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第16話 往復切符(とりひき)



 ユダとペトロは、傀儡亡霊たちに取り付かれて身動きできなくなり、二人を助けようとしたシモンとヨハネも妨げられた。

「@アµ……&¿ァ……」五〜六体の亡霊にしがみ付かれるペトロは、絶えず聞こえるすき間風のような掠れた呻き声にいたずらに刺激され、顔色が少し悪くなってくる。


(気持ち悪い。取り付かれてるだけなのに、嫌な記憶を掻き回される……)


 特にダメージを受けていないユダは、辛そうに顔をしかめるペトロを案じ眉をひそめる。


(ペトロが精神干渉を受けてる。早く抜け出さないと……)


 状況に倦ねる使徒のざまが愉快なビフロンスは、針のように目を細め「フフフ」と含み笑いを溢す。


「身動きが取れなくて、お困りのようですね。棺の中の仲間の御方も、どうなっているのでしょうか。まま皆様御一緒に……なんて事に成り兼ねませんね」


 心のゆとりが丸わかりのビフロンスの笑いが、ユダの癇に障った。それまで、できるだけ苦しませずに亡霊を浄化しようと心掛けていたが、この状況から脱出するために決断する。


(大丈夫だと信じて、やってみるしかない)

「ペトロ! 手を出して!」


 ユダは、取り付く傀儡亡霊の隙間からペトロに腕を伸ばした。ペトロも何とか腕を出し、ユダはその手を掴む。


「ちょっと荒っぽくなるけど、我慢して」

「え?」

深き御使いの抱擁ウムアームン・エンゲル・ティーフ!」


 ユダは威力を増大させ、規模が大きくなった光の爆発は周りの個体を巻き込み、纏わり付く傀儡亡霊をまとめて浄化した。それと同時にペトロと一緒に跳躍して群れの中から脱出し、ビフロンスに再接近を試みようとする。

 だが、またも傀儡亡霊が行く手を阻む。


祝福の光雨リヒトリーゲン・ジーゲン!」


 二人は同時に光の弾丸で蹴散らし、ビフロンスの目の前に着地した。ビフロンスはさすがに細めていた目を開いた。しかし、驚いた表情は一瞬でいやらしい笑みに戻る。


「いやいや。驚いてしまいました。よもや、容赦なく消し去って仕舞われるとは」

「オレも、まさかやるとは思わなかった」

「一気に蹴散らさないと、どうにもならなそうだったから。私たちへのダメージはなかったけど、おかげで良心がチクチク痛むから、一度限りにしておきたいね」

「其の御判断、敵ながら称賛したくなります」

「お礼は言わないでおくよ」


 ユダとペトロはそれぞれのハーツヴンデを手にし、ビフロンスに立ち向かった。

 二人の後方のシモンとヨハネは、ハーツヴンデと使徒の力で着実に傀儡亡霊を浄化していく。

 ところが。光の矢を放っていたシモンは、ふと右腕に違和感を感じた。


(ヤコブ?)

「どうしたんだ、シモン。何か感じるのか」

「胸騒ぎがする。ヤコブが棺の中で追い込まれてるんだ」

「状況は、どの程度わかるんだ」

「全然わからない。ヤコブが苦しんでることしか」


 シモンは憂患し、戦闘に集中しきれなくなる。その脳裏には、MV撮影の途中で帰ってしまった時のヤコブが甦る。さっきもネガティブなことを言っていたので、トラウマに引き摺られバルトロマイの術中に嵌ってしまわないかと、気が気でない。


(最近のヤコブは、いつものヤコブじゃない。今トラウマを見せられたら、ヤコブがヤコブじゃなくなっちゃう)


 自分が棺の中で再現されたトラウマで絶望に陥り、拒絶しようとしたことを思い出し、ヤコブも同じ選択をしてしまうと恐れる。

 トラウマをそのまま十字架として背負ってしまえば、使徒を続けられなくなる。それは、自分の意志を翻意する決断であり、のちにトラウマに代わったものに苦しめられることになる。

