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第2話 挑戦



 携帯電話会社のオフィスに到着した二人は、宣伝担当らと顔を合わせ、そのあとペトロは控え室で衣装に着替えた。

 用意されていたのは、素材違いの生地を縫い合わせたワイシャツだ。それに緑色のネクタイを締め、同系色のジレを羽織った。しかし、ワイシャツが五分袖で、前腕に現れているバンデの名前が丸見えだ。


「なあ、ユダ。袖が短いから名前見えちゃうんだけど。傷だと思われちゃうかな」

「心配ないよ。バンデの名前は、使徒にしか見えないみたいだから」


 それは、ヤコブやシモンで既に実証されていて、仲間以外に指摘されたことは一度もない。


「そうなんだ。それならいいんだけど」


 バンデの二人の腕に刻まれた名前は、以前よりはっきりしていた。ペトロが願望に覆っていた氷を溶かして本心に素直になり、ユダをバンデとしてだけでなく受け入れ、心と心を繋ぐことができたからだ。


「でも。こっちは気付かれそうだな」

「こっちって?」

「お前が付けたやつ」


 少し襟を退かすと、ペトロの首元には赤い斑点がポツリとある。


「撮影あるんだから、目立つところはやめろって言ったじゃん」

「襟で隠れそうだし、大丈夫じゃない? 訊かれたら、虫に刺されたって言えば誤魔化せるよ」

「社長のお前が、そんな緩い意識でいいのかよ。心配になってくるわ」


 出会った当初は頼り甲斐がありそうな年上だという印象だったが、一緒にいる時間を重ねるにつれ、隠されていた部分が見えてきた。そんな些細な印象の変化で気持ちが冷めることはないが、事務所のトップとしての責任感はペトロはちょっと疑っている。


「失礼します。着替え終わりましたか?」


 そこへ、ヘアメイクの女性スタッフ二人がやって来た。部屋に入った途端、ファンキーな髪色のショートカットの彼女が、ペトロを見て目を輝かせる。


「わぁ! 本物のペトロくんだぁ。広告の写真写りもいいけど、生は違って余計にいいですね!」

「こら、はしゃがないの。仕事中よ」

「わかってますよ、先輩。先輩も本当は写真撮りたいけど、我慢してるんですもんね?」

「本人目の前に暴露しなくていいの!」


 ペトロと顔を合わせて五秒で暴露されたお姉様先輩は、居た堪れなさそうに「すみません」と腰を折った。好意的な反応をもらい、ユダの鼻も高くなる。


「よかったら、あとで撮りましょうか?」

「お願いします!」


 ユダが爽やかスマイルでサービスを申し出ると、ファンキー後輩が率先して厚意を受け取った。仕事と割り切っていた先輩も、感情が滲み出てしまっている。


「オレは何も言ってないけど?」

「これも営業だよ。嫌だったら、今日限りにしておくけど」

「ううん。嫌じゃないからいいよ」

「そう言うと思ってた」


 ペトロは鏡の前に座り、ヘアメイクを始めた。年上の女性に挟まれたのは前回が初めてなので、両側からいい香りがしたり肌を触られたりするのはまだ慣れず、肩が上がってしまう。


「ペトロくん、お肌きれいね。スキンケアは何を使ってるの?」

「普通に洗顔だけで、何もしてないです」

「それでこの透明感? 羨ましいわぁ〜」

「髪もサラサラ〜。あたし、この髪になりたい」


 その途中。メイクをしていた先輩の方が、襟から覗く首元の赤い斑点に気付いた。


「あら。この首元の赤いの……」


 ギクッ! と、動揺したペトロの肩が跳ねた。


「あっ。それは、アレです! えっと……」

「それ、虫に刺されたみたいなんです。目立っちゃいますかね?」


 ボロが出る前に、ユダがすかさずフォローした。


「角度によっては見えそうですね。画像処理するから問題ないと思うけど、一応ファンデーションで誤魔化しておきますね」


 危うく、アレの跡だとバレるところだった。ユダのフォローに感謝して、ペトロは胸を撫で下ろした。

 その後スタジオに移動し、撮影が始まろうとしていたが、ペトロは今度は違う動揺で少し表情が強張っていた。


「緊張してる?」

「うん。ちゃんとしたCMだから、ちょっと緊張してる。変な顔になったらどうしよう」

「ペトロだったら、どんな顔してもかわいいよ」

「お前はオレだったら、変顔でも何でもかわいいって言うだろ」

「撮り直しもできるから大丈夫だよ。前もちゃんとできたんだし、自信持って」


 励ますユダは、緊張を解そうとペトロの背中をポンポンと叩いた。

 普通に励まされただけなのに、その声が心許ない気持ちを支え、触れている手から自信を育てる栄養をもらえている気がし、ペトロも自然と緊張が緩まる。


「やっぱ、ユダがいてくれると心強い。不思議と自信が湧いてくる」

「公私ともに、きみの支えになれて嬉しいよ」


 撮影の準備が整い、ペトロは呼ばれた。


「また、素敵なきみを見せて」

「うん」


 ペトロは背筋を伸ばし、本番に向かった。

 あとで映像を合成するので、グリーンバックでの撮影だ。ペトロはCMディレクターの指示で歩く真似をしたり、緑色の台からスマホを持ち上げたり、台詞なしで操作や電話する演技をする。

 ユダはスタジオの隅で見守りながら、その様子の写真を撮っていた。のちのち事務所のSNSに載せるためだが、ほとんどは自分用だ。連写に動画と撮りたいだけ撮り、あとでこっそり眺めるつもりだ。ペトロにバレたら、「実物いるのにまた撮りまくってる」と呆れられるだろう。

