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第8話 灰雲影



 MV撮影の当日は、朝から空が雨雲に覆われ雨が降りそうな空模様となった。

 ヤコブはヨハネを同伴して、フリードリヒシュトラーセ駅前でアレンたちと再び合流した。撮影は今日一日で撮り切る予定で、ミッテ区周辺でスマホで撮影をする。


「カメラマンがいるんじゃないんだな」

「雇う金もないし、自分たちで撮ってるよ」

「有名企業のイメージキャラクターやってる身としてはさ、不満じゃないか?」

「そんなことないって」

「撮影は素人だから、カッコ良く撮れてなくても、あとで絶対に文句は言わないでくれよ?」

「撮り直しもしないから、そのつもりで」

「了解」


 今日のヤコブは表情がよく、アレンたちとも自然に会話をしている。この仕事を保留にしたときは心配したヨハネも、安心して見守ることにした。

 撮影場所は、アレンたちが事前に目星を付けている。特に細かな演技指導があるわけでもなく、歌詞からイメージする主人公を演じてほしいと言われて撮影が始まった。

 まずは、シュプレー川の畔を気怠げに歩き、橋で立ち止まり、なんとなく表情を作って黄昏れるシーンを撮った。本当に撮り直しはなく、チェックするとすぐに次の場所へ移動した。

 次は高架下で、その次は記念碑の前と、一同は撮影場所を渡り歩く。撮影の最中のアレンは監督役として、撮影係のセドリックにアングルなど自分のイメージを伝えた。

 撮影は滞りなく進み、始終和やかな雰囲気だ。昔馴染みと話すヤコブも自然体だが、撮影開始時と比べると、どこか一歩引いているようにも見えた。


「ヤコブ。調子はどうだ?」


 少し気になったヨハネは、撮影の合間に飲み物を渡すついでに調子を訊いた。


「調子? いいに決まってるだろ」

「そうか? 見てると、なんか堅いというか。他の仕事をするときとは違って、珍しく場の雰囲気を読んでるというか」

「それだと、俺がいつも空気読めてないみたいじゃねぇかよ」


 いつもの調子でヤコブは返したが、次のヨハネの一言に反応する。


「いや、違うか。読んでるんじゃなくて、読もうとしてるのか?」


 そのヨハネの指摘に、ヤコブは一瞬口を閉じた。しかし、動揺を隠すようにすぐに調子を戻す。


「ちゃんと空気は読めてるって、言ってんじゃねぇかよ」

「僕が言ってるのは、そういう意味の空気を読むじゃなくて……」

「なに心配してんだよ。俺が現場で周りに迷惑掛けたことないって、お前もわかってるだろ」


 通りがかりの一般人がヤコブのことに気付くと、手を振ってきた。ヤコブはそれに、いつものように笑顔で振り返す。


「じゃあ、緊張してるわけでもないのか」

「慣れないMV撮影だからちょっとしてるけど、心配されるほどじゃねぇよ。て言うか。俺のバンデじゃないのに、なんでそんなに気に掛けるんだよ」

「バンデじゃないけど、初期から背中を預け合ってる戦友だ。顔色の違いくらいはわかるつもりだよ。それに。お前の本物のバンデから、ちゃんと見ててやってほしいって頼まれてるんだよ」


