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第15話 星の街中で



 この日、いよいよペトロは初の広告の撮影へと挑む。

 初めての撮影なのでいつもならヨハネが付き添うのだが、今回もまたユダが職権濫用して同行していた。

 撮影は、会社のオフィスと同じフロアにあるスタジオで行われる。ペトロは用意された部屋で、撮影用の衣装に着替えていた。


「ていうか。変わった起用理由だな。よくあるのか?」

「直感だけっていうのは、あんまりないかな。気乗りしなくなった?」

「いや。一度やるって決めた以上はちゃんとやるよ。それはいいんだけどさ……。この衣装、お腹出るんだけど」


 用意されていた衣装は、ヘソ出しのショートパーカーとカーゴパンツだった。

 ペトロが着替え終わるまで身体ごと逸していたユダだったが、彼のおへそに目がいくと、掌を向けて自分の視界から隠した。


「何してるの?」

「気にしないで」


 着替え終わると、ヘアメイクさんに髪などを整えてもらった。「肌キレイですね〜」「目もキレイだし、女の子みたい〜」と二人のヘアメイクさんはテンションアゲアゲでペトロを褒めるが、本人は緊張してそれどころじゃない。


「ペトロくん、大丈夫?」

「ダイジョウブ……」

(緊張でガチガチだなぁ……)


 準備も整い撮影スタジオに入るが、ユダが心配するほどペトロは全身ガチガチだ。その状態でカメラの前に立つと、緊張は一層増してまたロボットになりかける。


「こういう撮影は初めてなんだよね。最初のうちは緊張するかもだけど、だんだん慣れるから」

「はい……」

「それじゃあまずは、そのままの感じで撮ってみましょうか。写真はバストアップなので、商品は顔のあたりで持つようにして下さい」


 商品の炭酸水を持たされたペトロは、とりあえず言われた通りに顔の近くに持ち、最初のシャッターが切られた。次に「もう少し上に」と指示され、今度は顔の横で持った。

 緊張したまま撮影を続けるが、表情が固く、笑顔もぎこちなくなってしまう。撮影初心者にありがちなことだが、フィッシャーとカメラマンは顔を合わせて悩んだ。


「少し休憩しましょうか」


 フィッシャーの配慮で、少し休憩を取ることになった。

 緊張からの一時的な開放で背中を丸めて大きく息を吐くペトロに、ユダは水を差し出した。


「緊張、解れない?」

「うん」

「そうだよね」

「前に撮ってもらった時、仕事じゃなくても結構緊張したんだ。なのに、本番で緊張しないのは無理だよ。仕事、軽く受け過ぎたかなぁ……」


 初仕事でナーバスになるペトロは、不安な表情で後悔を口にした。使徒の使命にはあんなに前向きな意志を見せていたのに、意外な姿をユダの前で初めて見せた。

 ユダはペトロの緊張を解そうと、肩に手を置いた。


「ペトロくん。私の目を見て」


 ペトロは素直に、ユダと視線を合わせる。メガネ越しに真っ直ぐに見つめてくるライトブラウンの瞳の中に、自分の姿が映り込んでいた。


「きみはまだ、自分に自信を持てていないだけだ。だけど、きみの魅力は私が知ってる。ペトロくんの中に、もう一人の違うきみが隠れているのがわかる」

「もう一人の、オレ?」

「きみもまだ知らない自分だよ。その未知の顔を、私たちに見せて。きみが着ている皮を一枚脱ぐだけで変われる。もっと魅力的な人になれるよ。だから大丈夫」

「……本当にできるかな」

「できるよ。私を信じて」


 その眼差しは、いつもの穏やかなものではなくペトロを信じていて、勇気をくれているようだった。


(何でだろう……。不思議なくらい、その言葉を信じられる気がする)

「……わかった。ユダの言葉を信じる」


 休憩が終わり、ユダに背中を押されたペトロは再びカメラの前に立った。


「それじゃあ。一度、笑ってみましょうか」

(一枚皮を脱ぐ……)


 ペトロは一度目を閉じ、深くゆっくり呼吸する。そして、カメラに向かって微笑んだ。

 その瞬間、スタジオ内が少しざわめいた。

 ユダは確信を呟く。


「やっぱり」

(ペトロくんは、こっちの素質もあったんだ)