 そんな苦衷を滲ませるシモンを見て、ヨハネは言う。


「シモン。ヤコブの側に行け!」

「えっ。でも、声が届く訳じゃ……」

「届く! きっとバンデなら届くんだ。ペトロの時もそうだった。シモンだって、棺の中でヤコブの存在を近くに感じたんだろ?」


 そう言われ、ヤコブの存在を感じたことで、気持ちを持ち堪えられたことをシモンは思い出す。その微かな希望で救われたことを。


「僕も今のヤコブは心配だ。だから、お前の声で引き留めてくれ! こっちは心配するな!」

「わかった。やってみる。ありがとう、ヨハネ!」


 シモンは、ヤコブが囚われた沼の棺に近付いた。その姿をビフロンスも確認し、ユダとペトロもその行動の意味を察する。


「無駄な事をなさるようですね。仲間の御方を心配されるのは一応理解しますが、ただの時間の浪費です」

「時間の浪費? 甘く見ないでもらいたいね」

「そういうことは、見てから言ってくれよ!」


 ビフロンスはまた懐から宝石を出そうとしたが、ユダとペトロは邪魔をさせまいと大鎌〈悔責バイヒテ〉と剣〈誓志アイド〉を振るう。

 シモンはビフロンスの後方、コンツェルトハウスとドイツ大聖堂のあいだに展開された、黒い沼の棺の傍らに膝を突く。触ると沼は鉄のように冷たくて硬く、叩いてもびくともしない。


(ボクもこんなふうに、外と遮断された空間に閉じ込められてたんだ。ヤコブも今、この中で一人で戦ってる。ボクがここにいることを伝えなきゃ!)


 シモンは右腕を掴み、棺に向かって叫ぶ。


「ヤコブ! ボクはここにいるよ! ヤコブの側にいるよ!」

「シモンくん!」


 ユダの声で振り返ると、残党の傀儡亡霊が迫っていた。シモンは再び〈恐怯フルヒト〉を具現化させ、亡霊たちを浄化しながらヤコブに叫び続ける。


「ヤコブはプライド高くて弱いとこ見せてくれないけど、辛いことを一人で抱えないで! かっこ悪いとか思わないから! ボクの知らないヤコブがいたとしても、ボクは側を離れたりしないから!」

「シモン、こっちは任せろ!」


 ペトロは、祝福の光雨リヒトリーゲン・ジーゲンで援護する。

 シモンは仲間たちの支えに感謝し、無理だとわかりながら〈恐怯フルヒト〉の光の矢で棺の破壊を試み始めた。


「ボクは、どんなヤコブも否定しない! だからヤコブも、自分を嫌いにならないで!」


 しかし、やはり放った矢は弾かれる。それでもシモンは諦めずに、思いを乗せて何度も矢を射った。




 棺の中のヤコブは、黒い沼に飲み込まれかけていた。

 ヤコブを肯定する者は、この空間には誰一人として存在しない。現れる者は皆彼を否定し、拒絶し、排除を望む。虫すらもそう望んでいるとまで、思い込んでしまう。


「お前は使徒に非ず。命を奪った者に、何を救えよう」


 この空間にある肯定は、バルトロマイの言葉のみ。ヤコブはその言葉の全てを水のように飲み込み、自身に浸透させていく。


「お前には何も救えぬ」


 虚ろな目をし、堕ちてもいいと自分を赦しかけた。

 そんな時だった。


 ────ボクの声を聞いて! ヤコブ!


「……!」


 シモンの声が、微かに聞こえた気がした。


(……シモン?)


