翌日。ヤコブの撮影現場を見学するペトロは、ヤコブと二人だけで出発した。
「ヨハネは付いて来ないんだな。確か、マネージャーもやってるって聞いたけど」
「付いて来るのは、最初の頃と契約の時だけだ。慣れたら基本一人」
「じゃあ、向こうの人とのやり取りも自分で?」
「そ。だから愛想はよくしとけよ。今日の第一印象で仕事が来るかもしれないからな」
二人は最寄りの停留所からバスに乗り、ミッテ区のビル内に構えるシューズメーカーのオフィスへ向かった。
ペトロはヤコブに付いてエレベーターで上階に上がり、スポーツをやっていそうな体格をしたカジュアルな服装の宣伝担当の男性と合流した。
「お久し振りです」
「久し振りヤコブくん。また引き受けてくれてありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます」
ヤコブは普段とは違って少し大人しく、ビジネスモードで挨拶を交わす。
「今日は、シモンくんは付いて来てないんだ?」
「真面目に学校行ってるんで」
「その代わりに、隣の人を連れて来たのかな?」
宣伝担当の男性はペトロに視線を向ける。
「こいつはうちの事務所の新入りです」
「初めまして。ペトロと言います」
緊張であまり愛想はよくできないがペトロは礼儀よく自己紹介し、握手をした。
「よろしく。男の子だったのか。見た目がキレイだから、どっちか迷ったよ。失礼なこと言ってごめんね」
「いいえ。慣れてるんで」
「今日、撮影の見学させてやりたいんですけど、いいっすか?」
「もちろんだよ」
男性を含めて撮影の前にスタッフと軽い打ち合わせをし、ヤコブは新商品のスニーカーに合わせた衣装に着替えて別フロアにある撮影スタジオに入った。
スタジオは白い背景に、大小の白い四角い台が準備されていた。ヘアメイクもしたヤコブはカメラの前に立ち、台に片足を乗せてスニーカーメインの撮影から始めた。
ペトロは邪魔にならないように、スタジオの隅でヤコブの仕事ぶりを見学する。
「もうちょっとつま先をこっちに向けて。……うん。そのくらい」
カメラマンが撮りたい角度を注文し、ヤコブは指示を聞いて微調整する。その次は、台や床に座って様々な角度からヤコブ込みで撮り始める。
「じゃあ、次はアクティブに。いろいろ自由に動いて」
今度は、サッカーボールやスケートボードなどの小物を使った動きのある撮影に切り替わり、ヤコブは自由に動く。何度か経験している撮影は、もうだいぶ慣れているようだ。
「今のいいね。もう少し派手にジャンプして」
そして一通りの撮影を終えたあとは、宣伝担当やカメラマンたちにヤコブも混ざって撮った素材をチェックする。
「このアングルいいね。商品がわかりやすく写ってる」
「こっちもいいですね。私、こっちの方がイケてると思います」
「僕はこれがいいなー。撮ってて楽しかったし」
「俺もこれがいいっす。これ、めちゃくちゃかっこよくていいっすよね!」
「確かに、躍動感が一番表現されてるね」
その中に入れないペトロは、警備員のように定位置から動かずに様子を見ていた。
すると、撮影中に時々ペトロを気にしていたカメラマンが近付いて来た。
「きみも一枚撮ってみる?」
「えっ?」
「商品専門で人物はあまり撮ったことないけど、きみはいい被写体になりそうだから撮ってみたいんだ」
「いや。でも……」
見学だけのつもりだったペトロは、遠慮しようとしたが。
「いいじゃん。撮ってもらえよ、ペトロ。リハーサルだと思ってやってみればいいじゃん」
ヤコブに勧められ、彼が世話になっている企業の社員がいる手前あまり強情に拒否するのも悪い気がしたペトロは、少し迷ったが撮ってもらうことにした。
ヤコブが立っていた位置に立つと、天井からの証明が眩しくて少し目を細めた。
「どうしたらいいですか?」
「いつも通りで。自分の部屋だと思ってリラックスして」
(リラックスって言っても……)
カメラマンは緊張しないように声を掛けてくれるが、身体はガチガチだ。ヤコブはカメラのシャッター音にも緊張せずにできていたから、それくらい簡単なものだと思っていたが、いざ他人に見られながら撮られるとなると、完全にロボットになってしまった。
「じゃあ……。後ろの壁に向かってちょっと歩いて、振り向いてみようか」
カメラマンはもう少し自然なペトロを撮りたいらしく、リクエストした。ペトロは言われた通りに後ろの壁に向かって何歩か歩き、カメラマンの合図を待った。
「こっち向いて」
合図を聞いて振り向き、その瞬間を狙ってシャッターが切られた。
ファインダーを覗いていたカメラマンは、撮ったばかりの素材を液晶モニターで見直した。その表情はなぜか、一瞬の奇跡でも目撃したかのように呆然としていた。
「……きみ。やっぱり、すごくいい被写体だよ」
「ただいまー」
「お疲れさま、ヤコブくん。ペトロくんも、見学どうだった?」
「うん。まぁ。勉強にはなったかも」
「それよりも! 二人に土産があるんだぜー」
「土産?」
ヤコブは帰宅早々に、ウキウキでスマホを出した。
「見せるのかよ……」
「何のためにもらって来たんだよ」
ペトロは嫌がるが、彼の心情などお構いなしにヤコブは披露する気満々だ。
「カメラマンの好意で撮ってもらったんだけどさ。ほら。見ろよ、これ!」
見せられたその写真に、ユダとヨハネは一瞬で釘付けになった。
ヤコブが見せたのは、カメラマンが撮ったペトロのベストショットだ。その場にいた全員を絶句させるほど大好評だった一枚なので、ユダたちにも見せようとヤコブがもらって来たのだ。
「すごいと思わね? オレもこの出来には驚いたわ」
「これ、本当にペトロか?」
ヨハネは同一人物を疑って写真と本人を見比べる。ペトロも、だんだんと気恥ずかしくなってくる。
「恥ずかしいから、あんまりじっくり見るなよ。こんなのもらって来なくてよかったのに」
「リハだけど、プロに撮ってもらった記念すべき一枚目だぞ? 喜べよ」
「いや。これ、普通の顔だし……」
あまりイジってほしくないペトロは、どこかに隠れられる場所があったら頭だけでも突っ込んでこの場を凌ぎたかった。
「いや……。素敵だよ。この写真」
その中で唯一、ユダは真顔で写真を見つめ続けていた。
正確には。美しいけれどどこか影があり、儚げで、芯のある雰囲気を醸し出す姿に、心から釘付けになっていた。
「キレイだ」
無意識の本音を、ユダは口にした。
ユダその言葉を聞いたペトロは、少しだけ胸がキュっとした。撮影スタッフから褒められても何も感じなかったのに、急にこそばゆくなった。
「……かっこ悪くないなら、いいけど…………。部屋戻る!」
急にめちゃくちゃ恥ずかしくなり居た堪れなくなったペトロは、走るように部屋に戻って行った。
今日の仕事のことを報告したヤコブも部屋に戻り、事務所は再びユダとヨハネだけになった。
ところが。口元を抑えて背中を向けるユダの様子が何やらおかしいと、ヨハネは感じる。
「ユダ。どうかしましたか?」
「……ううん。何でもない」
振り返ったユダは、いつものユダだった。デスクに戻り仕事を再開する姿もいつもと変わらない。
けれど、その心の動きをヨハネは何となく感付いていた。