 ペトロを見かけた時からその存在の価値に気付いていたユダだったが、モデルとしての才能も隠し持っていたのだと、彼の可能性に確証を得た。


「いいですね! じゃあ次は、クールめにお願いします」


 リクエストを受けたペトロは、微笑みからクールフェイスに表情を変えた。

 さっきとは別人のような変貌ぶりに、その場にいたフィッシャーたちは一様に驚き、ユダも初めて目にするペトロの魅力に吸い込まれ、釘付けになる。

 その後も、決め顔やナチュラルな表情を求められる度に、ペトロは雰囲気を変化させる。見ている周りは、感嘆の声を漏らさずにはいられなかった。


「すごい……」

(今日が初めての広告撮影だっていうのに、こんなに臨機応変にリクエストに応えられるなんて……。一枚皮を脱いだだけで、こんなに変わるのか。さすがに、予想の範疇を超えてるよ)

「なんて人なんだ。きみは」


 ポスター用の写真のあとは、SNSやネットで流すオーバーレイ広告用動画を撮った。セリフはなく、実際に商品を飲んでカメラに視線を送るだけだが、飾っていないのにそれだけでも妙に視線を集めさせた。




 一日かけた撮影は夕方に終わった。終わる頃には立ち会ったスタッフ全員がペトロの魅力に引き込まれ、興奮したフィッシャーも初めてとは思えないペトロの仕事ぶりを大絶賛し、起用してよかったとフライングで喜んだ。

 写真もどれを使うかすぐには決められないので会議で検討するらしく、「わたしとしてはどのパターンも使いたいんですけど!」と悶える彼女に、「使えるのなら、全パターン使って下さい」とユダは言っておいた。

 初の広告撮影は無事に終了した二人は、帰路に着いた。辺りはすっかり夜の帳が下りていて、街にも星が落ちていた。


「ヤバイ。疲れがドッときた……」


 後部座席のペトロは、座席から滑り落ちそうなくらいダラッと力を抜いていた。


「緊張しっぱなしだったもんね」

「今日撮ったやつが広告になって、駅とかに掲示されるんだよな……。全然想像できないや。それに、本当にオレなんかで宣伝効果出るのかな。ド新人だよ?」

「言ったでしょ。確証があるって」

「根拠がない確証だけどな」


 ペトロはそこはまだ信用ならなかった。


「だけど私は、ペトロくんなら宣伝効果抜群だと、心の底から確信してるよ」

「本当に?」

「本当だよ。だって、きみには魅力があるから」


 そんなことを不意に言われてこそばゆいペトロは、表情には出さないが少し照れた。


「魅力って……。具体的にどんな?」

「笑うと花が咲いたようなかわいさがあるし、男っぽい面を全面に出すと色っぽさが出るし、自然な仕草も飾ってなくて素敵だった」

「うっ……」

「全てのきみが、素敵だったよ」

「……っ。やめろよ。恥ずかしい」


 褒めそやされている気分になって、恥ずかしさで隠れたい衝動を我慢したかったペトロは、窓外に視線を移して気を逸らそうとした。


「そんなに恥ずかしがることないのに。褒めてるんだよ?」

「恥ずかしいものは恥ずかしいのっ! ……あ。そう言えばユダ。オレのあの写真、無断で待ち受けにしてるだろ」

「あれ。バレちゃった」


 ユダはほんのりおどけて言った。バレたことに後ろめたさは感じていないようだ。


「あれも恥ずかしいからオレの許可なく使うな。必ず変えろよ。絶対!」

「わかったよ。あとで絶対変える」

「もう……」


 ペトロは窓枠に肘を突く。本当は今すぐ変えてもらって、恥ずかしさから開放されたい。


「なんでオレの写真なんか使うんだよ」

「仕方がないよ。あの一枚に、とてつもなく惹かれてしまったんだから」

「惹かれたって……。確かによく性別間違われるけど、同性だぞ?」

「性別は関係ないよ。私から見て、ペトロくんはとても魅力的に映ってる。どんなに美しい女性よりも、女性のようにキレイに見せている同性よりも。私は、そのままのきみに惹かれている。どうしようもなく」


 女性なら一発で落ちそうな落ち着いたトーンのセリフの連発に、ペトロは不覚にもドキッとしてしまうが、その反応を誤魔化そうと微苦笑した。


「何だよそれ。冗談言うなって」

「冗談じゃないよ」

「え?」

「紛れもない本心だよ」


 その声音は本当に冗談なんかではなさそうに聞こえ、窓外を見ていたペトロは思わずバックミラーに映るユダの顔を見た。

 車は黄色信号で減速し、一時停止した。


「……ねえ。ペトロくん……。もしも、きみのことが好きかもしれないって言ったら、どうする?」

「えっ……」


 バックミラーに映るユダの視線が動き、ペトロの目と交わった。

 いつもの優しい眼差しや、さっき背中を押してくれた時のものとは違う。熱が込められて、胸がジリッと焼かれるような視線だ。

 まるで時が止まったかのように、車が動き出すまでペトロはその視線から目を離すことができなかった。




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