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第23話 温かな燭光



 故郷の墓地だった景色は、張りぼてが崩れるように鈍色の空から少しずつ崩壊していく。

 堕ちるまでのカウントダウンが始まった。

 茨の蔓に巻き付かれ自由を放棄したヤコブは、懺悔を始める。


(あの日に戻れたなら、どれだけいいだろう……。兄貴の夢が叶うように応援して、デビューが決まったら、もっと練習して上手くなったギターで祝ったのに。デビューライブには友達を連れて行って、「ギター弾いて歌ってるのが俺の兄貴なんだぜ」って自慢したのに。歌番組も絶対録画して、何度も観返して、演奏完コピできるくらいギターの練習して、兄貴を驚かせて……。

 そのくらい大好きだったのに、そう思ってたのは嘘だったのか? 俺は本当は、兄貴のことなんて好きじゃなかったのか? 兄貴は、俺にはないものを持ってた。勉強も、ギターも、囲まれるほどいる友達も、全部尊敬しながら、本当は羨ましくて、妬ましかったのか? 約束を破られたことで、俺は本性を出したのか? 自分が、そんな人間だなんて思わなかった。

 兄貴といた時間は確かに楽しかったのに、その時間も全部、俺の勘違いだったのか。煩わしく思ってた兄貴の気持ちにも気付かないくらい、自分のことしか考えてなかったのか。本当は自分のことしか見てなかったから、あの日……。

 本当の自分を知らなかった、俺の過ち。過ちを自覚せずに重ねた罪。罪を自覚するどころか否定した、未熟で愚かな俺……。こんな俺を誰が赦す? 一体誰が認めてくれる? いたとしても、俺が赦せない。俺が俺を一生赦さない。兄貴の夢と命を奪った自分を。罪悪感で苦しみ続けたとしても、懺悔の日々が俺の人生だっていうなら、俺はそれを選ぶしかない。他に選択肢はない。選べない。選んじゃいけない)


 自分の罪を肯定し続け、暗闇への階段を着実に降りていた。

 その時。シモンの言葉がふと甦った。


 ───ヤコブが選ぼうとしてることは、全然楽な未来なんかじゃないよ。


(確かに、楽な未来じゃない。でも、それでいい。償いきれないなら一生苦しむ。自分自身を咎め続ける。それでいつか楽になれたらなんて、期待はしない。未来に希望は抱かない……。

 お前は俺を希望だって言ってくれたけど、俺はそんな立派な人間じゃないよ。使徒なんかできるやつじゃないんだ。だから、ここで使徒の俺が終わってもいい。誰かに咎人の烙印を押される前に、自分でその烙印を押す。これでいい。きっと、これでいいんだ……。そしたら、俺はもう……)


 ───ボクは、これからもヤコブの側にいて支えたい。勝手なことかもしれないけど、ボクの望みを叶えさせて。お願い。


(シモンとは、一緒にいられなくなる。使徒でなくなって、バンデでなくなった俺は、いる意味はなくなる。一緒にいる資格はなくなる。お前の望みを、叶えてやれない……)


 階段が伸びた先の闇に、一段、また一段と進む。

 ところが。その足がふと止まった。

 ヤコブの胸の底から、何かが込み上げてくる。


「……なんで……」

(なんで俺は辛いんだ。シモンの望みを叶えてやれないことが、これからの人生と同じくらい辛いなんて思うんだ……。俺は覚悟を決めた。一度全てを無くす覚悟を。それなのに……)


 すると、ヤコブは左腕から温かいものを感じる。闇に飲み込まれかけた心に、温かみのある小さな光が差し込む。


(ああ。そうか……。お前が、俺を繋ぎ止めようとしてるからか。楽な未来を……贖罪だけに生きる選択をするなって。そう言うのか……)


 自分を赦す者は誰一人いないと思っていた。けれど、誰にも赦されなかったとしても、このままの自分を受け止めてくれる存在がいる。

 そんな存在から目を逸らし、拒否していたのだと気付いたヤコブは、やはり自分は愚か者だと思い知る。

 周りは闇となった。磔のヤコブの前には、彼の名前が刻まれた墓石が立てられている。深い穴が掘ってあり、黒いバラが供えられている。


「さあ。懺悔が終わったのなら、お前の墓に入るが良い」


 堕ちるまであと一歩となり、バルトロマイは勝利を確信する。

 ところが。


「……心具象出ヴァッフェ・ダーシュテーレン───〈悔謝ラウエ〉」


 ヤコブはハーツヴンデ〈悔謝ラウエ〉を手にして茨を断ち、自分の墓石を破壊した。


「何っ!?」


 一体何が起きたのかと、バルトロマイは不可解な事態に混乱し眉間に深い皺を作る。


わりぃな。バルトロマイ。俺、まだ脱落できねぇわ」

「どう言う事だ」

「ここには、罪を認めて懺悔するために来た。使徒の資格をなくしてもいいって覚悟してた。もちろん、ここでの懺悔だけで罪が赦されるとは思ってない。だけど、やっぱりまだ使徒でいたいんだよ」