 虚ろだった目が、天使の梯子を見つけたように小さな光を灯し、顔が上げられる。

 ヤコブは埋まっていた右手を沼から抜き、左腕に触れた。


(そうだ……。この先は、俺が行くべき場所じゃない。まだ、その時じゃないんだ……)

「……ごめん。兄貴……。俺は、もっと兄貴から罰を受けなきゃいけない。だけど、もう少し待ってくれ」


 ヤコブは、独り言のように言いながら立ち上がった。だがその顔には、まだ生きるための全ては戻っていない。


「逃れるつもりか。頑愚め。逃げられる訳が無かろう!」


 バルトロマイは鎖鎌〈蛇蝎厭霧ハス・シュトライヒュング〉を自身の身体から作り出し、ヤコブ目掛けて投げた。ヤコブは〈悔謝ラウエ〉を具現化させ、罪から逃がさんとする刃の鎖を絡ませた。


「逃げはしない。逃げられないことはわかってる。だけど、猶予をくれ」

「猶予だと?」

「約束する。俺は逃げずに、必ずまたへ戻って来る。その時に全て受け止める。使徒を続けられなくなるとしても、覚悟を決める」


 その言葉通り、ヤコブは覚悟を胸に抱く表情をしていた。死徒がそんな言葉を真に受け、逃れるのを許すはずがない。しかし、その面持ちから見定めたバルトロマイは、鎖鎌を〈悔謝ラウエ〉から解いた。


「交渉をされたのは初めてだ。巫山戯ふざけた交渉だが、良いだろう。使徒で居られる残り僅かな時間を、噛み締めるが良い。だが。怖れを成して逃げるのは赦さん。我は、お前を堕とすまで追い掛けるぞ」

「ああ。だから、俺を見張っててくれ」


 ヤコブは、〈悔謝ラウエ〉を真っ暗な空間に向かって振るった。


晦冥たる白兎赤烏ムーティヒ・照らす剛勇ブリヒトニヒト!」




 シモンが諦めずに矢を放ち続けていた時、棺の表面に亀裂が入り、ガラスのように飛散した。そして棺の消滅とともに、ヤコブが帰還した。


「ヤコブ!」

「……よお」


 精神的に疲弊したヤコブは、ぎこちない笑みでひとまず無事に戻ったことをシモンに伝えた。

 棺を解放したバルトロマイも影の中から現れ、ビフロンスに命じる。


「ビフロンス。一時撤退する」

「おや。主殿、宜しいのですか?」

「構わん。口約を交わした」

「口約とは珍しいですね。畏まりました。れが、主殿の御意志ならば」


 ビフロンスは命令に忠実に従い、回収された。

 バルトロマイは去り際にヤコブを一瞥し、影の中に消えていった。影に覆われた街も、喧騒を取り戻す。


「無事か、ヤコブ!?」


 ペトロたちが案じて駆け寄って来た。


「ああ。ひとまずな。お前らも、お疲れ」

「こっちもこっちで、始終嫌な気分だったよ」

「それはいいとして。ヤコブくん。口約って、どういうこと? 棺の中でやつと何があったの」

「もしかして。不利な約束を交わされたとか?」


 ユダとペトロは、トラウマの幻覚世界という圧倒的不利な状況下で、危険な契約でも交わされたのかと危惧して訊いた。


「俺から交渉したんだよ」

「交渉?」

「大したことじゃねぇよ。再戦を約束するから、今日は見逃してくれって頼んだだけだ」


 何でもないただの約束だと言うヤコブ。だがその表情は、次が自身の最後の戦いになることを予知しているかのような、僅かな恐れが覗く覚悟の表情だった。


「帰ろうぜ。俺はバイト中だったから、着替えついでに体調不良で早退するって言って来るわ」

「ボクも付いてくよ」


 アルバイト先のレストランに戻るヤコブに、シモンは付き添って行った。ヤコブの足取りはふらつくこともなく、意外としっかりしている。


「……ヤコブのやつ、案外大丈夫そうか?」

「いや。トラウマを体験させられたんだから、精神的にきてるはずだ」

「それじゃあ、無理して……」


 棺の中で極限状態に陥ったあとでも、仲間の前で気丈に振る舞うとは、ヤコブらしくはある。


「それにしても。再戦を約束する代わりに解放してくれるなんて、死徒のくせに理性的だね」

「だけど。そのぶん、再戦が怖い気がする」


 ペトロは、懸念の表情を浮かべた。

 棺の中で何が起こり、ヤコブの気持ちにどんな作用をもたらしたのか。それは当人にしか知り得ないことだが、なぜヤコブが再戦の約束なんかをしたのかが気に掛かった。




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