの願いを叶えることもできた。


「死ぬのは嫌でしょ? 怖いでしょ? 此の世界に居る限り、其の恐怖に付き纏わられるんだよ? 生きた心地しないよ?」


 恐れへの報復と惨苦からの解放が叶えば、楽に生きられるだろう。そう願うのが当然であり、身体も精神も理不尽から守られることが常識だ。

 シモンはその常識に守られなかった。だからトラウマとなって、今も苦しみ続けている。

 しかし。トラウマと向き合ったシモンが見つけたのは、新たな常識だった。


「違う」

「何が違うの?」

「ボクが恐れていたものだよ。戦争を経験したボクは、『死』を恐れていた。自分が死ぬことを想像することも、知らない誰かが死ぬことを想像することも怖かった。だけど、わかったんだ。ボクは『死』が怖かったんじゃない。本当は、『人間同士で殺し合う世界』が怖かった。世界の本当の姿を知らなかったことが、怖かったんだ。幼いボクの中で、あの時まで戦争はファンタジーだった。それが突然現実に現れて、ショックで信じられなかった。それが初めて見た世界の姿と、人間の本性だと思ったから」


 常識は、常識ではなくなるということ。人間が作った常識は、人間が壊すということ。理不尽から守られなければならないという常識は、もとから存在しない。人間は、そうして世界を作って来たのだと。


「だったら。余計に終らせないといけないよ。何方どっちにしろ、無限のループは断ち切らないといけないでしょ?」

「でも。ここでボクが終わらせたら、ボクは使徒の役目を果たせなくなる。使徒は人間を罰する存在じゃなくて、闇に落とそうとするやつから人間を守る存在だから」


 そんな非常識な人間でも、シモンは排除する選択をしなかった。使徒になった理由でもある、「もう二度と戦争を経験したくない」という願いを叶えるためには、その必要はなかったから。


「ボクは、この今のままの世界と付き合っていくしかないんだ」


 顔をしかめたタデウスは距離を取り、自身の身体の一部から作り出した複数の黒いダート〈極霖無天クマー・ヴェアトロス〉をシモンに向ける。


「其れは自滅だよ。こんな世界には絶望しかないのに、どうしてそんな事が言えるの?」

「希望はあるよ」

「何処にそんな物が有るって言うの」

「ボクの中にある」


 自分の中に希望の星の存在がわかるシモンは、断言した。


「この希望が輝きを失わない限り、ボクは絶望しない。何があっても諦めない。例え、またあんな絶望に直面して恐れても、ボクには勇気をくれる人がいる。その人が隣にいてくれれば、ボクは恐れず絶望と向き合える。今この瞬間もすぐ側にいてくれて、ボクを支えてくれてる」


 シモンは、ヤコブの名前が刻まれた右腕に触れた。今もまだ、思いの温もりを感じる。


「そんな物、何時居なくなるかも分からないのに。君より早く死ぬかも知れないのに。そんな不確かな物を信じるよりも、今すぐ得られる安寧を求めた方が生産的じゃない?」

「そういう考え方もあるのかもしれない。だけどボクは、これからも使徒であることを望むよ」

「痛みが付き纏うのに?」

「言ったでしょ。ボクには希望があるって。それに、あの人たちに痛みは教えられない気がする。きっとあの人たちは、そんなの忘れてるんだ。スマホの写真を整理するみたいに、いらない感情はゴミ箱に捨ててるんだよ。でなきゃ、こんなことしない」


 反勢力と味方の男たちを見遣るシモンの目は、切なさと哀れみを帯びていた。

 シモンの思考が理解不能なタデウスは、より顰めっ面となり、全てのダートをシモンに放った。


心具象出ヴァッフェ・ダーシュテーレン!」


 シモンは〈恐怯フルヒト〉を具現化し、光の矢で黒い矢を全て撃ち落とす。


「君の其の選択は、絶対に後悔するよ。使徒の役目なんて放棄して報復の道を選んだ方が、楽に生きられたって」

「それが、簡単で単純な方法だもんね。だからボクは、その方法は選ばない。それは誰も……自分のことすら信じないのと同じだから。希望を捨てることと同じだから。希望が失われれば、平和も消える。こんな世界でも、みんな希望を抱いてるから続いてる。ボクはその希望を守りたい。ささやかでも続く平穏を!」


