授業を終えたシモンが学校を出ると、いつも通りに迎えに来たヤコブが校門前に立っていた。
「お疲れー」
「ヤコブ。体調は?」
「もう大丈夫だ」
心配ありがとな、とヤコブはシモンの頭をポンポン撫でる。逞しく深厚を感じ、いつもの手だとシモンは改めてホッとする。
二人は、放課後デートでいつも立ち寄るカフェで飲み物をテイクアウトした。そして最寄り駅からトラムに乗り、アレクサンダー駅でバスに乗り換えた。
ここしばらくは曇りが多かったが、今日は太陽が雲間から顔を出している。
「ヤコブさ。一昨日の戦い、本当はちゃんと戻って来るつもりなかったでしょ」
「バレてたか」
「バレバレだよ。酷いよ。人の気も知らないで」
そう言ったシモンは怒っているようだが、ヤコブを責めるつもりは毛頭ない。一人で勝手に決めてしまおうとしていたことは、少し腹を立てているが。
「悪かった」
ヤコブも、シモンを泣かせるような選択をしようとしたことを、心から反省している。
「使徒じゃなくなってもいいって、本気で思ってたんでしょ」
「俺には、使徒でいる資格なんてないと思ったから」
「ボクとバンデ解消になるって、わかってても?」
「ああ」
「でも。ちゃんと戻って来たってことは、そういう考えはなくなったってことだよね?」
そう訊かれたヤコブは、答えるのを少しためらった。
「……いや。ちょっと違う」
「違うの?」
シモンは少し不安げに問い返した。
「使徒を続けたいと思ったのは本当だ。だけど、俺は自分の罪を赦したわけじゃないし、使徒を続けていいのかも少しわからない」
伝統的な赤レンガの建物が流れる窓外に目を逸らし、シモンに不安を抱かせるとわかりながらヤコブは正直に言った。
「それじゃあ。この先もしかしたら……また棺に囚われることになったら、その時は最後になるかもしれないってこと?」
「そうなるかもしれないし、ズルズルやってくのかもしれない……。でもたぶん。シモンがいるなら続けると思う」
「何それ。“連れション理論”?」
「どっちかって言うと、“赤信号、みんなで渡れば怖くない理論”かな」
「道連れってこと?」
「そうだな。シモンと手を離したくないって思った」
ヤコブは振り向き、確かな思いをシモンに向けた。真情が込められた真っ直ぐな視線と交わったシモンは、トクンッと心臓を鳴らした。
「これからも俺の側にいて支えたい、その望みを叶えさせてほしいって言ってくれたの思い出したらさ、罪を背負って生きてくくらい、シモンと離れるのが辛かったんだ。俺って、思ってた以上にシモンのこと好きになってんだなーって」
「そんな理由で?」
「そんな理由なんだよ。単純だろ」
「単純過ぎるよ」
目を合わせる二人は、同時にクスリと笑った。
「でもそれだけの理由で、今のままで生きる決意ができた。生き続けることで償いになるとか、そんな薄っぺらい考えを持ってるわけじゃないけど、使徒でい続ける選択をして、自分が犯した罪と付き合っていく覚悟をしなきゃならなくなった。楽に生きることは、諦めたんだ」
「ヤコブが後悔しないなら、それでよかったんだよ。ボクは、その選択を信じるよ」
恐らくシモンは、ヤコブが選ぼうとしていたもう一つの道に彼が進んだとしても、同じ言葉を掛けただろう。そんな気がしたヤコブは尋ねた。
「もしも、俺が使徒を辞める選択をして楽な生き方を選んでたら、シモンはどうした?」
「どうしようもないから、それはそれで受け止めるしかなかったと思う。でもきっと、ヤコブの手を離すことはできなかったよ」
ヤコブの意志は、尊重するつもりではあった。けれど、大切な気持ちごと忘れ去ることはできない。
「嬉しいこと言ってくれるじゃん」
それはきっと、二人とも同じ気持ちだろう。どちらともなく手を繋げるほど、通じ合っているのだから。
「赤信号。怖くても、一緒に渡ってあげるよ」
「すげぇ心強いわ」
帰宅すると、シモンは今日の課題を机に出した。外国語の課題なのだが、ヤコブはあてにならず、以前頼ったペトロはまだアルバイトから帰って来ていない。
「音楽の方は、まだ近付けないって思ってるの?」
「少し変わったかな。ずっと逃げてたって、いつかは気持ちの整理を付けなきゃならない時がくる。今のまま生きる人生を選択をしたなら、音楽との距離も少しずつ近付けていきたいって思い始めたよ」
ヤコブが音楽に対しても前向きな姿勢になってくれて、シモンはホッとする。そのおかげで、ヤコブの状況はいい方向に進み始めていた。
「だから、MV撮影も再開させたいことをアレンに伝えた」
「本当に?」
「ああ。せっかく指名してもらったのに、悪いしな」
それを聞いたシモンは、あることを訊く。
「じゃあ、ギターは弾かないの?」
「え?」
「だって。サプライズできるくらいには弾けるんでしょ?」
「ま……まぁ。そうだけど……」
「メンテナンスもしてるんじゃないの?」
「まぁ、一応。メンテしないと兄貴に悪いし……」
「てことは。チューニングで少し弾いたりもしてるんじゃないの?」
「詳しいな」
「趣味にしてる友達から、うんちく聞かされてるから」
シモンは言葉にはしないが、「ヤコブのギター聴いてみたいなー」と目で言っている。ヤコブもその期待はじわじわ感じるが、憂いを浮かばせてカバーが掛かったギターを見遣る。
トラウマとなった出来事からギターにはほとんど触れておらず、本当に、チューニングで少し弦を弾く程度だ。デリックのギターを持っているのも、弾こうとして持っているわけではなかった。
「……弾かないかな」
「弾かないの?」
「ああ……。まだ」
今のままを生きることを決め、音楽にももう少し近付いてみようと意識は変わった。けれど、音楽を避ける理由の核には、まだ近付くことはできない。
シモンは少しだけ残念に思うが、「まだ」と言ったその未来を辛抱強く待つくらい楽勝だ。
「じゃあ。弾く時が来たら、一番にボクに聴かせて」
「あんまり期待するなよ」
ヤコブ自身も、その未来が来てほしいと心のどこかで期待していた。アレンからもらったCDも、マンガが並ぶ本棚の端に仕舞ったままでまだ聴くことはできていない。けれど、きっといつか、デリックが作詞した曲を聴ける日も来るだろう。
そして数日後。撮影が中断された公園の池でMV撮影が再開された。
前回は天候がよくなかったが、今日は綿雲漂う夏空が広がっていて、蝉もそこかしこでよく鳴いている。それに負けじと、アレンたちもやる気満々だ。
「よしっ。じゃあ、新たな気持ちで続きから撮るぞ!」
「アレン。頼みがあるんだけど」
「頼み?」
「ギター。これ使っていいかな」
「それって……」
「兄貴のギター」
撮影でギターを使っていたことを思い出したヤコブは、デリックのギターを持って来ていた。まだ弾くことはできないが、ここからはこのギターとも一緒に歩いて行けたらと思い、持って来たのだ。
「もちろん、いいに決まってるだろ」
アレンはニカッと笑い、ヤコブと肩を組んだ。それを見たセドリックとジェレミーとバルナバスも一緒に肩を組み、五人は円陣を組んだ。
残っていた撮影は半日かけて撮り、MV撮影はこの日で終了した。
編集作業もアレンたち自ら行い、翌月から「BY YOUR SIDE BOYS」のSNSや動画配信サービスのチャンネルで、配信が始まる。