この日ヤコブは、アレンと待ち合わせをした。
心の底から償いを望み罪悪感を軽くしたいというのなら、まずは誰かに告白してみたらとシモンにアドバイスされ、連絡を取ったのだ。
MV出演を急遽キャンセルしたことを謝罪しなければならないというのもあるが、兄のデリックがなぜ死ぬことになってしまったのかを伝えることにしたのだ。
ヤコブは今、緊張の面持ちで再会の場となったブランチレストランで一人で待っている。空は薄曇りなのに、白いテーブルが酷く眩しい。
「ヤコブ」
口に付けていない紅茶のグラスに水滴が浮いてきた頃、アレンはいつも通りの好青年ぶりで現れた。
アレンは、注文したコールドプレスジュースを持ってヤコブの正面に座った。
「連絡してくれてありがと。また会えなくなるのかと思った」
「あのまま、また疎遠になるのも申し訳ないと思ってさ……。急に呼び出して、迷惑だったか?」
「問題ないよ。バイトのシフトは変わってもらったけど」
「それはごめん」
申し訳なく思い謝ると、冗談で言ったアレンは「気にするなよ」と一笑したが、ヤコブは上手くかわせない。
「それで、どうした? 話って、電話じゃ話せないこと?」
「うん……。一つは。撮影の途中で帰ったことと、キャンセルしたことを謝りたくて」
「あー、それか。マネージャーさんから、体調不良だって聞いたけど。悪魔と戦って怪我した? 大丈夫なのか?」
「うん。まぁ……。でも、急にごめん」
「気にするなよ。ヤコブは僕たちの代わりに戦ってくれてるんだから、それを差し置いてMV優先しろなんて言わないよ」
「ありがとう」
ヤコブが怪我で出演をキャンセルしたと思っているアレンは、事情を理解して寛容に受け止めてくれていた。そう思っているならと、ヤコブは正確な事情を話すのを省略した。
「それじゃあ。撮影再開できるのか?」
身体は大丈夫そうな様子を見て、アレンは期待を込めて尋ねた。
「……それは、もう少し待ってくれないか。今ちょっと、片付けたいことがあるから」
「大事な用事? あ。モデルの仕事か。いいよ別に。それが終わったら、再開できそう?」
「うん。たぶん……」
アレンの眼差しは、ヤコブがMVに出てくれると信じ切っていた。曖昧な約束しかできないことが、ヤコブはとても胸が痛む。
「なんだ。そのくらいなら電話でよかったのに」
「本当に話したいことは、ここからなんだ」
ヤコブは切り出す前に、氷が溶け出した紅茶を飲んで乾いた口を潤した。
自分の罪を告白するのが怖くて、出そうとする言葉を全て飲み込み、胸の奥に鍵を掛けて封印してしまいたくなる。けれど、アレンには明かさなければならない。兄デリックと信頼関係を結んでいた彼には、知らせておくべきだ。
俯くヤコブは、アレンの顔を見られないまま、恐る恐る口を開く。
「……アレンに、謝らなきゃならないことがあるんだ」
「MVの件の他に?」
「……昔……カレッジの頃に、オーディションあっただろ」
「うん」
「あの、二次オーディションをアレンたちが受けられなくなったのは……俺のせいなんだ」
「ヤコブの……? でも。だって、あれは……」
「兄貴は……駅の爆発テロの犠牲になった……。でも、そうなったのは……俺が原因なんだ」
突然の告白に、アレンは眉根を寄せた。
「……どういうことだよ」
ヤコブは、あの日あったことの全てを包み隠さず話した。
大事なオーディションだとわかっていながら、我儘を言ってわざと足止めをしたこと。そのせいで、デリックが電車に乗り遅れたこと。その結果、デリックが爆発テロの犠牲になったことを。
「…………」
大事な仲間を喪った真実を聞いたアレンは、言葉を失った。
「俺のせいなんだ。兄貴が死んだのも、オーディションを受けられなくなったのも、全部。俺が、夢を奪ったんだ……」
「……マジかよ……」
驚愕の事実を知り、なんとか出た一言を深い溜め息とともに吐き出し、アレンは頭を抱える。
ヤコブは、テーブルに額が付くくらい頭を下げた。
「ごめん! 本当にごめん! 子供の我儘だからって赦されることじゃないのは、わかってる。俺の愚かな行動が、夢も命も奪ったことは償いきれない。だから、俺に報復してくれてもいい。気が済むまで、面罵するなり暴力を振るうなりしてくれ。身体も名誉も傷付いて構わない。俺は、それ以上のことをアレンたちにしたから!」