「呆れたものだ。お前のような罪ある頑愚が、まだ救う事を求めるか」

「まぁ。メッキは剥がれたし、いつどこから俺の過去が漏れるかわからない。けど。楽な未来を選ぶのは、卑怯だって言われたんだよ。何より、このまま使徒辞めたら、俺が未練タラタラになりそうなんだよな」


 微苦笑するヤコブは、使徒を辞めようとしたことを少し後悔した。しかし、使徒を続けることにもまだ後ろめたさを感じている。こんな中途半端な心持ちでも辞めることはできないと、今は思う。

 だがバルトロマイは、そんな身勝手が腹に据えかねる。


「赦さぬ。事を食む其の選択を、我が赦さぬ!」


 バルトロマイは激昂し、手にした鎖鎌〈蛇蝎厭霧ハス・シュトライヒュング〉でヤコブを力尽くで堕としに掛かる。


「俺も。赦してねぇよ」


 ヤコブは飛んで来た鎌を〈悔謝ラウエ〉で弾くが、鎌はひとりでに軌道修正してヤコブを狙う。


「お前のような人間が元の日常に戻るなど、切歯扼腕せっしやくわん!」


 バルトロマイの念力で何度も襲い来る鎌で傷を負いながらも、ヤコブも何度も金属音を立てて弾き返す。

 逃がすまいと攻防が続く、そんな時。闇となった空間に、小さな亀裂が生まれた。

 それは、シモンが外から〈恐怯フルヒト〉で光の矢を放ち続けている証拠だった。一射放たれるごとに亀裂が少しずつ大きくなっていく。


「馬鹿な!?」


 バルトロマイが気を取られた一瞬に、ヤコブは弾いた鎌を地面に踏み付け、斬撃を放つ。


晦冥たる白兎赤烏ムーティヒ・照らす剛勇ブリヒトニヒト!」


「!」しかし瞬間移動され、直撃させることはできなかった。


「じゃあ、行くわ。俺の相棒が戻って来いって言ってっから」


 脱出する隙きを作ったヤコブは、亀裂を目掛けてもう一度攻撃を放ち、空間を破壊した。




「ヤコブ!」


 戻って来たヤコブの目に最初に入ったのは、驚いて泣きそうな笑顔のシモンの顔だった。


「よお、シモン……っと」


 精神的ダメージは大して受けていないと思っていたが、思ったより食らっていて、解放された安堵から尻餅を突いた。

 バルトロマイも現実世界に戻るが、ビフロンスが無様な姿で使徒に刃を向けられている状況に驚愕し、目を疑う。


「ビフロンス!?」 

「お前のゴエティアはご覧の通りだ」

「まだ仲間をいたぶるつもり? だったらこっちは、とどめを刺すけど」

「契約してるんだよな。いなくなったら困るんだろ?」

「使徒が脅迫か……」


 バルトロマイは忌々しさで表情を歪ませ、厳つい顔をさらに厳つくさせる。

 だが、憤怒のフィリポフィリポ・デア・ツォルンのように直情型ではない彼は、冷静な判断を下す。


「帰るぞ。ビフロンス」


 無様に地面に磔にされたビフロンスを回収すると、バルトロマイは使徒に厭悪の眼光で一瞥し、大きな無念とともに影の中に消えた。


「ふうっ……。まだやるって言われなくてよかったー」

「そしたら僕は遁走してました」

「オレも、こっそり逃げたかも」

「えー。もしかして、私一人に戦わせるつもりだったの?」


 シモンも戦いを終えて安堵し、両手でヤコブの手を握った。


「ヤコブが無事に戻って来てくれて、よかった……」


 嫌な胸騒ぎを感じてからは、気が気ではなかった。ヤコブが無事に戻って来ると信じる反面、もう一緒にいられなくなる恐怖との戦いでもあった。だから酷く安心し、涙が出そうだった。

 ヤコブもまた、後ろめたさを持たずシモンの顔をちゃんと見られたことにホッとし、その小さな肩に頭を乗せた。


「俺。これからも、お前に支えられたいみたいだわ」

「ヤコブ……」

「こんな俺だけど、まだ一緒にいていいか?」

「いいよ。これからも、ボクが一緒にいてあげる」


 今まで当たり前に感じていた、お互いの温もり。それが当たり前ではないと知った二人は、一日でも長く続くことを心から祈った。




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