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第4話 支えられるプライド



 ペトロとヤコブの「仕事争奪ショート動画いいね対決」が始まってから、一週間後。

 この日の夜、投票結果が出た。どちらが優勢だったかは、最終日のSNS閲覧を封印した二人は知らず、応援団長のユダとシモンからも聞かされていない。

 夕食が終わったリビングルームで、ヨハネから結果が発表される。ヤコブだけは、ものすごく緊張感を醸し出していた。


「それじゃあ、それぞれのいいねの数を発表する……。ペトロは、1万1548いいね。そしてヤコブは、1万997いいねだ」

「なっ……!」


 結果を聞いたヤコブは、「ガーン」の効果音が聞こえそうなほど愕然とする。自身でも投票数を確認したが、ヨハネの発表に間違いはなかった。


「この勝負、ペトロの勝ちだね」


 ペトロの応援団長のユダは、勝利に誇らしげだ。一方のシモンは、ヤコブが勝てず肩を落とす。


「551票差かぁ。惜しかったね、ヤコブ」

「信じらんねぇ。俺があんなダンスに負けるなんて……」

「オレも。あんなダンスで、こんなにいいねもらえるなんて思わなかったよ」


 絶対的自信があったヤコブからしても、絶対的に自信がなかったペトロからしても、その結果は予想外だった。


「でも、ペトロの勝因はあのダンスみたいだぞ。通称“ぶきっちょダンス”」


 ちょっとリズムがズレていて振り付けもぎこちないペトロのダンスは、投稿初日から「かわいい」と好感触だったが、いつしか“ぶきっちょダンス”という呼び名が広まり、観る人が増え、それも票を伸ばした要因だ。

 ペトロは、恥ずかしさで両手で顔を覆う。


「あんなのが世の中に広まったなんて……」

「あれもペトロの魅力だよ。私もかわいいと思ったし」


 慰めるユダは、ペトロの頭をポンポンした。イチャイチャを正面から眼球にぶち込まれたヨハネは、右ストレートを食らったが、ダウンは免れた。


「と……とりあえず、結果は出た。異論はあるか、ヤコブ」

「異論唱えまくりたいところだけど、この勝負を持ち掛けたのは俺だ。悔しいが、負けを認める……!」


 ヤコブは奥歯を噛み締め、悔しさを無理やり飲み込んだ。


「ペトロも、仕事受けるってことでいいか?」

「うん。ヤコブが納得するなら……。だけど。そんな、奥歯噛み締めて血を流しそうな顔するなら、仕事譲ろうか?」

「やめろ! 同情は惨めなだけだ!」


 自分から持ち掛けた勝負に負けた上に、同情されてはプライドが余計に傷付くと歯噛みするヤコブは、本当に口角から血を流しそうだった。


「ペトロ。ヤコブくんもこう言ってることだし、今回の仕事はありがたくもらおう。これで、事務所の看板はきみに決まりだね」


 その聞き捨てならない言葉に、ヤコブは食い付く。


「は!? 空耳か? 俺が、事務所の看板だったんじゃねぇのかよ!?」

「誰もそんなこと言ってないよ、ヤコブくん」


 確かに。稼ぎ頭なのは一応事実だったが、事務所の看板はヤコブの自称だ。その現実が明らかとなるが、ヤコブは「二番手」陥落が受け入れ難い。


「まさかとは思うけど。ユダ、お前何もしてないよな? ペトロを推したいからって、不正してないよな!?」

「不正なんてどうやってするの。これは、ペトロの魅力が世間に浸透し始めてる証拠だよ」


 ユダは嬉しそうにペトロの肩を抱いた。ヨハネに、アッパーカットがクリーンヒットする。


「……お前。だんだん正体現し始めたな」


 事務所で最年長の二十二歳で、落ち着いた雰囲気が自分たちと比べるとだいぶ大人で、振る舞いも紳士的だったのに、ペトロ愛が表出してからは以前と比べると紳士さが薄れたと感じるヤコブ。

 本当に不正はしていないだろうが、口惜しさと嫉妬を味わったヤコブは、ヨハネの辛さが少しわかった気がした。


 その後。部屋に戻ってもヤコブは結果を引き摺っていた。


「あーっ、マジで悔しい! あと三日あれば、絶対逆転できた!」

「本当に僅差だったもんね。ボクも、ヤコブが逆転するんじゃないかって思ってたもん」

「つーか! どっちを起用するか丸投げした企業が悪い!」

「それはすごく同意するよ」

(でも。最初はペトロで決まりそうだったことを考えると、企業の本心がどっちなのかは明らかな気もする……)


 シモンは心の中でそう思うが口には出さないでおき、ヤコブを慰めてあげる。


「ヤコブなら、もっと相性のいい企業との出会いがあるよ。それに、三社と専属契約してるんだよ? ボクはこの前二社目の専属が決まったばかりなのに、ヤコブはもっと早く三つも専属になったの尊敬してるよ」

「でもペトロは、俺よりも早い三社目の契約になる。きっと専属の話もすぐだ。あいつの方がすげぇよ」


 ヤコブは悔しがりながらも、ペトロを認める発言をした。そんな彼が、ペトロをライバル視しているように見えていたシモンは訊いてみる。


「ヤコブさ。最初、ペトロにモデルマウント取ってたよね。その時から、ペトロを意識してたの?」

「意識してたっつーか……。初めての戦闘で防御したって聞いて、こいつやべぇかもってちょっと思っただけだよ。俺なんて、初戦はテンパったのに」

「初めての戦闘なんて、みんなテンパってたじゃん。だけど、ヤコブちゃんと戦えてたよ」

「そーだけど。なんか悔しくて」


 ヤコブはソファーの上で胡座をかき、モヤモヤを眉間に浮かばせる。

 ヤコブたちは一緒にスタートラインを切った者同士で、切磋琢磨する関係だった。だが、後から入って来たペトロは使徒としての“才”のようなものを発揮して、せめて仕事面では負けられないと、ヤコブはライバル意識を芽生えさせていたのだ。


