再び棺に囚われたヤコブは、冷たい風と緑の匂いを感じた。
目を開けると、周囲を緑の木々で囲われた場所にいた。一面の芝生には、生花で彩られた雑誌ほどの大きさの墓石が一列ごとに並んでいる。
曇天の下に広がるこの景色には、見覚えがある。故郷にある墓地だ。
ヤコブは自分の目の前にある、名前と生まれた年月日と没年が刻まれた墓石に視線を落とす。
(兄貴の墓……)
長年避けていた場所に立たされるが、後退りしたい思いを堪える。
「其れが、お前の罪の証だ」
ヤコブの後ろにバルトロマイが佇んでいた。逃亡を図られないよう、紫色の鋭い双眸を向けている。
「お前の家族。血を分けた兄弟。お前が運命を捻じ曲げた者の末路」
改めて侵した事実を突き付けられ、ヤコブの心臓はのし掛かる重苦で止まりそうになる。
「……そうだ。俺が運命を変えて夢を奪った、兄貴の墓……。周りのみんなに喪失と絶望を与えた俺の、罪の証だ」
「お前に猶予を与えた。其の間に、お前の己への咎は切っ先を変えたか?」
「変わるわけがない。そう簡単に赦されるほど、人の本心も変わらない……。兄貴の気持ちを知ることが叶わない限り、俺の選択肢は増えもしなければ減りもしない」
「兄の本心を知りたいか」
「知れるものなら」
「
バルトロマイに言われて視線を上げると、墓石の向こう側にデリックが立っていた。しかしやはり、黒く覆われた顔で表情はわからない。
「兄貴……」
「憎い」
たった二文字で、剣で心臓を一突きされたように痛みを覚える。
「憎い。憎い。お前が憎い。僕を煩わせたお前が憎い。僕の時間を占領したお前が憎い。僕から音楽を取り上げたお前が憎い。僕の夢を奪ったお前が憎い。僕の人生を終わらせたお前が憎い。生きているお前が憎い」
表情はわからないのに、ヤコブの目には意趣の目付きの表情がはっきりと見えていた。単調な声音も叱責していて、砥がれた言葉の一つ一つが心臓の真ん中に突き刺さる。
デリックの顔を直視するのが怖くなったヤコブは、目をギュッと瞑り顔を逸らす。
「ごめん……! どれだけ謝っても無駄なのはわかってる……。俺は、兄貴の全てを奪った。俺の我儘が、プライドが、兄貴の運命を捻じ曲げた……」
「お前がそんな性格じゃなければ。くだらないプライドなんかなれけば。お前なんかがいなければ」
「……俺がいなくなれば、兄貴は満足するのか?」
それが本当に、デリックの本心かはわからない。しかし、この空間で見聞きしたことは、本人にとって全て現実となる。バルトロマイが作った幻覚であろうと、ヤコブの罪悪感から生まれた妄想であろうと。
「どうだ。実兄の本心を聞き、己の罪深さが身に沁みているだろう……。だが。お前の懺悔は
「え?」
バルトロマイは、まるで
ヤコブは嫌な予感がして、顔色を変える。
「まだ有るだろう。しなければならぬ懺悔と、償わねばならぬ罪が」
すると、デリックの墓石に刻まれている文字がバグを起こし、文章に書き替えられた。それは、あるSNSの書き込みだった。
「……!」
その横に並んでいる墓石の文字も、次々と文章に変わっていく。そして、一列全ての墓石の文字が、文章に書き替えられた。
「これも、お前の罪だな?」
「やめろ! 今すぐ消せ!」
隠していたことを
「“AJDAには、簡単に人を傷付ける最低なやつがメンバーにいる”……。“AJDAの歌なんか聴く価値はない”……。“ド素人AJDAは、本当は他人が曲を作って他人が歌ってる”……。“オーディションにAJDAを通すな! 審査員は本当のやつらを知らない!”……」
それを一つずつ読み上げるのは、いつの間にか現れていた黒い顔のアレンだった。
アレンは幻滅し、好青年の中に隠していた冷然さを表出させた顔付きで言う。
「これを書いたのはお前だったのか。ヤコブ」
「アレン……」
「このSNSの投稿のせいで、同じオーディションを受けてた他のバンドから陰でいろいろと言われたよ。学校でも変な噂が広まるし、誹謗中傷まで受けた。そのおかげでメンバーが抜けて、まともな活動ができなくなった」
自分の口から言えなかったことがこんなかたちで暴露されたヤコブは、すっかり怯えて畏縮する。
「違う。これは……。一時的な感情で書いただけで……。気付いた親父がすぐに削除した……」
「でも投稿は拡散された。嘘だったものが偽りの事実になって、たくさんの人の目や耳に入った。そして、ありもしない話まで生まれて誇張され、そのせいで演奏する場所を失った。お前にデビューのチャンスを奪われるだけでなく、演奏する自由さえ失った!」
アレンはヤコブに意趣を注ぎながら、一歩ずつ近付いて来る。ヤコブは逃げ出したい思いだったが、足に杭でも打たれているように一歩も動けない。
