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第5話 辿る輪郭



 休日。買い物に出たユダとペトロは、少し遅めの昼食で“博物館島”近くのハンバーガー屋に立ち寄った。

 エレガントなシャンデリアに、ベロア調やチェスターフィールドソファーなどスタイリッシュな椅子で揃えられた、クラシカルな雰囲気の店だ。老若男女に利用され、今日は仲の良いご近所さんたちの井戸端会議にも使われているようだ。

 ユダはオーソドックスなハンバーガーとアイスアメリカーノ、ペトロはチェダーチーズバーガーとジンジャーエールにし、二人ともフライドポテトをセットで頼んだ。

 二人は通りが見える窓際の席に座り、ハンバーガーを頬張る。パティが厚くて見た目も大きく食べ応え十分で、ポテトもサクサクに揚げられている。


「ペトロは、博物館島には行ったことある?」

「たぶん、ないかな。美術品とか絵画見ても、難しくて退屈そうだし」

「確かに。せっかくエンタメを楽しむなら、映画とかの方がいいもんね」

「ユダは?」

「事務所や使徒で忙しくなる前に、一度だけ。その時は、ペルガモン博物館に行ったよ。オリエンタルな古代遺跡が迫力あって、タイムスリップした感覚が味わえたし、石像や彫刻もあってとても見応えがあったなぁ。古代の歴史に興味があったら、オススメだよ」

「歴史はあんまり興味ないけど……。ユダがオススメするなら、ちょっと見てみたいかも」

「じゃあ、今度行こうか」


 確かチケット先に取った方がいいんだよねと、ユダは楽しそうにスマホのカレンダーアプリを見ながら、早くもデート計画を立て始めた。

 これまで話を聞いていると、ユダは一人で州内を回っていて、記憶喪失でも結構行動的なんだなとペトロは感じている。


「あのさ。ユダって博物館行ったり、前はグルーネヴァルトにもドライブで行ったって言ってたじゃん。結構いろんなところ行ってるの?」

「うん。大体、一人でだけどね。住んでたらしいけど全く覚えてないから、探検気分で回ったよ」


 自ら記憶喪失のことに触れても、ユダはやっぱり事も無げだ。それだけ今の自分を受け入れているのだろうが、気にしていないなら、それはそれでペトロは気になってしまう。

 尋ねたところで、語れるエピソードは少ないだろう。けれどやはり、記憶を失ってからのことを知りたくて話を切り出した。


「なぁ、ユダ。嫌じゃなければでいいんだけど、記憶喪失になってからのことを聞きたいんだ」

「聞きたいって言われても……。大して話すことはないよ?」

「でもオレ、ユダのこと全然知らないし。この一年半くらいの記憶しかなくても、そのあいだどんなことをしてたのか、どんなふうに暮らしてたのかを聞きたいんだ」

「そっか……。私だけペトロの過去を知ってるのも、不公平だしね……。じゃあ。退院してからのことを話すよ」


 ユダは、カレンダーアプリを閉じた。

 窓の外を走る黄色いトラムが、架線と線路に沿って真っ直ぐに通過する。家族連れなど多くの人を乗せて、目的地へと連れて行く。

 ペトロは、フライドポテトにハニーマスタードソースを付けて食べながら、耳を傾けた。


「ロシアのサンクトペテルブルクの病院を退院して、私はすぐにこっちに来た。バッグの中に、航空チケットとパスポートが入ってたんだ。でも入院してたから、チケットは取り直した。こっちに着いてからは、身分証に書いてあった住所を頼りに、なんとか自分が住んでた部屋に着いた。でも、生活は問題なかったんだけど、大学のことは困って」

「そういえば、大学に行ってたんだっけ」

「でも行ってたことも覚えてなくて、この状態で行く訳にもいかなかったから、休学届けを出したんだ」

「勉強してたのに、残念だな」

「参考書はあるけど、志した理由がさっぱりだし。この状態で行っても、きっと一から学び直しになるしね」


 と、ユダは休学したことも大して気にしていない。


「使徒の役目が終わった時に記憶が戻っていれば、復学するつもりだよ。使徒の役目を背負うこともその時点でわかってたから、どっちみち休学したかもね」


 ユダが使徒になったタイミングは初耳だったペトロは、ポテトを摘もうとした手をいったん止めた。


「その時点でわかってたって……。ユダはいつ、使徒の自覚が芽生えたんだよ?」

「入院中だよ。夢の中で、誰かに言われたんだ。神様のお告げってやつかな」

「『お前は使徒になりなさい』的な?」

「聞いたのは、『あなたの宿命を果たしなさい』だったかな」

「じゃあ、ユダが最初の使徒だったってこと?」

「そうだったのかもね」


 ユダも、フライドポテトをハニーマスタードソースに付けて摘んだ。


「休学届けを出したあとは、ミッテ区の北の方に引っ越したよ」

「なんで? 求職のため?」

「金銭面は、ひとまず心配なかったよ。通帳の残高見たら、驚くくらいあったから。引っ越しの理由は、人がたくさん集まる市街地中心に悪魔が現れそうだと考えたからだよ」

「なるほど」

(大学生の貯金額、すごく気になる……)


 ペトロは、アルバイトすらしなくてもよかったことが若干引っ掛かるが、話は進められる。


「車の免許取得の勉強を始めたのも同時期で、それまでは社会の情報収集をしたり、自転車でいろんな場所に行ってた。その時に街にカフェが多いのを知って、いろいろ巡ったよ」

