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第7話 イントロダクション



 MV出演オファーのメールをもらった翌週。ヤコブはヨハネに付き添われて、先方との待ち合わせ場所に向かった。

 指定されたのは、フリードリヒシュトラーセ駅の目の前にあるブランチレストランだ。窓が大きく開放感があり、板張りの床に白いテーブルと椅子で、爽やかな印象の店だ。

 到着すると、既にバンドマンたちがテーブルで待っていた。彼らが今回のオファーをした四人組インディーズバンド、「BY YOURバイユア SIDE BOYSサイドボーイズ」だ。バンドマンらしく、自身の片割れのギターやベースを窓や柱に立て掛けている。

 四人と合流し握手を交わしたが、メンバーの一人がヤコブのことを知っていた。


「久し振り、ヤコブ。覚えてるか?」

「えっと……。アレン?」

「昔と髪色違うから、わからなかっただろ」

「知り合いなのか、ヤコブ?」

「うん。まぁ……。地元でな」


 思いがけない再会に、ヤコブは戸惑っている。どうやら、バンドメンバーとは以前からの知り合いのようだ。

 その辺りの話はいったん後回しにし、マネージャーとして来たヨハネは仕事の話を始めた。


「今回はうちのヤコブに話を頂き、ありがとうございます」

「こちらこそ。ダメ元でメールを送ってみたんですが、話を聞いてくださるとは思いませんでした」

「メンバーは四人なんですか?」

「はい」


 質問を受けた、人当たりの良さそうな印象のリーダーのアレンは、自分の隣から順番にメンバーを紹介する。


「オレがギターボーカルで、セドリックもギター、ジェレミーがベースで、バルナバスがドラムです」

「では、まず。これまでの活動を伺っても?」

「はい、もちろん。───元々のバンドは、イングランドの学校で知り合ったメンバーで結成して、活動していました。一人欠けて一度活動休止になったこともありましたが、セドリックがジェレミーを紹介してくれて、二年前に一年の約束でレーベルと契約して拠点をこっちに移しました。ですが、結果を出せなかったので、今はまたインディーズとして活動してます」

「つまりは、売れなかったということですか」


 ヨハネは、依頼者の経歴を明確にする目的でオブラートに包まず言った。だがアレンたちは、不愉快を顔に出さない。


「自信はあっけどさ、現実は厳しかったな。でも、チャレンジできたのは財産になった」

「声を掛けてもらえたってことは、売れる可能性を持ってるってことだもんな」

「だから故郷には帰らず、ここで活動を続けてるんです」


 厳しい現実を捉え希望も捨てていないメンバーたちは、一言ずつそう言った。ヨハネは彼らに好印象を持った。


「新曲も、コンスタントに出しているんですか?」

「はい。その方が、またレーベルに声を掛けてもらいやすいですから」


 また、アレンが中心となって答え始める。


「MVは、いつもタレントさんを使ったりしてるんですか?」

「いいえ。そんな金もないので、友達に出てもらったり自分たちだけだったりです」

「それじゃあ。どうして今回は、ヤコブにオファーを。知り合いのようですが……」

「ヤコブとは、昔からの知り合いなんです。な?」

「ああ……。うん。そう」


 ヨハネの隣で借りてきた猫のように大人しくしているヤコブは、短くあっさり相槌を打った。いつもと違い表情が少し固く見え、どうしたのだろうとヨハネは思っていた。


「最後に会ってから、もう八年くらい経つよな。ずいぶん大人っぽくなったなぁ」

「照れ臭いからやめろよ、アレン」

「昔はお兄ちゃん子で、よくオレたちの練習にも付いて来てたよな」

「昔話はいいって……」


 懐かしむアレンと違って、ヤコブは昔話を嫌がった。だがその表情は、照れ臭いというよりも、気まずそうな感じだ。あまり視線も合わせようとしない。


「ヤコブのことは、やっぱりSNSで?」

「使徒と悪魔の話は聞いたことあったんですけど、オレたちが住んでるパンコウ区では見たことなかったんで、SNSで写真を見た時は驚きました。あのヤコブが使徒? しかもモデルもやってるじゃん! て。だから、活躍してるのが本当に嬉しくて」