「ほ……本当にごめん!」
「ヤコブ。お前は一体、僕たちからいくつ希望を奪えば気が済むんだ! どれだけお前に翻弄されればいい!?」
アレンはヤコブの胸倉を掴んだ。黒い顔に怨色が蠢き、それが悪魔のような形相に見える。
「ごめん……。本当に、ごめん……」
恨み骨髄に徹するデリックは、静かに
「罪を重ねることを恐れて、黙っていたくせに。謝ればいいとでも思ってるのか。お前は謝罪だけして、あとはまたのうのうと生きるのか。僕はそんなの赦さない。簡単に人を傷付ける最低な人間は、お前の方だ。僕から夢と命を奪ったお前なんて、生きる価値はない」
「そうだ。今度は僕が、ヤコブの誹謗中傷を拡散してやるよ。“使徒のヤコブは実の兄を殺した過去を隠している。きっとまた誰かを平気で犠牲にするつもりだ”って。そうすれば、僕たちが味わった苦しみをお前も噛み締められるだろ!」
アレンも瞋恚の目で、零落による贖いを切望する。
「人を苦しめたやつには、同じ苦しみを与えなければわかるはずがない」
「心をズタズタにされる気持ちを、お前も味わえ!」
「わけもわからず死んだ痛みと苦しみをお前もその身で味わわなければ、僕の気が済まない!」
二人からの
過程を静観していたバルトロマイは、それが万遍なく行き渡るよう、淡々とした口調でヤコブに罪責を浸透させていく。
「懺悔だけで罪が免除されると思うか。僅かでも懺悔に希望を抱いた事を恥と知れ、頑愚。お前は
「……俺は、赦されちゃいけない……」
「子供
そう言うと、ヤコブの姿と人格は十二歳当時に変わった。そして少年ヤコブは無罪を訴える。
「だけど。先に約束した俺を後回しにした兄貴も悪い!」
「まだ言うか」
「俺は、自分の気持ちを正直に出しただけだ。全部俺が悪いわけじゃない!」
「思慮が浅い。幼稚も幼稚だな」
「俺はいいことをしたかっただけだ! それの何が悪いんだよ!」
「非常に独善的だな。人間は皆そうだ。己が正しいと信じ、己が正しいと思う事を吹聴し、真実だと惑わせる。真に真実だと知る者はいないにも拘わらず、其の嘘で周囲を騙す。其れが、幼稚で思慮が浅いお前の行動だ。他人を救うなどと言う、高尚な存在で居られる人間では無い。お前が他人を救うなど、過去の己を隠匿する為に過ぎぬ」
そしてまた、現在のヤコブの姿に戻った。幼稚で愚かな過去の自分を振り返ったヤコブは、まさにバルトロマイの言う通りだと愕然とする。
(そうだ……。周りに罪がバレたら、なんて言われる? きっと指を差されて、罵詈雑言を吐かれるに違いない。こんな俺に、他人を救う資格なんてない。本当は使徒なんて名乗れないんだ)
「頑愚な人間よ。己の罪を悔い、生きるに値しない存在と認めるか」
ヤコブは、自分は使徒に相応しくない人間であると思い知らされ、辞めるべきだと自覚する。ところが、納得していない十二歳のヤコブが彼の中に現れた。
「おかしいよ! なんで俺だけが悪者にされるんだよ!」
「俺が悪い。全て俺が導いた運命だ」
「たかが子供がしたことに、なんでみんなそんなにむきになるんだよ!」
「子供でも、認めるべき罪は認めなきゃならない。償うべきなんだ」
「こんなの認めない! 俺だけ責められるなんて不公平だ! 兄貴も責められるべきなのに!」
「違う!」
主張を撥ね退けると十二歳のヤコブが分離して目の前に現れ、ヤコブは過去の自分と向き合った。
「なんて言おうと、兄貴の気持ちを裏切った俺が悪い。俺は、兄貴の夢を応援してただろ。だからあの日は、快く見送るべきだったんだ。サプライズに拘って我儘なんか言わずに、一言『頑張れ』って言えば、俺もプレゼントをあげられたんだ。大人にならなきゃダメだったんだよ。いつまでも、甘えてばかりのかわいい弟でいられないんだから」
ヤコブは、過去の自分に優しく言い聞かせた。だが、少年ヤコブは不満気で、簡単に気持ちの切り替えができない。
「……俺が悪い?」
「そうだ」
「みんながそう言ってるから?」
「俺もそう思ってるからだ」
「兄貴も、俺を責めてる?」
「きっと、一番赦してくれない」
すると少年ヤコブは、悲しげな表情を窺わせる。
「……兄貴には、嫌われたくない」
「そうだな。それじゃあ、償わなきゃな」
ヤコブの説得に首肯すると、少年ヤコブは消えた。
整理を終えたヤコブは、完全に覚悟を固めた面持ちとなる。
「頑愚な者よ。過去と相対し、全てを受け入れたか」
「……ああ」
「
「理解した」
「ならば。残りの己の成すべき事も了解しているな」
「……覚悟はできた」
すると、足元から棘の蔓が伸びて身体に巻き付き、ヤコブを磔にした。
「では。最後に懺悔を聞き届けてやろう」