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第19話 あまい、曖昧



 帰って来たヤコブは一度部屋に戻ったが、時間を見ると夕飯の支度の時間だった。

 今日の食事当番はユダと一緒だが、体調を気遣われて休んでいいと言われていた。しかし、部屋に一人でいても何もする気が起きないので、隣のリビングルームのキッチンへと行った。

 ドアを開けると、包丁の小気味いい音が聞こえる。ユダが、夕飯の準備を始めていた。事務所からそのまま来ていて、Yシャツにエプロンを着けて調理をしている


「手伝うよ」

「ヤコブくん。今日は私が準備するから、休んでていいよ?」

「料理くらいできるって。何かしてた方が、気も紛れるし。今日の献立は?」

「ツヴィーベルズッペと、トマトソースのフリカデレだよ」


 調理台には、生卵、パン粉、チーズ、トマト、ブロートなどが準備してある。ユダは、スープ用に玉ねぎをくし切りにしているところだ。


「じゃあ俺は、フリカデレ作るか?」

「うん。よろしく」


 献立を聞いたヤコブは冷蔵庫から牛挽き肉を出し、腕捲くりをしてユダの横に立って、一口ハンバーグのフリカデレの下準備を始めた。

 ボールに牛挽き肉を移し、ユダが準備しておいたみじん切りをした玉ねぎ、パン粉、生卵、パセリなどを入れ、味付けで黒胡椒や塩などを混ぜて捏ねていく。

 玉ねぎをくし切りにしたユダは、オニオンスープのツヴィーベルズッペを作り始める。フライパンにバターを入れ、切った玉ねぎを一緒に炒めて飴色にしていく。玉ねぎの水分が飛んでいく音に、溶け出したバターのミルキーと塩味のいい香りが漂い始める。

 いつもなら、食欲をそそられる香りに腹も刺激されるが、今日のヤコブはそんな気分にはなれなかった。


「あのさ……。ペトロを危険に晒したこと、本当に悪かった。反省してる」

「そのことは、もういいよ。ペトロから事情を聞いて納得したし。でも今後は、体調悪かったら無理しないように」

「わかった。ザコの時は任せるわ」


 玉ねぎが焦げないように、ユダはひたすらフライ返しで炒める。フリカデレのたねを捏ね終えたヤコブは、掌くらいの大きさに丸めてバットに置いていく。


「シモンくんから聞いたけど。今日は、出演依頼してくれたアレンさんに会って来たんでしょ?」

「ああ。昔の俺がしたことで兄貴が死んだことをちゃんと話して、謝ってきた」


 シモン経由で、トラウマとなっている罪悪感を聞いていた。ユダはそれにあからさまに触れないよう、日常会話の延長のつもりで話し合いの結果を尋ねる。


「何か言われた?」

「複雑だけど、恨んでないって言われた」

「そっか。だけど、ヤコブくんはすっきりしてないみたいだね」


 声に元気がなく口数も少ないので、あまりいい話し合いはできなかったのだろうかと気にした。

 炒めている玉ねぎの色が少しずつ飴色に色付いてきて、徐々に甘い香りも立ってくる。


「アレンは、俺を責めはしなかった。けど。兄貴とデビューしたかったんだろって言ったら、本心が見えたんだ。アレンは俺を恨んでないかもしれないけど、赦してもいない」

「ヤコブくんの大事な家族だったのと同じように、お兄さんはバンドに必要不可欠な存在だったのかな」

「兄貴とアレンたちの相性は、すごくよかった。だから、将来的な展望も思い描いてたと思う」

(なのに、俺が……)


 ハンバーグを形成していた手が止まる。ふいに、こんな普通に料理なんてしていてもいいのかと、疑心を抱いてしまう。

 実はヤコブには、もう一つ罪に感じていることがあった。だが、それをアレンに言えば本当に恨まれると恐れ、胸の奥に仕舞い込んでしまった。

 そんな彼の心境を察してか、ユダは尋ねる。


「ヤコブくんは、自分がどうするべきかをもう決めてるの?」

「……」


 仲間の誰もが気に掛けていることを、問い質すでもなく、相談に乗る時のような調子で訊いた。ヤコブの無言は、返答に等しかった。


「バルトロマイと約束したって聞いて、ペトロが心配してたんだ。バカなことを考えてるんじゃないか、って」

「自分の恋人が心配してるから、バカな考えはやめろって?」

「そういうわけじゃないけど……。悪いことをしたら、それなりの責任を取るのは当たり前だよ。だけど世の中には、誰にも決められない罪や悪もあると思うよ」


 ユダは、フライパンの中のしんなりした玉ねぎから目を離さずに、無言の返答への助言をした。


「そんなのあるのかよ」

「なくはないと思うよ」

「白黒決めなかったら、誰もスッキリしねぇだろ」

「そうかもしれない。だけど。時間が経てば、白も黒も関係なくなることもあるかもしれない」


 まるで、そんな日がいつか来るとでも言うように、穏やかな心持ちでユダは言った。

 本当にそんな日が来るのか、ヤコブには信じ難い。赦されるのであれば、赦されたい。だが、それは甘えだ。赦しを求めたいと心のどこかで思っている自分は、赦せない。それは償いの責任の放棄であり、兄デリックへの二度目の裏切りと同等だと。


「ヤコブくん。手が止まってるよ」

「あ。ごめん」

「考え事しちゃうなら、こっちと交代する? 無心になれるよ?」

「いや。こっちでいいわ」

「ただいまー」


 調理をしていると、学校終わりの図書館から帰って来たシモンが顔を出した。


「おかえり、シモンくん」

「おかえり」

「あ。部屋にいないと思ったら、やっぱりここにいた。ヤコブも手伝ってるの?」

「シモンくんも手伝う?」

「やる!」

「つっても。キッチン狭くてスペースないぞ」

「フリカデレ用のトマトソース作るから、テーブルで皮むきしてもらおうかな」


 ユダ一人で夕飯の準備をする予定が、最終的には三人でやることになった。

 ユダとシモンは、和気藹々と調理をする。ヤコブはハンバーグを作りながら、この雰囲気の中に自分がいるのが、少し違和感があるような気がした。




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