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第2話 戸惑い



 午前十一時。約束通り、某出版社の男性ファッション雑誌編集部の編集長が自ら、ペトロの専属モデルの直談判に来訪した。

 最初はメールでのオファーで、ユダもその際に丁重に断ったのだが、編集長から直接話をしたいと言われた手前、断り切れなかった。

 直談判だからと言って返答を変えるつもりはなかったが、一通りの話を聞き、「本当はお受けしたい気持ちは山々なのですが」とテンプレの前置きをして自分たちの事情も丁寧に説明し、どうにか納得してもらえた。

 納得し諦めた編集長だったが、帰る時は残念そうに肩を落としていた。ユダとヨハネは、その後ろ姿を事務所前で見送った。


「なんだか、あの背中を見ると申し訳なくなりますね」

「三人目だけど、やっぱりちょっと心が痛むよ」


 心の中でもう一度謝罪して、二人はデスクに戻った。


「それにしても。起用理由を熱心に語ってくれましたね」

「ジェンダーレスを象徴する存在として、か……。確かに、白い肌とブロンドと碧眼、同性と比べると線も細めで女性に間違われる容姿は、魔法のように周囲の視線を集める。実際、最初の広告は話題になったしね」

「あれ、三つ子説が出てましたよね。今は、同一人物だと周知されるようになりましたが」


 事務所の看板で恋人のペトロのことを褒めるユダの顔を、ヨハネは少し見づらかった。


「あれだけ表情が違うと、初見で勘違いするのは仕方がないよね。撮影を見てた私ですら、別人に見えたんだから」

「炭酸飲料の売上も右肩上がり。ペトロの注目度もうなぎのぼりで、Win-Winてやつですね」


 けれど、仕事の話だと割り切って、いつもの自分を演じて話を合わせる。


「ショートダンス動画も、反応よかったし。またやってもらおうかな」

「それ、誰のためです? ユダが見たいだけじゃないんですか?」

「あ。バレた? でも、ヨハネくんもまた見たくない? ペトロのぶきっちょダンス」

「僕は別に……。ペトロはダンス苦手なんですから、強要して嫌われても知りませんよ」


 本人は控えているつもりだが、ペトロの話になると充足した表情を隠せていない。ケンカして不仲にならないかと、ヨハネは嫌なことをふと思ってしまった。


「だけど。仕事のオファーが増えると実感するね」

「ペトロの人気ですか?」

「世間の反応は把握してるつもりだけど、評判て私たちの知らないところで少しずつ広がってるんだね」


 SNSの情報の広がりは、時に驚かされる。インフルエンサーから発せられれば、世界中から視線を集めることもできてしまう。

 けれど、チャンスの方から寄って来ているのに、ペトロはまだ自分を平凡な人間だと信じている。なのでユダは、そこは残念だなと少しだけ思う。


「本当に、専属モデルのオファー受けなくていいのかな……」

「ユダは、ペトロの意志を尊重したいんですよね」

「でも。本心はもったいないと思ってるよ」

「惚気始めるんだったら、やめてくださいね」


 そんな話は聞きたくないので、ちょっと冷たく牽制した。するとユダは、社長としての胸懐を話し始める。


「惚気るつもりじゃないけど、将来の礎が築かれつつあるんじゃないかな」

「将来の礎……」

「ペトロに限ったことじゃないけどね。ヤコブくんやシモンくんもやりたいことはあるだろうけど、モデルという仕事が、彼らの将来の選択肢の一つになってくれるといいなと思ってるよ」


 今は使徒となって戦っている彼らも、元々は普通に学校に通っていた。ペトロは既に進学をやめてアルバイト一本だったが、ヤコブは継続教育カレッジで就きたい職業を学び、シモンは大学を目指して学業に励むつもりだった。

 彼らにも夢見た将来がある。神様からの指名で寄り道をすることにはなったが、後々、この寄り道が無駄だったと思ってほしくなかった。

 事務所を運営する立場として、ユダは所属する彼らのこれからのことも考えている。その中で誰のことを一番応援しているのかと考えると、ヨハネは推してもらえているのが羨ましくなった。ユダが言う将来に、二人が肩を並べて歩く姿を想像してしまう。


