「お前がデリックを殺したんだ」
情味を持たない両親に、淀みない叱責の刃を突き立てられたヤコブは、罪の重さで立ち上がれない。それでもなお、両親は責任を追及し続ける。
「お前は昔からそうだった。自分の思い通りにいかないとすぐに不機嫌になって、いつも周りを困らせた。まさか、兄弟を殺すような子になるとは思ってもみなかった」
「どうして、癇癪持ちなんかになったの。大きくなれば大人しくなってくれるものだと思っていたのに、いつまで経っても我儘で扱いづらいわ。おかげで心労ばかりよ」
「親父……。母さん……」
振り返って見た両親の顔は、絵の具で塗り潰されたように真っ黒だ。しかしヤコブの目には、我が子に絶望し見放した、冷然とした眼差しを向けているのが見えていた。
「お前がそんな子供だから、デリックは死んだ。そして夢まで奪った」
「デリックは悪いことなんて一つもしない、とてもいい子だったのに。弟のあなたはどうしてそうなの? 私は、家族を殺す子を育てた覚えはないわ。あなたは本当は、わたしたちの子供じゃないんじゃないの?」
「違うよ。俺は、兄貴を殺そうなんて……」
刃となった言葉の一つ一つが、大きくなった身体に丁寧に突き刺さっても、ヤコブは理解を求めたくて弁明をしようとした。しかし。
「しただろ」
背後から声がして振り返ると、両親と同様に顔のないデリックが立っていた。
「兄貴……!」
「お前、僕に言ったじゃないか。『兄貴なんか嫌いだ。もう帰って来るな。一生帰って来るな。この世から消えろ』って。あの言葉は、僕を深く傷付けた」
「あ……あれは違う! 本音じゃない!」
「きっと、僕のギターを褒めてくれたのも嘘なんだな。演奏も、歌も、プロになれるって言ってくれた言葉は全て」
「そんなことない! 俺は本当にそう思ったよ!」
最愛だった兄の誤解を解きたくて、ヤコブは必死の形相で弁明しようとする。だが、顔のないデリックは、ヤコブの言葉に聞く耳を持っていなかった。
「思い返してみれば、癇癪持ちのお前の言葉が本当か嘘かなんてわからなかったな。突然不機嫌になった時と普段じゃ言うことが全くの正反対で、本音がどっちかわからない。だから、僕たち家族はお前に翻弄されっぱなしで、疲れるんだ。僕も、一日も早くお前から解放されたかった」
「俺……そんなに迷惑を掛けてたのか?」
「お前の相手なんて、面倒臭かった」
その顔には、もちろん口もない。けれど、ヤコブにははっきりと動く口が見え、その口から唾でも吐き捨てるように「面倒臭かった」と言葉が出た。
優しかったデリックから初めてそんなことを言われ、ヤコブはショックで言葉を失う。
弟が厭わしいデリックは、棘のある言葉を吐き捨て続ける。
「面倒臭かった。面倒で面倒で仕方がなかった。共働きだったから、仕方なく勉強見てやったりしてたけど、放課後の時間を奪われて不満は溜まる一方だった。お前がミドルスクールに上がれば、少しは自分の時間を作れると思ったのに、僕がバンドをやり始めたと聞いたら練習に付いて来るようになって。煩わしくて仕方がなかった」
「でも。そんな素振り……」
「わかれよ」
デリックは声音と表情に、心底からの不快感を露にする。
「仲間の前で、そんな振る舞いしたくないだろ。だけどお前は、僕の心の内なんて知りもしないで、自分も仲間みたいな顔して図々しく入って来て。それだけに留まらず、ギターを教えろなんて言ってきた。はあ? マジでウザいし面倒臭い。もういい加減にしてくれよ。いつまでもいつまでも、金魚の糞みたいに付いて来やがって」