 シモンの思いを受け止めたように、〈恐怯フルヒト〉が希望の光で輝く。

 タデウスは再び黒いダートを複数作り出し、シモンの両側から挟み撃ちを狙う。しかし、上に向けて放たれた光の矢が流星のように分裂し、ダートを一つ残らず撃ち落とした。


「君が理解できないよ」


 流星に目を細め眉をひそめるタデウスは、緑色の双眸から戦闘意欲をなくした。

 シモンはもう一度、恐れを打ち砕く力を鈍色の空に向けた。


泡沫覆う惣闇ホフノン・星芒射すリヒトシャイネン!」


 放たれた矢は、絶望の世界にひとときの光を灯す。

 偽りの過去は、未来を望む星に打ち負けた。




 ミイラのようにシモンを巻いていた帯の影が散り散りに破れ、解放されたシモンは地面に落下する。


「シモンッ!」


 ヤコブはシモンの身体を受け止めた。シモンは、確かに感じる安らぎの温もりで目を開く。


「ヤコブ……。ただいま」

「大丈夫か?」

「うん。平気だよ。ヤコブの温もりを感じて、勇気もらえた」

「ごめんな。助け出してやりたかったんだけど」


 シモンは首を振り、ヤコブに微笑を送る。


「ううん。ヤコブの思いは伝わってきたよ。ありがとう」


 二人は手を繋ぎ、心が強く結ばれていることを喜び、お互いに感謝した。


「あーあ。また失敗しちゃったー」


 シモンを堕とすことに失敗し影から姿を現したタデウスは、すっかり無気力状態に戻っていた。


「ガープ。其方そっちはー?」


 タデウスがガープの状況を伺うと、なんと、ユダたち三人に追い込まれ降参の証に両手を挙げていた。


「主も失敗したか。儂も此の通りだ。どうだろう主。儂も元々、此奴等こやつらをどうこうしようとは考えておらん。主が良ければ、此の儘このまま退散するが」


 そう言うガープだが、頬など数ヶ所に傷は見受けられるが、鎧もまだ状態はよく、追い詰められるほどのダメージを受けたようには見えない。

 タデウスは、ガープに疑念の目を向け尋ねる。


「ガープ。本当にやられたの?」

「見たままだが」


 両手を挙げ降参しているが、全体的に見ても圧倒的にガープが優勢だったことが一目瞭然だった。それなのにガープは、戦闘継続を拒否した。反撃する余力は、使徒よりも遥かにあるというのに。

 しかしタデウスは、使徒を倒す意志はないと言うガープに理由の追及はしなかった。


「ぼくも、もう気力無いしなー……。そーだねー。帰ろっかー」

「おい。本当にこのまま帰るつもりか?」


 腹の虫が疼くヤコブはタデウスを睨み付ける。


「そう言ってるじゃん。ガープも降参してるし、君達ももう戦いたく無いでしょ」

「だからって、見逃すわけないだろ!」


 ヤコブは〈悔謝ラウエ〉で斬撃を繰り出した。しかし、タデウスは鋼鉄のような影の壁で防御し、そのまま包み込まれ、黒い球体の中に身を隠されてしまった。


「もうやる気無いからー。だけど。また機会が有ったら、来るかも知れ無いね。『人類平等』のために。エスケープするかもだけど」

「『人類平等』?」

「て事で。帰ろ、ガープ」

「有意義な時であった。再び相見える事が有れば、宜しく頼むぞ」

「おい、待て!」


 喚ばれたガープの姿は消え、タデウスを包んでいた球体も瞬く間に縮小し消え去った。




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