シモンは、敵である反勢力を〈
「さあ。君の報復で、
「終わらせる……」
(ボクがあの人たちを殺せば。この原因をなくせば。ボクは解放される。みんな解放される)
シモンは、前方に展開する武装した男たちに光の矢の矛先を向け、狙いを定める。
自分を苦しめ続けていたものを消し去れば、平和な日常が戻って来る。明日からは、心健やかな日々を過ごせる。何にも怯えず、不安にも駆られず、死を待つ必要がない、なんでもない日々を。この世界を変革できる力を持っている自分が、取り戻すんだと。
その時だった。シモンは、弦を引いていた右腕が熱く感じた。
───あいつは、過去の自分に負けるような弱いやつじゃない!
シモンは弦から手を離した。
光の矢は放たれた。だが敵には向かわず、中空で静止していたロケット弾を破壊した。爆薬を仕込まれていた弾は、爆音とともに粉々に四散する。
「え?」
思っていた行動と反していたタデウスは一驚する。
(ありがとう。ヤコブ)
シモンは正気を取り戻した。聞こえた気がしたヤコブの声は、ただの空耳だったのかもしれない。けれど、繋がった心を通じて思いが伝わって来て、信じて待ってくれているヤコブを裏切る結果にはしたくなかった。
「どうして? 何で報復しないの?」
訳がわからないタデウスは、呆然としながら尋ねた。
「あの人たちに報復すれば、ボクたちと同じ痛みを教えられる。報復は一番簡単で、単純な方法だよ。だけど、欠点がある」
「欠点?」
「それは、自分の痛みが消えないことだよ。それどころか、余計な痛みが増えるだけ。だかららこんな方法じゃ、ボクは解放されない」
「だけど、報復が一番簡単で単純な方法なのは分かるんでしょ? 君がやらないと、君が此の世界に
周りに群がる死体が、「報復、報復、解放、解放」と呪文を唱えるように呟いている。その呪文は、シモンの心の深奥でも密かに唱え続けられている。だからシモンには、彼らの願いを叶えることもできた。
「死ぬのは嫌でしょ? 怖いでしょ? 此の世界に居る限り、其の恐怖に付き纏わられるんだよ? 生きた心地しないよ?」
恐れへの報復と惨苦からの解放が叶えば、楽に生きられるだろう。そう願うのが当然であり、身体も精神も理不尽から守られることが常識だ。
シモンはその常識に守られなかった。だからトラウマとなって、今も苦しみ続けている。
しかし。トラウマと向き合ったシモンが見つけたのは、新たな常識だった。
「違う」
「何が違うの?」
「ボクが恐れていたものだよ。戦争を経験したボクは、『死』を恐れていた。自分が死ぬことを想像することも、知らない誰かが死ぬことを想像することも怖かった。だけど、わかったんだ。ボクは『死』が怖かったんじゃない。本当は、『人間同士で殺し合う世界』が怖かった。世界の本当の姿を知らなかったことが、怖かったんだ。幼いボクの中で、あの時まで戦争はファンタジーだった。それが突然現実に現れて、ショックで信じられなかった。それが初めて見た世界の姿と、人間の本性だと思ったから」
常識は、常識ではなくなるということ。人間が作った常識は、人間が壊すということ。理不尽から守られなければならないという常識は、もとから存在しない。人間は、そうして世界を作って来たのだと。
「だったら。余計に終らせないといけないよ。
「でも。ここでボクが終わらせたら、ボクは使徒の役目を果たせなくなる。使徒は人間を罰する存在じゃなくて、闇に落とそうとするやつから人間を守る存在だから」
そんな非常識な人間でも、シモンは排除する選択をしなかった。使徒になった理由でもある、「もう二度と戦争を経験したくない」という願いを叶えるためには、その必要はなかったから。
「ボクは、この今のままの世界と付き合っていくしかないんだ」
顔をしかめたタデウスは距離を取り、自身の身体の一部から作り出した複数の黒いダート〈
「其れは自滅だよ。こんな世界には絶望しかないのに、どうしてそんな事が言えるの?」
「希望はあるよ」
「何処にそんな物が有るって言うの」
「ボクの中にある」
自分の中に希望の星の存在がわかるシモンは、断言した。
「この希望が輝きを失わない限り、ボクは絶望しない。何があっても諦めない。例え、またあんな絶望に直面して恐れても、ボクには勇気をくれる人がいる。その人が隣にいてくれれば、ボクは恐れず絶望と向き合える。今この瞬間もすぐ側にいてくれて、ボクを支えてくれてる」