 表情を綻ばせて話すアレンは、弟を溺愛する兄のように心からヤコブの活躍を喜んでいるようだ。


「それじゃあ、縁を感じてオファーをしてくださった感じですか」

「はい。知り合いだからって、不純ですよね」

「そんなことはないですよ。ヤコブも、知り合いと再会できたの嬉しいだろ」

「えっ……。まぁ。そうだな。連絡もしてなかったし。こっちに来たことも言ってなかったし」


 一体どうしてしまったのだろう。浮かべるのはぎこちない笑みで、今日はいつものヤコブらしさが全くない。なので、ヨハネも気になり訊いてしまう。


「どうしたんだよ、ヤコブ。今日はやけに大人しくないか?」

「会うの久し振りだから、緊張してんだよ。しかも、MVなんて初めてだし」

「なんだよ、らしくないな。知り合いから指名されたんだから、もっと喜べよ」

「これでも喜んでるって……。ていうか。曲はもうできてるの?」


 感情の不調を感付かれる前に、ヤコブは自ら話題を逸らした。


「もちろん。今日はデモも持って来たから、ぜひ聴いてほしいんだ」


 アレンはショルダーバッグからノートパソコンを出し、曲の再生準備をする。


「曲名は『pride of aプライドオブア timid ティミドpersonパーソン』。挫折と勇気をテーマに作ったんだ」


 ヤコブとヨハネはノートパソコンに繋げられたイヤホンを着け、流れてくる曲を聴いた。

 バラード調で始まった曲はサビになると疾走感のある曲調になり、歌唱も、語り掛ける歌い方から力強い歌声に変わる。聴いていると、その世界観に引き込まれるようだ。

 四分強の曲が終わりイヤホンを外した二人に、引き締めた表情でアレンは尋ねる。


「どうですか」

「僕は好きです。真っ直ぐな歌詞が心に突き刺さって、勇気をもらえた気がします」

「ヤコブは?」


 再生が終わったパソコン画面を見つめて、ヤコブは呟くように口にする。


「……変わってないな」

「ダメか……」


 ダメ出しをされたと思ったアレンは、ちょっとがっかりした。しかし、そういう意味で言ったのではないヤコブは焦って訂正する。


「あ。いや、ダメじゃなくて。昔のバンドの感じが残ってて、ちょっと懐かしいなって……。俺も、この曲好きだよ」


 そう言ったヤコブの表情が、この席で初めて和らいだ。一度はがっかりしたアレンも、ヤコブの反応に胸を撫で下ろす。


「よかったー。出てほしいヤコブにダメ出しされたらどうしようって、昨日眠れなかったんだよー」

「おかげで明け方まで電話に付き合わされて、こっちまで寝不足だよ」

「ごめん、ジェレミー。お詫びに、夕飯なんでも奢る!」


 仕事の話の途中だというのに、アレンたちはじゃれ合い始めた。メンバー同士の仲もよく、雰囲気がいい。


「この曲のMVに、俺が出るのか」

「引き受けてくれるか?」


 聴かせた新曲の感触もよく、これなら引き受けてくれるだろうとアレンは期待した。

 尋ねられたヤコブは即答せず、数秒沈黙して口を開いた。


「悪いけど。いったん考えていいか」


 保留をするのが意外だったヨハネは、ヤコブを見た。


「いろいろ、忙しいか?」

「いや、そんなことないです。寧ろ、仕事を欲してたくらいですよ。なのに、どうしてだよヤコブ。断る理由なんてないだろ」

「でも。。だから、少し待ってくれないか。アレン」

「大丈夫、待つよ。いい返事を待ってる」




 アレンと再会したヤコブはその後、誰から見てもいつもと違って大人し過ぎるのは明らかだった。せっかく指名で来た仕事を保留にしたと聞いたシモンも、元気がないのが心配で、夕食後からベッドに寝ているヤコブの隣で一緒に寝転がっている。


「ねぇ、ヤコブ。本当に、なんでその場で出演OKしなかったの? 断るつもり?」

「だから、考えたかったんだって。断るつもりもない」


 保留にした理由を尋ねてみるが、背中を向けられたまま曇りがちの声で返答される。


「じゃあ、なんで」

「いろいろあるんだよ」

「いろいろって、何? 嫌なことされて、根に持ってるとか?」

「んなこと……。年離れてたけど、アレンたちはすっげー仲良くしてくれたよ。みんなでいるときは、五人兄弟かってくらいだった」

「それなのに、ちょっと待って状態なんだ?」


 兄弟だと思えるほどに仲がよかった相手で、蟠りも何もないというのなら、ヤコブはなぜこんなに物憂げなのだろう。

 ヤコブが抱える事情に繋がるものを、なんとなく感じて気掛かりなシモンは、起き上がって尋ねる。


「ヤコブの過去にあったことと、関係してる?」


 ヤコブは、にわかに驚いた顔を向ける。


「なんで……」

「この前も言ったでしょ。バンデだから、ヤコブが今どんな心境なのかはなんとなくわかるって」


 シモンは、助けになることがあればなんでも言ってほしいと微笑する。こんなに気持ちが塞いでいるヤコブを見るのは初めてだから、心配で仕方がなかった。

 寝転がっていたヤコブは起き上がり、伏し目がちになって心配してくれているシモンに言う。


「……俺は、音楽に近付いちゃいけないんだ」

「近付いちゃいけない?」

「聴くことはできる。けど、それ以上のことは許されない」


 そう言った瞬間、僅かに表情がしかめられた。厭わしげで、拒絶するような。シモンはその様子から、ヤコブが何か罪悪感を抱いているのだと感じた。


「音楽が、ヤコブを拒んだの?」

「そうじゃない」

「だよね。ヤコブ、音楽聴くの好きだもんね。足でリズムを刻んで、手を動かしたりして……。でも、音楽は誰も拒まないよ」


 ヤコブが目を上げると、シモンは笑い掛けていた。


「拒まない?」

「そう。心と同じで、誰でも触れられる。だから、近付けないって思うのは、きっと気のせいだよ」

「……」


 シモンに後押しされたヤコブは、また俯いて沈黙する。その目には、今まで現れたことのない迷いと、恐れがいた。

 だがヤコブは、シモンの「音楽は誰も拒まない」という言葉を信じてみたかった。


「……明日、MV出るってヨハネに言うわ」

「うん。念願の指名なんだし、断ったらもったいないよ」

「ああ。そうだな」


 ヤコブは、感謝の気持ちでシモンの頭をポンポンと撫でた。この仕事が上手くいくよう、願いも込めて。




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