「ヤコブって、結構プライド高いよね」

「そんなこと……。ちょっと張り合いたくなっただけだって」


 シモンの指摘を完全に否定しなかったヤコブは、砂糖で少し甘くした苦味が強めのコーヒーを飲んだ。


「仕事を取られたのが悔しいのって、モデルの仕事が好きだからなの?」

「え? 好きっつーか……」

「やり甲斐を感じてるの? 使徒の役目が終わったらモデルの仕事を続けようとしてるから、今のうちにたくさんやって、使徒じゃないヤコブ個人を知ってもらおうとしてるの?」


 シモンから、恐らくまだ先であろう未来のことを急に訊かれたヤコブは、自分の仕事に対する考え方を少し整理した。


「仕事にやり甲斐はあるよ。だけど、続けようとは思ってない」

「じゃあ。ペトロと張り合うのは、やっぱりプライド?」

「……ま。そうなるのかな」


 ヤコブはさっきはプライドを完全に否定しなかったが、今度は、どこか認めたくなさそうに肯定した。


「それじゃあ、落ち着いたら何やるの? もしかして、音楽とか?」

「……え?」

「だって。あそこにギターあるよね。たまに座って見てたりするじゃん」


 クローゼットの横に、黒いカバーに入れられたギターが立て掛けられている。だが、演奏に必要なアンプもエフェクターもこの部屋にはない。


「……音楽はやらねぇよ。まともに弾けないし」


 ずっと眠ったままのギターに目を遣ったヤコブだったが、すぐに視線を逸らして静かに否定した。


「使徒の役目が終わったら、学校に復学するつもりだよ」

「あ、そっか。そう言えば、継続教育カレッジを休学中なんだっけ。ギター弾いてるところも、見たことないもんね」

「あぁ」

(俺が音楽なんかやったら、きっと怒られる)


 だから、弾くためにギターを触る気はなかった。

 ヤコブは、気持ちが塞ぎ掛けた視線をコーヒーカップに落とす。するとシモンが、ヤコブの頭をポンポンと撫でた。シモンからそんなことをされたのは始めてだったヤコブは、どうしたのかと横を向いた。


「なんだよ」


 シモンは、心配そうな顔で撫でていた。


「だって。なんか傷付いた顔してたから……。音楽のこと、触れちゃダメだった?」

「んなことねぇよ」

「本当に? バンデだから、ヤコブが今どんな心境なのかはなんとなくわかるよ?」


 純粋なブラウンの瞳が、憂いを覗かせて見つめる。その寄り添う気持ちだけでも落ち着くヤコブは、微笑んで頭を撫で返した。


「なんでもねぇって」

「我慢しなくていいよ。ハグする? 慰めてあげるよ?」

(ぐっ……)


 それでも心配なシモンは、腕を広げてヤコブを抱き締める準備を整えた。そのかわいい懸命さが理性に刺さったヤコブは、本能に負けそうになって必死に堪える。

 だが、腕が広げられたことで容易に触れるほっそりボディーの魅惑に、手がワナワナする。


(ぐうぅ……っ)


 ヤコブは、理性と本能の狭間で葛藤する。両手は、欲望のままに動きたいと震える。

 葛藤に苦しまれたヤコブは、シモンの脇の下に手を伸ばした。しかしハグはせず、甘々になった脇をくすぐった。


「こちょこちょこちょ……」

「ちょっと! やめてよヤコブ! ハグしようって言ったのに! ちょ……やめてよ! あははははっ!」


 シモンは脇を閉じ、身体を捩って笑う。ヤコブは一分くらいくすぐり続けた。腹筋が痛くなるほど笑い過ぎたシモンは、涙を浮かべ息を切らした。


「もう〜。いきなりくすぐるの反則だってば〜」

「シモンがかわいいこと言うからだろ。俺の理性を平気で攻撃しやがって」

「だって……。ユダとペトロが堂々とイチャイチャするから、羨ましくて。だからボクも、ヤコブとイチャイチャしたいなって」

(ぐふっ……!)


 上目遣いでおねだりされたヤコブは、また理性のど真ん中を貫かれた。


(今たぶん、俺が甘えるシーンだったよな? いつの間にか、甘える側が甘えられる側になってないか?)

「だからってしないぞ」

「この前は、抱き締めてくれたじゃん」

「あの時はあの時だ。付き合う時、イチャイチャはほどほどにするって約束しただろ」

「ボクの十六歳の誕生日までは、節度を保った交際をする……」

「だから、まだお預けだ」


 ヤコブは、しゅんとしたシモンの頭をポンポンした。


「でも。ありがとな」


 シモンの優しさを思い切り受け取りたい気持ちは山々だが、自分から約束事をした以上は守り切るとヤコブは誓っている。

 本当は、心で抱擁して溢れんばかりの感謝を伝えている。だから、早く言葉だけでない方法で、思いを返せる日が来るのを心待ちにしている。シモンも待ち遠しく思っている日を。




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