シモンは、ヤコブの名前が刻まれた右腕に触れた。今もまだ、思いの温もりを感じる。
「そんな物、何時居なくなるかも分からないのに。君より早く死ぬかも知れないのに。そんな不確かな物を信じるよりも、今すぐ得られる安寧を求めた方が生産的じゃない?」
「そういう考え方もあるのかもしれない。だけどボクは、これからも使徒であることを望むよ」
「痛みが付き纏うのに?」
「言ったでしょ。ボクには希望があるって。それに、あの人たちに痛みは教えられない気がする。きっとあの人たちは、そんなの忘れてるんだ。スマホの写真を整理するみたいに、いらない感情はゴミ箱に捨ててるんだよ。でなきゃ、こんなことしない」
反勢力と味方の男たちを見遣るシモンの目は、切なさと哀れみを帯びていた。
シモンの思考が理解不能なタデウスは、より顰めっ面となり、全てのダートをシモンに放った。
「
シモンは〈
「君の其の選択は、絶対に後悔するよ。使徒の役目なんて放棄して報復の道を選んだ方が、楽に生きられたって」
「それが、簡単で単純な方法だもんね。だからボクは、その方法は選ばない。それは誰も……自分のことすら信じないのと同じだから。希望を捨てることと同じだから。希望が失われれば、平和も消える。こんな世界でも、みんな希望を抱いてるから続いてる。ボクはその希望を守りたい。ささやかでも続く平穏を!」
シモンの思いを受け止めたように、〈
タデウスは再び黒いダートを複数作り出し、シモンの両側から挟み撃ちを狙う。しかし、上に向けて放たれた光の矢が流星のように分裂し、ダートを一つ残らず撃ち落とした。
「君が理解できないよ」
流星に目を細め眉をひそめるタデウスは、緑色の双眸から戦闘意欲をなくした。
シモンはもう一度、恐れを打ち砕く力を鈍色の空に向けた。
「
放たれた矢は、絶望の世界にひとときの光を灯す。
偽りの過去は、未来を望む星に打ち負けた。
ミイラのようにシモンを巻いていた帯の影が散り散りに破れ、解放されたシモンは地面に落下する。
「シモンッ!」
ヤコブはシモンの身体を受け止めた。シモンは、確かに感じる安らぎの温もりで目を開く。
「ヤコブ……。ただいま」
「大丈夫か?」
「うん。平気だよ。ヤコブの温もりを感じて、勇気もらえた」
「ごめんな。助け出してやりたかったんだけど」
シモンは首を振り、ヤコブに微笑を送る。
「ううん。ヤコブの思いは伝わってきたよ。ありがとう」
二人は手を繋ぎ、心が強く結ばれていることを喜び、お互いに感謝した。
「あーあ。また失敗しちゃったー」
シモンを堕とすことに失敗し影から姿を現したタデウスは、すっかり無気力状態に戻っていた。
「ガープ。
タデウスがガープの状況を伺うと、なんと、ユダたち三人に追い込まれ降参の証に両手を挙げていた。
「主も失敗したか。儂も此の通りだ。どうだろう主。儂も元々、
そう言うガープだが、頬など数ヶ所に傷は見受けられるが、鎧もまだ状態はよく、追い詰められるほどのダメージを受けたようには見えない。
タデウスは、ガープに疑念の目を向け尋ねる。
「ガープ。本当にやられたの?」
「見た
両手を挙げ降参しているが、全体的に見ても圧倒的にガープが優勢だったことが一目瞭然だった。それなのにガープは、戦闘継続を拒否した。反撃する余力は、使徒よりも遥かにあるというのに。
しかしタデウスは、使徒を倒す意志はないと言うガープに理由の追及はしなかった。
「ぼくも、もう気力無いしなー……。そーだねー。帰ろっかー」
「おい。本当にこのまま帰るつもりか?」
腹の虫が疼くヤコブはタデウスを睨み付ける。
「そう言ってるじゃん。ガープも降参してるし、君達ももう戦いたく無いでしょ」
「だからって、見逃すわけないだろ!」
ヤコブは〈
「もうやる気無いからー。だけど。また機会が有ったら、来るかも知れ無いね。『人類平等』のために。エスケープするかもだけど」
「『人類平等』?」
「て事で。帰ろ、ガープ」
「有意義な時であった。再び相見える事が有れば、宜しく頼むぞ」
「おい、待て!」
喚ばれたガープの姿は消え、タデウスを包んでいた球体も瞬く間に縮小し消え去った。