 学校があって撮影に付き添えないシモンも、無理をしないかとやはり心配のようだ。シモン直々の見張り依頼では、うざくてもそう簡単に解雇はできない。


「それじゃあ、小蝿コバエと同じ扱いはできないな」

「相棒に心配させたくなかったら、自己申告しろよ」

「だから大丈夫だって。なんの問題もねぇよ」


 それでもヤコブはニカッと笑い、いつもと変わりない自分だと態度で見せた。




 一同は次の撮影場所である、フリードリヒスハイン地区の公園に移動した。

 撮影の前に、テイクアウトしたサンドイッチで昼食にした。ヤコブたちは芝生に座り、スマホで撮った動画を見ながら会話する。


「どんな感じで撮れてる?」

「おお! いい感じじゃね?」

「さっすがモデル。撮影には慣れてるよな」

「ちょっとやり慣れてるだけだって」

「でもさ。細かく指示してないのに、表情がそれっぽくできてるのすごいよ。ちゃんと心境を感じ取れる」

「そんなに俺を持ち上げて、これ以上何をやらせる気だよ」


 ヤコブは、アレンたちと和気藹々な雰囲気で会話を楽しんでいる。だが、大丈夫だと言っていたわりには、心から笑えていないようだった。

 ふと、朝より厚くなった雲が覆う空を見上げて、セドリックが言う。


「ていうかさ。雨が降りそうだけど、大丈夫かな」

「それならそれで、いい演出になるよ」


 アレン監督の脳内には、雨のシーンのイメージもあるようだ。

 するとジェレミーが、しみじみと言う。


「そういえば。ぼくらの転機って、いつも雨が降ってるよな」

「確かに。バルナバスが加入してくれた日も、レーベルに声を掛けてもらった日も。それから、セドリックが大事なレコーディングに遅刻した日も」

「アレン。それは転機じゃないだろ!」


 苦い思い出を掘り返されたセドリックは、仕返しにアレンのサンドイッチを大きな口で一口奪った。


「それと。あの日も雨だったな。デリックのことを聞いた日も」

「そういえば……。朝からずっと雨で、一日中降り続いてたっけ」

「うちの国じゃ雨なんて、フィッシュアンドチップスを食べるのと同じくらい当たり前だけど」

「でも。忘れられない雨になった……」


 アレンとジェレミーの二人がしんみりとすると、セドリックとバルナバスは二人の肩や背中を撫でた。


「いろいろあったけど、よく頑張ってるよな。オレたち……。ヤコブもさ、よくやってるよ」

「えっ?」

「デリックのこと、結構気にしてただろ」

「……」


 アレンから話を振られたヤコブは、その話題から逃げるように目を伏せた。


「オレ、ヤコブのこれからが心配だったんだ。でも、活躍してる姿を見て安心したよ。人の役に立てるような男になってて、兄としてはめちゃくちゃ嬉しいよ」


 俯くヤコブは、厭わしげな表情をする。


「……アレンは俺の兄貴じゃないだろ」

「何言ってるんだよ。あの日、お前に言っただろ。これからは、オレたちを兄貴だと思ってくれって」

「確かにそう言ってくれたけど。俺は……」

(俺の本当の兄貴は……)


 天候のせいもあって想起された過去は、それを知るヤコブやアレンの表情を曇らせた。中でもヤコブは、それから逃げたがっているようにヨハネには見えた。


「……みんなメシ食ったか? 食ったな? よしっ! それじゃあ張り切って、撮影再開しようぜ!」


 場の空気が重くなったのを察したセドリックが、わざと明るく言って場の空気を変えた。気鬱なヤコブも、遅れて重くなった腰を上げた。


 そのまま芝生の広場でワンカット撮ると、池まで移動した。公園で一番大きな池は歩道が整備され、ベンチもあって散歩の合間の休憩にもちょうどいい場所だ。


「じゃあ次は、このベンチに座って思い悩む姿を撮るぞ。で。ヤコブには、これを持ってもらいたい」


 アレンは、私物のテレキャスタータイプのギターをヤコブに差し出した。


「ギター……」

「これを持って、夢を見続けるのか諦めるのか悩む姿を撮りたい」

「……持たなきゃダメか?」

「何も持たない臆病な主人公が、勇気を振り絞る大事な場面なんだ」


 ヤコブはまた厭わしげな表情を滲ませ、手を伸ばすのをためらう。自分には触れる資格はないという、無言の主張のように。

 その時。音楽は誰も拒まないと言われたことを思い出す。シモンがそう言ったから、ヤコブはこの仕事を受ける決意ができた。一歩歩み寄ってみようと、勇気を持てた。

 シモンの言葉に背中を押されるように、ヤコブはためらいながらギターを受け取った。


「それじゃあ、撮ってみよう」


 ギターを持ったヤコブがベンチに座ると、スマホでの録画が始まる。


「…………」


 だが、次第に顔色が悪くなってしかめっ面になり、ギターを拒みたくなってくる。


「……アレン。やっぱり……」


 このシーンは撮れないと、言おうとした時だった。ヤコブとヨハネが悪魔出現の気配を感じるのと同時に、池のすぐ隣の噴水のある方から騒がしい声が聞こえて来た。


「ヤコブ!」

「わかってる」

「どうかしたのか?」

「もうすぐ悪魔が現れる。アレンたちはここから離れてくれ」

「悪魔が!? わ……わかった!」


 二人は周囲にいた他の一般人にも避難を促し、噴水の方へ駆けて行った。




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