その口調は、もうデリックの言葉遣いではなかった。けれど、ショックを受けるヤコブは、優しかった兄の面影が次第に薄く遠くなっていることにも、全く気付かない。今の彼にとって目の前に存在するものは、罪悪感の輪郭をはっきりさせる現実だった。
「癇癪持ちで我儘。しかも、生意気にプライドなんかぶら下げやがって。お前が持ってるのは、無駄なプライドなんだよ。お前はこれまで、どれだけの人に迷惑を掛けた。たった一人に振り回されて、僕の時間がどれだけ無駄に費やされた。どうせ今も、その性格の犠牲を生んでるんだろ。そして同じ過ちを繰り返すんだろ。僕の夢を奪ったように、誰かの大切なものを奪うんだろ。その命さえ躊躇なく奪うんだろ」
「そんなことはしてない! 俺はもう昔の俺とは違う!」
目の前の者が偽りの人格を持った幻覚だとわからないヤコブは、過去の延長線だと錯覚して亀裂を修正しようと必死になる。だがデリックは、なおも咎める。
「じゃあ。僕はなんで電車に乗り遅れた? オーディションに行けなかった? 夢を追い掛けていただけなのに、なんで死んだんだ? 全部お前のせいじゃないか。お前以外にいないだろ」
「それは……」
「なんで、お前なんかが僕の弟なんだ。もっとまともな弟がほしかったよ。両親の言うことを聞いて、利口で、勉強ができる、自慢できる弟がよかった」
デリックは面詰の終わりに、実の弟であるヤコブの存在を否定した。
「本当にそう思うわ。私の家族だなんて認めたくないわ」
「お前には心の底から失望した」
「…………」
ヤコブは愕然とし、またも言葉を失った。自分の記憶の中にいたデリックが、消えていくようだった。
いつも笑顔で、文句を言わずに勉強を教えてくれて、遊び相手になってくれて、喜んでギターを教えてくれて、上達すれば頭を撫でて褒めてくれた優しい兄。その顔が、全て黒く塗り潰されていった。
絶望する傍らに、バルトロマイが音もなく現れた。紫色の双眸で睨み付け、静かにヤコブを問罪する。
「罪深い。弁明も許されぬ。お前の選択が、家族の運命を変えた。其れは修正できぬ事実であり、此れから先も偽れぬお前の罪だ」
「違う……。俺は、そんなつもりじゃ……」
「弁明は許されぬと言った。全ての罪責がお前にある。誰もお前を赦さぬ。お前の行動が、言葉が、一つの命を死へと導いた。其れが家族であるのは、謝罪を重ねても白にはできぬ大罪だ。身内とて、心から赦しは与えぬ。現実に、お前を責めただろう。お前の実兄が死んだのは、お前の
そのバルトロマイの言葉で、ヤコブの記憶から当時の両親の姿が甦る。
「どうしてデリックが……。あの子が……ヤコブが我儘を言わなかったら……。デリックを引き止めなかったら……。デリック……。デリック……!」
デリック葬送から帰って来た母親は、父親に抱き寄せられて泣き崩れていた。ヤコブはそれを、リビングのドアの隙間から見ていた。罪の証のその光景は、ずっと脳裏に焼き付いている。
(母さんは、俺を責めて泣き崩れていた。そのあと、俺には冷たくなった……。時間が経って笑顔が増えて、気持ちの整理はついたんだと思ったけど、そんなわけがない。母さんの涙は、俺が原因だ。みんなを悲しませたのは俺だ。大好きだった兄貴を酷く傷付けて、殺したのも……)
自分の振る舞いが、家族を不幸にした。日常を切り裂き、悲痛を招いた。その事実をもう一度胸に深く刻めとばかりに突き付けられ、赦されたかったヤコブは気力を失う。
「
辛うじてヤコブを支えていた黒い地面が均衡を失い、不安定な泥と化す。
家族に存在を否定され、居場所がなくなった。この深みの底に自分に相応しい居場所があるんじゃないかと、ヤコブからは立ち上がる思考すら消えていた。