アレンは、頭を抱えたまま沈黙を続けた。事実を受け止めきれず、整理をしているのか。それとも、ヤコブに対する怒りや恨みが沸々と込み上げてきているのか。
この沈黙の時間が、ヤコブはとても恐ろしかった。アレンが口を開けた瞬間、どんな言葉に滅多刺しにされるのかと。
自業自得だが、怖くて頭を上げられない。アレンの顔を見ないまま、姿をくらましてしまいたかった。
そうして、沈黙の状態が二分ほど続いた時。アレンの口が開いた。
「そうか……。そうだったのか……。あの言葉は、そういう意味だったのか」
口にしたのは、何かを理解したような独り言だった。
全く予想もしていなかった言葉で、ヤコブは恐る恐る顔を上げた。アレンの表情に戸惑いは窺えるものの、怒りや恨みの感情は出ていなかった。
ヤコブと目を合わせたアレンは、正直な思いを言う。
「まず、これは言っとく……。ヤコブ。僕はお前を恨んでない」
「えっ……」
「今の話を聞いて、信じたくなかったのは本当だよ。でも、ヤコブも後ろめたく思ってたんだろ。事件のあとから僕たちを避けてたし、連絡もしなかったんじゃなくて、断ち切ろうとしたんじゃないのか?」
「……」
「お前なりに、たくさん反省したんだろ?」
「反省したって、俺がしたことは……」
「だけど、ずっと抱えてきたんだよな」
「ダメだアレン。そんな言葉を掛けて俺に同情するな」
自分は赦されてはならないと、ヤコブはアレンの同情を拒否する。
「正直、複雑だよ。いろいろ思うことはある。でもヤコブの過ちは、デリックの死とは何の因果関係もない」
「そんなことはない。全部俺のせいだ。兄貴もきっと、俺を恨みながら……」
ヤコブがアレンの同情をここまで拒むのは、喪ったものの大きさと重さが普通ではないことをわかっているからだ。
当時のヤコブとデリックの兄弟仲を知るアレンは、少なからずその胸中を推し量ることができる。だから、抱える罪悪感を少しでも軽くしてやろうとした。
「デリックがどう思っているかはわからない。だけど、少なくとも僕は、ヤコブを恨んでない。あの時オーディションを受けられなかったことは、僕たちの運命だったんだ。神様が、まだデビューは早いって言ったんだよ。お前が気にするほど重大なことじゃない。実際、僕たちはメジャーデビューを果たすことができた。結果を出せなくて一年しかメジャーの舞台は踏めなかったけど、メジャーでの再デビューを目指してる。僕たちの夢がなくなったわけじゃない」
「でもアレンは、兄貴とデビューしたかったんじゃないのか」
そう言われたアレンは、僅かに動揺した。
バンドを組んだ当時、デリックの演奏と歌声に惚れてデビューを目指したところはあり、眩しいステージの上でデリックの横で演奏するのがアレンの夢だった。
その夢が絶たれた時の感情は、過去に置いて来たはずだった。
「……それを言ったところで、どうしようもないよ」
アレンは、ふいに甦ってきた悔しさを堪えて言った。表情と言葉に隠しきれない無念を、ヤコブは感じ取った。
「……とにかく。もうそんなに罪悪感を引き摺らなくてもいい。前向きにならなきゃダメだ。お前を責める人はいない。だからヤコブも、そろそろ自分を赦してやれよ」
アレンは、未練がましく甦った無念を押し込めるように言った。だが、アレンの無念を知ってしまったヤコブは、自分を赦すことなどできない。
「あ。そうだ。ヤコブさ、きっと僕たちの曲、インディーズの初期から聴いたことないだろ」
「え? ……うん」
「だと思った。CD全部持って来ようかと思ったんだけど、突き返されたら嫌だなと思って、とりあえず一番最初のやつだけ持って来た」
アレンは、ショルダーバッグの中から一枚のCDを出した。ジャケット写真は、青空を背景にメンバーの指で象った星だ。
「五曲入ったミニアルバム的なやつなんだけど、このうち三曲をデリックが作詞してる」
「兄貴が……」
デリックが作詞をしていたのは、ヤコブは初耳だった。
「中でも聴いてほしいのが、一番最後の『
アレンはこのあと、メンバーと練習があるようだ。もう一つ話したいことがあったが、今度時間が作れた時に話すと言い、CDを置いて帰って行った。
ヤコブは、白いテーブルに置かれた土産に触れるのは気が進まなかったが、置いて帰っても持ち主不明の忘れ物として処分されてしまいそうだと思い、持ち帰った。