「だから、結構カフェの場所知ってるんだ。デリバリーやってるオレ以上に知ってるもんな」

「以上は言い過ぎだよ」


 ユダは謙遜するが、街には密集するほどカフェが多いのに、デートで同じ店に入ったことがないくらい熟知している。「あそこのコーヒーがおいしい」「スイーツにハズレがない」と連れて行ってくれるが、本当においしいカフェしか行ったことがない。ペトロはその理由を、今日初めて知った。


「なぜか、コーヒーの香りに引かれるんだよね。こっちに戻って来てすぐに立ち寄ったのも、カフェだったし」

「そういえば、家での淹れ方も拘ってるよな。豆で買って来てミルで潰してさ。しかも、リビングで飲むやつと部屋で淹れてくれるやつ、味違うよな」

「言うほど拘ってないよ。リビング用は、みんな好みが違うから、苦味と酸味と香りのバランスがいいブレンドにしてるだけだよ」


 リビングルームで食後に飲むコーヒーは後味がすっきりしていて、部屋で淹れるものはコクがあり香りが立っている。いずれも豆を買い、手回しミルで挽いてコーヒーポットでお湯を沸かし、陶器製のドリッパーで淹れている。共同生活が始まる前からの拘りで、ヨハネたちはユダに倣って同じ淹れ方をしている。


「もしかしたら記憶失くす前、バリスタのバイトでもやってたんじゃないの?」

「だとしたら、どこかのお店で声掛けられてもおかしくないと思うけどなぁ……」


 ユダは冷たいアメリカーノコーヒーを啜り、視線を左上に向けた。


「あ。そうそう。ヨハネくんと出会ったのも、引っ越したあとなんだ」

「使徒の活動始める前に?」

「そう。知り合ったのは散歩してる時だったんだけど、同じ集合住宅の隣の部屋に住んでて驚いたよ」

「すごい偶然だな」

「ヨハネくんにもお告げがあったのを聞いてから、一緒にごはん食べたりして仲良くなったんだ。あの頃は、だいぶ助けてもらってたなぁ」


 ヨハネからは、補完できていなかったこまごまとした一般常識を教えてもらっていて、世話になっていた。


「ヤコブとシモンとは、いつ頃知り合ったの?」

「確か、去年の今頃かな。街の人に、少しずつ異変が起き始めてた頃だから」

「でも一年前って、まだ悪魔は現れてなかったよな?」

「その頃は、憑依された悪魔の影響で気持ちが塞ぐ程度の状態だったけど、たまに酷く苦しんでる人がいたから、軽い潜入インフィルトラツィオンで救ってたよ。悪魔は、出て来ないと祓魔エクソルツィエレンできないからね」

「そんな初期段階から、使徒の活動やってたんだ……。ユダはその頃は、潜入インフィルトラツィオンできたのか?」


 尋ねると、ユダは「ううん」と首を横に振った。使徒に選ばれたはずが、軽い深層潜入すらできなかったのだ。


「ヤコブくんとシモンくんは私たちとは別で同じことをやっていて、駆け付けた現場でお互いの存在を知ったんだ。そこから行動をともにするようになって、そのうち街の人にも存在が知られた。それから、いつの間にか『使徒』って呼ばれるようになって、ヒーロー的な認知をされて……」

「『使徒』って、どこかの誰かが勝手に言い出したのか。知らなかった」

「そののちに企業のイメージキャラクターをやり始めて、事務所を立ち上げたって感じかな」


 話を聞き終わったころには、フライドポテトはなくなっていた。気付けばお腹も満足だった。


「ちゃんと聞いてみると、怒濤の一年半だったんだな」

「悪魔との戦いは最初はわからないことだらけで、みんなでテンパってたなぁ……」


 ユダは、ほんの数ヶ月前のことを昔のように思い出し、懐かしんだ。


「ユダでもテンパることあるのか」

「当たり前だよ。記憶はないし使徒にはなるしで、順応するの大変だったんだから」

(それはそうか。オレですらわけわかんなかったんだから、ユダはその倍の苦労をしたんだよな……。あ)


 これまでの話を聞いたペトロは、ふと気付いた。ユダが記憶喪失でも平気でいられて、普通に振る舞えている理由が。


「そっか……。ユダが不安を覗かせたりしないのは、助けてくれるヨハネたちのおかげなんだな。記憶がなくても支えられてるから大丈夫だって、安心してるんだ」

「そうだね。使徒になれてなかったら今もずっと一人で、記憶がない不安を抱えながら過ごしてたかもしれない。だから、こんな私でも付いて来てくれるヨハネくんたちには感謝してるよ」


 使徒のリーダーであり事務所の社長でもあるユダは、自分たちを支えている方なんだとペトロは思っていた。けれど本当は、仲間に支え続けてられいる。だから背後が真っ暗でも、不安を不安と感じることなく立ち続けていられるのだ。


「オレも、ユダを支えられるかな」


 自分も必要だろうかと呟くペトロに、ユダは穏やかに微笑む。


「十分支えてくれてるよ」


 ペトロといることで少し色付いた無地の紙が重ねられ、無色透明だった自分の未来が描かれる気がすると言っていたように、ユダにとってペトロは、確かに意味のある大切な存在だ。

 例え過去がなくても、未来に不安があったとしても、ペトロがいれば何も恐れることはないと、不確かな確信を抱いていた。




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