帰って来たヤコブは一度部屋に戻ったが、時間を見ると夕飯の支度の時間だった。
今日の食事当番はユダと一緒だが、体調を気遣われて休んでいいと言われていた。しかし、部屋に一人でいても何もする気が起きないので、隣のリビングルームのキッチンへと行った。
ドアを開けると、包丁の小気味いい音が聞こえる。ユダが、夕飯の準備を始めていた。事務所からそのまま来ていて、Yシャツにエプロンを着けて調理をしている
「手伝うよ」
「ヤコブくん。今日は私が準備するから、休んでていいよ?」
「料理くらいできるって。何かしてた方が、気も紛れるし。今日の献立は?」
「ツヴィーベルズッペと、トマトソースのフリカデレだよ」
調理台には、生卵、パン粉、チーズ、トマト、ブロートなどが準備してある。ユダは、スープ用に玉ねぎをくし切りにしているところだ。
「じゃあ俺は、フリカデレ作るか?」
「うん。よろしく」
献立を聞いたヤコブは冷蔵庫から牛挽き肉を出し、腕捲くりをしてユダの横に立って、一口ハンバーグのフリカデレの下準備を始めた。
ボールに牛挽き肉を移し、ユダが準備しておいたみじん切りをした玉ねぎ、パン粉、生卵、パセリなどを入れ、味付けで黒胡椒や塩などを混ぜて捏ねていく。
玉ねぎをくし切りにしたユダは、オニオンスープのツヴィーベルズッペを作り始める。フライパンにバターを入れ、切った玉ねぎを一緒に炒めて飴色にしていく。玉ねぎの水分が飛んでいく音に、溶け出したバターのミルキーと塩味のいい香りが漂い始める。
いつもなら、食欲をそそられる香りに腹も刺激されるが、今日のヤコブはそんな気分にはなれなかった。
「あのさ……。ペトロを危険に晒したこと、本当に悪かった。反省してる」
「そのことは、もういいよ。ペトロから事情を聞いて納得したし。でも今後は、体調悪かったら無理しないように」
「わかった。ザコの時は任せるわ」
玉ねぎが焦げないように、ユダはひたすらフライ返しで炒める。フリカデレのたねを捏ね終えたヤコブは、掌くらいの大きさに丸めてバットに置いていく。
「シモンくんから聞いたけど。今日は、出演依頼してくれたアレンさんに会って来たんでしょ?」
「ああ。昔の俺がしたことで兄貴が死んだことをちゃんと話して、謝ってきた」
シモン経由で、トラウマとなっている罪悪感を聞いていた。ユダはそれにあからさまに触れないよう、日常会話の延長のつもりで話し合いの結果を尋ねる。
「何か言われた?」
「複雑だけど、恨んでないって言われた」
「そっか。だけど、ヤコブくんはすっきりしてないみたいだね」
声に元気がなく口数も少ないので、あまりいい話し合いはできなかったのだろうかと気にした。
炒めている玉ねぎの色が少しずつ飴色に色付いてきて、徐々に甘い香りも立ってくる。
「アレンは、俺を責めはしなかった。けど。兄貴とデビューしたかったんだろって言ったら、本心が見えたんだ。アレンは俺を恨んでないかもしれないけど、赦してもいない」
「ヤコブくんの大事な家族だったのと同じように、お兄さんはバンドに必要不可欠な存在だったのかな」
「兄貴とアレンたちの相性は、すごくよかった。だから、将来的な展望も思い描いてたと思う」
(なのに、俺が……)
ハンバーグを形成していた手が止まる。ふいに、こんな普通に料理なんてしていてもいいのかと、疑心を抱いてしまう。
実はヤコブには、もう一つ罪に感じていることがあった。だが、それをアレンに言えば本当に恨まれると恐れ、胸の奥に仕舞い込んでしまった。
そんな彼の心境を察してか、ユダは尋ねる。
「ヤコブくんは、自分がどうするべきかをもう決めてるの?」
「……」
仲間の誰もが気に掛けていることを、問い質すでもなく、相談に乗る時のような調子で訊いた。ヤコブの無言は、返答に等しかった。
「バルトロマイと約束したって聞いて、ペトロが心配してたんだ。バカなことを考えてるんじゃないか、って」
「自分の恋人が心配してるから、バカな考えはやめろって?」
「そういうわけじゃないけど……。悪いことをしたら、それなりの責任を取るのは当たり前だよ。だけど世の中には、誰にも決められない罪や悪もあると思うよ」
ユダは、フライパンの中のしんなりした玉ねぎから目を離さずに、無言の返答への助言をした。
「そんなのあるのかよ」
「なくはないと思うよ」
「白黒決めなかったら、誰もスッキリしねぇだろ」
「そうかもしれない。だけど。時間が経てば、白も黒も関係なくなることもあるかもしれない」
まるで、そんな日がいつか来るとでも言うように、穏やかな心持ちでユダは言った。
本当にそんな日が来るのか、ヤコブには信じ難い。赦されるのであれば、赦されたい。だが、それは甘えだ。赦しを求めたいと心のどこかで思っている自分は、赦せない。それは償いの責任の放棄であり、兄デリックへの二度目の裏切りと同等だと。
「ヤコブくん。手が止まってるよ」
「あ。ごめん」
「考え事しちゃうなら、こっちと交代する? 無心になれるよ?」
「いや。こっちでいいわ」
「ただいまー」
調理をしていると、学校終わりの図書館から帰って来たシモンが顔を出した。
「おかえり、シモンくん」
「おかえり」
「あ。部屋にいないと思ったら、やっぱりここにいた。ヤコブも手伝ってるの?」
「シモンくんも手伝う?」
「やる!」
「つっても。キッチン狭くてスペースないぞ」
「フリカデレ用のトマトソース作るから、テーブルで皮むきしてもらおうかな」
ユダ一人で夕飯の準備をする予定が、最終的には三人でやることになった。
ユダとシモンは、和気藹々と調理をする。ヤコブはハンバーグを作りながら、この雰囲気の中に自分がいるのが、少し違和感があるような気がした。