「お疲れー。編集長さん帰った?」


 そこへ、アルバイトが休みのペトロが顔を出した。


「帰ったよ。がっかりしながら」

「ごめんな。毎回、断るために嘘つかせて」

「嘘は半分だから気にしないで。どうかした?」

「部屋にいてもやることなくてさ。ユダの本借りて読んでたんだけど、退屈で……。だから、何か手伝うことないかなって」


 手持ち無沙汰の解消に来たらしい。それならと、ヨハネが仕事を振る。


「じゃあ。仕事オファーのメール来てるんだけど、断りの返信してくれるか」

「そんなに来てるの?」

「実は地味に来てる。本気なのか冷やかしなのか、判断つかないやつが結構。ちょっと面倒だから、返信しといてくれ」

「でもオレ、そういう仕事したことない」

「じゃあ、電話番」

「会社で働いたことないから、どう受け答えしたらいいかわかんない」

「じゃあ、やることないかな。掃除でもするか?」

「何か壊しそうだから、やめとく」


 ヨハネに微妙に冷たい対応をされ、活用できるスペックを何も持っていないペトロは申し訳なく感じた。


「相変わらず、趣味は見つからないのか?」

「趣味かぁ……。ていうか。ヨハネってジョギング趣味なの?」


 先程ユダからその話を聞いて、尋ねた。


「趣味っていうか、日課かな」

「楽しいの? キツくない?」

「どっちかって言うと、気持ちいいかな。だから楽しい」

「ペトロは、ダンス以外の運動も苦手?」

「苦手ってほどじゃないけど、得意でもない」

「じゃあ。今度一緒に走ってみる?」


 聞き捨てならないセリフを聞き、ヨハネはユダをパッと見た。その視線に気付かないユダは、ペトロを誘い続ける。


「えー。今の時期、暑くないか?」

「朝は涼しいから、走りやすいよ」

「どのくらい走るの?」

「4〜5kmくらいかな」

「距離聞いたら自信なくなった」


 ジョギングに消極的なペトロに、お揃いのウェア買って一度走ってみようよ、など言ってユダは誘う。

 自分から話題を振った上に蚊帳の外状態になってしまったヨハネは、自身のミスを責めつつ、二人の様子があまり面白くなかった。


(せっかくの二人きりの時間なのに)

「……誘わないでほしいな」


 ヨハネの口から、そんな胸裏が不意に溢れた。ハッとすると、それを払うように首を降る。


「ユダ。お昼はどうします? デリバリーしませんか」

「そうだね」

「ちょうどペトロがいますし、買って来てもらいましょうよ」

「オレ、今日休みなんだけど」

「おつかいだよ。行ってくれたら、好きなデザート一つ買っていいから」

「子供かよ。まぁ、おつかいくらい行くけど」


 ペトロは二人からリクエストを聞くと、電動キックボードで出掛けて行った。事務所の窓からその姿を見届けると、ヨハネは心のどこかでホッとする。


(誰も誘わないでほしいなんて。独占したいわけじゃないのに……。僕はどうしちゃったんだ)


 胸の中で何かが騒ぎ立てているように、ザワザワする。今までの不安や焦りとは違い、濃い霧が掛かったようになっている。


(側にいるだけでよかった。こうして助けになれているだけで、満足だった。ささやかな幸せを感じるだけで、それだけでよかったのに……。諦められないせいなのか。僕は、そんなに欲張りじゃなかったはずなのに……)


 ユダに視線を向けても、その視線は別の方向を向いている。いくらヨハネが情を浮かばせても、交わることがない。

 それが切なくて、時々、余計なことを考えてしまう。

 ペトロが現れていなかったら、自分はユダの中で一番の存在になっていたのだろうか。と。

 けれど、訊く勇気はない。そんな問い掛けすら、二人のあいだをすり抜けていってしまうだろうと。


(僕はいつから、こんなに貪欲になってしまったんだ)


 胸の中に生まれた濃い霧は、戸惑うヨハネに嫌な印象を植え付ける。

 目の前の二人の姿が目の毒のヨハネは、目を瞑りながら生活ができたらどんなにいいだろうと思うが、パソコンに意識を向けるしか思い付かなかった。




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