 撮影は何度かやり直しはしたが、ペトロも要望に応えて演技を繰り返し、CM撮影は無事終了した。




「ただいまー」

「お帰り」

「お疲れさまでした、ユダ」


 帰宅してそのままリビングルームに行くと、シモンがヨハネと一緒に夕飯の支度をしていた。


「ペトロ。CM撮影どうだった?」

「電波に乗るって思うと、緊張したよ」

「どんな感じで撮ったの?」

「緑色の布の前で動作だけ指示されて、って感じ。あとでAIで作った背景合成するって言ってたけど、どうなるのか全然イメージ湧かなかった」


 一応、ディレクターと一緒にいたプランナーからイメージを伝えられたが、上手く脳内変換できなかったので、本当に言葉の指示通りにやっただけだ。


「完成した映像がどんな感じになるか、楽しみだね」

「私も、テレビで動くペトロを早く観たいよ」

「毎日肉眼で見れてるからいいだろ」


 ユダの隠し撮りも見破っているペトロは、そんなに実物だけじゃ不満か? と半ば呆れ気味だ。

 そこへ、ヤコブがアルバイトから帰って来た。


「おっ。帰って来たな、ペトロ!」

「ヤコブ。おかえ……」

「俺と勝負しやがれ!」


 唐突にヤコブに人差し指を刺されて、困惑しながらちょっとイラッとするペトロ。


「いきなりなんだよ」

「ヤコブ。唐突過ぎるだろ」

「どうしたの急に。もしかして、ペトロに事務所の看板を奪われそうで焦ってる感じ?」


 察しがいいユダに、「その通りです」とヨハネは話を切り出す。


「それで。タイミングよく、あるオファーが来まして」

「ヤコブくんに?」

「いいえ。ヤコブとペトロの二人にです」

「オレとヤコブに?」

「正しくは、ペトロかヤコブに依頼したいそうなんですが……」


 ひとまずオファーの件は区切り、一同はテーブルを囲んで夕飯にした。今晩は、魚料理のロールモプスと、キャベツの塩漬けのザワークラウトだ。

 食事が始まってから、ヨハネは改めてオファーの内容を説明した。


「オファーが来たのは化粧品メーカーで、スキンケア商品の広告です。最初は、『男性も美しく』というコンセプトからペトロを起用することで一致したそうなんですが、それだとコンセプトが伝わりづらいんじゃないかという意見が一部あり、ヤコブの名前も上がったそうで。それで今、ペトロ派とヤコブ派でバチバチなんだそうです」

「確かに。ペトロとヤコブじゃ、消費者への伝わり方が違うだろうね」


 シモンは炭酸飲料を飲みながら、大人目線の意見を言った。

 今日のヘアメイクたちのリアクションの通り、ペトロは誰から見ても女性のような肌をしていて、消費者の「こんな肌になれるかもしれない」という期待感から宣伝効果も抜群だろう。

 一方のヤコブはペトロより肌の色は黒いが、「男性向け」という観点から同性の購買意欲を掻き立て、ペトロとは違う宣伝効果を得られる見込みがありそうだ。


「なので。大変申し上げにくいことですが、事務所の方でどちらか決めてほしい、と」

「丸投げかよ……」


 ペトロは呆れた。先方の上司も相当悩んで、決断できなかったんだろうか。


「それでヤコブくんは、ペトロに勝負を申し込んだと」

「そうだ。立て続けに起用されて調子いいかもしれねぇけど、俺はこのままペトロに看板を渡すつもりはない。俺とお前、どっちが事務所の看板に相応しいか決めようぜ!」


 ヤコブはロールモプスを食べたフォークでペトロを指し、勝負を申し込んだ。


「今回の依頼、ヤコブくんの中ではそういう位置付けになってるんだね」

「勝負しなきゃダメなのか?」


 仕事獲得のチャンスとはいえ、そこまで拘っていないペトロはちょっと面倒臭そうだ。


「拒否したら俺の不戦勝で、事務所の看板も俺だって認めることになるぜ?」

「別にいいけど」

「よしっ! じゃあ勝負決定だな!」

「人の話聞けよ」


 どうしても勝負がしたいヤコブの決定で、一方的に勝負が約束された。


「どうしても勝負したいみたいだね」

「こうなると、なかなか諦めませんからね」

「今回だけでいいから付き合ってよ。ペトロ」


 シモンにお願いされたペトロは、仕方がないと溜め息を漏らす。


「それで? どうやって勝負するんだよ」

「どうやって決めるかは、指示されてない。だから俺が決めさせてもらった……。これだ!」


 ヤコブがスマホで見せたのは、ショート動画投稿アプリでダンスを踊っている動画だ。


「ダンス?」

「今SNSで流行りのこのダンスの動画を上げて、いいねの数が多かった方が勝ちだ!」

「えー。オレ、ダンスとかやったことない……」

「ボクでも踊れる簡単な振り付けだから、大丈夫だよ」

「来週には、事務所のSNSに上げる予定だから。ペトロ、悪いけど付き合ってくれ」


 そう言うヨハネも申し訳なさそうだ。シモンだけはヤコブを応援していて、どうやらこの対決に気合いが入っているのは二人だけのようだ。

 そんなわけで。ペトロとヤコブは、「仕事争奪ダンス動画いいね対決」をすることになった。投票期間は一週間。結果が出るまで二人はライバルだ。




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